正当な自尊
- 2017/01/22(Sun) -
(本記事は2006年7月12日に書かれた.)


経験主義に真理をみとめる私は、自分より高齢者は無条件に尊ぶが、一方で、その心持ちはまだ知ることができない。以下、それを承知でお読みいただきたい。

スウェーデンの老人たちは、ゆったりしていた。
私に手を握ってエスカレーターを降りてくれ、と言った老婦人や、郵便局で女子大生にカウンターまで手を引いてくれと頼んだ老人たちは、自分の肉体的衰えを恥じてはいなかった。それゆえ、ゆったりと若者・健常者に頼ることができたのだ。

日本の老人たちは、それができないだろう。
これを、日本の 「恥の文化」 と言う人もいるだろう。

では、反発を覚悟で、もっと言おう。日本の老人は、スウェーデンの老人に比べて、他人の援助は拒みながらも窮屈に生きている人々が多い。

胸張っている老人は、金を持っている者たちで、むしろ傍若無人で、はた迷惑だ。

この違いはどこからくるのか、それを、スウェーデンにいたころも、いま日本にいても私は考えているが、まだ、その由来がわからない。

スウェーデン人の老人のほうが、体力があるから? 年金・介護制度が確立しているから? 国を信頼しているから? それが、仏教や儒教をさほど知らないヨーロッパ人の気質だから? ・・・・・・・・・


人は年輪を重ねるものだから、高齢になればなるほど、肉体の力は衰えても、それまでの人生での行為や思考がそのまま立ち居振る舞いに出るのだろう、おそらく。

とすると、スウェーデンの老人の特徴を解くカギは、スウェーデン人一般の特徴の中に求められるだろう。 『スウェーデン人―我々は、いかに、また、なぜ』 では、スウェーデン人は、自ら身を処することよしとする点を特質にしている、と書かれている。また、自分の仕事に誇りをもち、他人の荷厄介になることを嫌う、とある。

そうだとすれば、「他人に依存することを恥とする」 日本人と根底においてはかわらない。 

それなのに、
あの 「ゆったりと他人に頼れる」 心持ちはなぜだろう。


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食餌①
- 2017/01/18(Wed) -
きょう、約37年ぶりにカップヌードルというものを買った。

正調の、NISSINのあれである。(写真は後日掲)





昔、大学に入って全部自活すると親に宣言したあと、私は、朝飯抜き、昼飯は図書館の英字新聞を読みながら数十円のカップコーヒー、夕食は、銭湯の隣の食品店で残った油もの総菜を廉価でゆずってもらい、コロッケやピーマン肉詰めなどのころもをはいでむさぼる、という生活をしていて、サンスクリットやギリシャローマ・古代教会スラブ語などの読書を図書館の開館時間から閉館時間までしていた。私には、読書、だった。だから、空腹のストレスにも読書の愉しさで耐えられた。私の腹は、えぐれていたが。

そのころ、アルバイトをしていた店で、「きょうの朝ごはんは食べたの?」を美しい人妻にきかれて、うぶだった私は、胸張って、
たまたま、当時、売り出し中で、たぶん、百円以下だったNISSINのカップヌードルを食べた朝であったので、「はい! きょうは、
カップヌードルを食べてきました!」と喜色満面で答えたら、「なんて、かわいそうに」と言われたのを、思い出した。



その後、私も、酒を覚え、日本や世界の各地で美味なものを知り、そうして、また、
老年のゆえに食のことを考えざるをえない年齢にいよいよなった。



それなのに、今夜は、ウイスキーに数十年ぶりのカップヌードルに、昼間に行った、

島の重箱料理の講習でつくった三枚肉やこんにゃくや大根煮や昆布煮や豆腐揚げなどが肴である。


いや、これは、後者のせいで、超 豪勢、というべきだ、な。
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時代に合わない合わせない
- 2017/01/01(Sun) -
日本の学問世界の低劣な足の引っ張り合いにうんざりして大学教員の航路を逸脱した私が



唯一就職紹介をスウェーデンのウプサラ大学の教授に依頼したのが、スウェーデン政府のルーン石碑管理官のポスト.



推挙してくれたそうだが、



スウェーデンも財政難で、現職者が定年になったら、それでそのポストは廃止になるとのことであった.



それで私は、自分を生かす就職が地上ではできぬものと明知した.




アストリッドなどの翻訳もそれを専門にしている人がいるし、




知り合いのドイツ語の翻訳家が、先人の翻訳のアラを探して自分の翻訳による改訳版を出すよう出版社に売り込んでいたのを知っているが、




そういうことを自分がしようとは思わない.




佐野洋子さんの 『100万回生きたねこ』 のスウェーデン語翻訳 
(それも、世紀の変わり目にスウェーデンで作ったものだが)



を版元の講談社に預けてあり、いつかスウェーデンで出版されたら、




それが私の地上でなす最後の自分らしい仕事となるだろう.



あとは、生活して、周囲の動物たちに食べさせてやる程度であれば、



なにをしても私は生きてゆく.



私と暮らした二人の他人の子どもたちよ、



きみらの知るあのおっさんは、



どうやら日本では生きる時代がまちがっていたようだよ.




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(ウプサラ大学学生住宅地域)


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