教えられない
- 2016/09/20(Tue) -
「アタマがよい」 ということはどういうことなのか、と
私のところに勉強にくる子どもたち、特に、高校生をみていてよくおもう.


私がこういうとき、単に、試験の点数が高い、ということばかりでなく、
よりよく生きている、ということも含む.
(無論、なにを 「よりよい」 とおもうかについて私とは意見の違う人もあろうが、それは別の話.)



生まれつきの記憶力とか、これまで机に向かってきた時間とか、人の言葉に耳傾けてきた度合いとか、
狭い島の若者でも頭能力に違いをもたらした要因は数々あることだろう.
しかし、もっと肝心なことがありそうにもおもえる.




昔、ソクラテスが議論していたテーマの1つに、
「よりよく生きるため、人生で成功するための知恵は、だれでも最愛の者、たとえば子どもに伝えたいとおもうはずだが、成功者の子どもが必ずしも成功せず、賢者の子どもが必ずしも賢者でないのはどうしてか。それは、そのような知恵は教えることができないからではないのか。いや、いやしくも〈知恵〉と呼ばれる以上、人に伝えられなければならない」 といったようなものがあった.



だから、教師は、どんな子どもも同じように優れた頭脳の持ち主に育てることはできないのか、
と言ってしまっては、ここはしかたない.



私がおもうに、子どもの能力の違いをもたらすものの大きな要因の1つに、
「世界観」 というものがあるのではないか.
これは、世界観の 「広さ」 と 「方面・領域」 の違いの二元的なものなのだが.
(しかし、後者は、所詮は前者に吸収されてしまう.
また、日長畑を耕している離島の老婆も、どんな異邦人にも隔てなく接することができる、という点で、
その 「人間観」 が無限の広さをもつが故に、また、賢明なのだ.)



たとえば、教師がある助言をしたとしても、それに耳を貸すか何も反応しないか、は
その子どもがもっている、社会や世界に対する見方によって価値づけ方が違ってくるからだろう.

言えることは、世界や社会に対する見方が偏りなく、全方向に広い子の方が有能、ということだ.


しかし、世界観を変容・拡大させることは、試験で満点をとらせることよりも難しい.
それは、その子が育ってきた環境・受けてきた感化などにより、
数年しか接しない教師が破るには牢固にすぎる習性を相手にしなければならないからだ.


それでも、教育者は進まなければならないだろう.


なんといっても、子どもたちこそが、未来をよりよくつくる創造者なのだから.



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荒野で叫び謳う
- 2016/09/20(Tue) -
きょう、ひさしぶりに人が大勢いる場所に出て、待合室みたいなところでやむを得ずテレビを観ていた.

そうして、NHKアナウンサーと相手の話を聞いていて、わかったことがある.


日本人は、相手がそう思いたい方向に沿った話し方をするものだ.たとえ、自分の見解がそれとは多少違っていても、相手の話にうなずき、その趣旨に沿いながら、自分の見解は言わずにいて、いよいよ亀裂が避けがたくなったところで、それを修正する可能性はどうでしょうか、と持ち出す.


私は、スウェーデンの大学では、討論の訓練も受けた.
相手の話に対するいくつかの応答例があって、どれが最もよい応答かを説明され、そう話すように教えられた.その教えの1つが、要点を冒頭に言う、ということがある.


しかし、それを日本人相手に行うと、自分の見解にご満悦の相手に冷水をぶっ掛けるようなことにもなりうる.


それでヨーロッパ流でよいわけなのだが、日本では、自分とは異なる意見を正面から言われると、自分の全てを否定されたかの如くこちらを憎み敵視する単細胞な頭脳の持ち主が大勢いる.

他の日本人と同様にナアナアだったスウェーデンに行く前の私は、帰国してからは、一時雇われ頭脳をしていた東京の出版社でも、沖縄のNPO団体でも(職員は内地出身者である)、私は、別に相手のニンゲンをどうとも思って発言しているのではないが、相手がご満悦の企画や行動を、「そんなことは・・・・・・だから、やめるのがよい」 とあっさり断言した結果、ニンゲンとしての私を憎まれ、とんでもない誹謗や、嘘ばかりからなる中傷、という仕返しを受けたものだった.


私は、だが、自分のそんな発言習慣を今後も改めるつもりはない.だから、ここで若者相手にも好き勝手なことをしゃべるために、勉強を教えているようなものだ.

私の任務は、人が気づかないことを天が下に告げ知らせること、人が手を出さないことを敢えてすることだと明らめている.これからも、野によばわる者としての生を全うするつもりだ.


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(本記事は2009年8月20日に書かれた.)

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進化
- 2016/09/10(Sat) -
私は身長は高くはないが身体は大きい

身長は先天的だが、身体の大きさは後天的 いや

私の人生の選択の結果だ


頭脳も、自分が十代終わりの頃に憧れたそれに現代の地上では可能な限り近づけた



残るは、未知なる「老い」と「苦」と「死」の学習である。

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権限外
- 2016/09/10(Sat) -
ニンゲンに他者の生は管理できない

たとえ、子猫いっぴきにもせよ




医師たちとて、肉体以外のところは力が及ばぬ

教師や親とて、若者の精神をカヴァできはしない


かくして


損なわれるもの 死ぬものは多く

生き残るものも常に破壊神の隣にいる



生者のこの世界とは そうしたものなのだ

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未知
- 2016/09/05(Mon) -
自分自身が変わらずに過去の自分をタイムマシンなどで見て、例えば、優れた映画を観るような感動があるのかな。その時の自分のすべてをわかっているぶん、なにも感興がないのでは。

かたや、私たちが経験してきた30代、40代、50代は、高校時代には想像できなかった光景だらけだった。
これからの老境で、私たちはどんな風景を見ることだろう。きっと、愛するものたちとの別離を数々経験しなければならないことはおぼろげに予感できる。
さらにそれ以外にも、いま想像だにできない苦が出現するだろう。見届け感じなければ。自分の生を。(高校時代の同級生の誕生日におもう.)
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