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けががくれた連休
- 2016/04/29(Fri) -
指を切断寸前のけがをした。

すぐに病院で縫合された。

いまだに出血が止まらないが、

一昨日まで存在自体で発汗した南の島が昨夜は21℃と下がり、横になっている分には気持ちよい。

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また明日から暑くなる予報だ。

猫どもと同じ連休の過ごし方をしよう。

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他者と
- 2016/04/28(Thu) -
人と人は、育った環境も頭脳も気分も主義も違うのだから、わかり合えるつきあいなどできるはずがない、という言説がある。真理だろう。私も、親や昔の恋人たちの内面をほんとうにわかってはいなかったと言うしかない。
だから、学校や職場など、その人の属する社会集団の中でも、わかり合える他者とのつきあいなどを期待してはならず、周囲と楽しく調和して勉強や仕事をすることを期待してはならない、ということになる。

しかし、セックスの最中の人々とか、政治的熱狂に包まれた集団のように、一致調和した人と人もいるだろう、という考えもあるかもしれないが、それは、自分たちとは別の何か狂熱の対象を共有していることによる一体感であり、相互に人として理解し合ってのことではない。いや、スポーツであれば勝利、会社であれば仕事の成功、というように、自分たち相互以外の共有価値の実現を目指して一致調和する人と人、ということなら、むしろ、それは、人間的相互無理解の無知を超えた、有価値な人間的営みと言えるかもしれない。ならば、それ以外には、人が他者とともに生活してゆく道はないということなのか。

━━━━━━━━

我が家の猫たちが、迷い込んだ1匹のゴキブリを数頭で囲んで狩りをして騒いでいる。私の靴なども蹴散らし放題だ。その姿は、ニンゲンと同じように、相互とは別の狂熱の対象によって一致調和して動いているように見える。
その中で、我関せずと眠り続けている者もいる。そうこうしているうちに、その1匹の虫が動かなくなったところで、一致していた集団はなくなり、各自、眠りにつく者、屋上に新しい対象を探しに行く者、食事場に行く者と、別々の行動に移った。

人は、生きるために、ひいては、自分の利益のために、他者との一致調和を常に求めざるを得ないように見える。一方、猫どもは、常に求めるものなどはもっていない。空腹時の食べ物、眠い時の寝場所、排泄したい時の清潔なトイレなどは求めるが、常にそれを念頭のおいて生きてはいない。猫にも、親子きょうだい間での親愛の情というものはある。しかし、「わかり合おう」 という意思はない。「わかり合えないんだから、相手に期待できない」 と考えて諦め落胆しているようにも見えない。そうなると、ニンゲンの悟性作用とは、害にして益なるところ何もないかのようにもおもえる・・・、という思考をする私のこの文章も、ニンゲン的愚を排除しようとしてはいるが、何か有益なところに到達できはしない。マイナスばかり気をつけても、プラスの場所がわからない。いや、何かプラスを求めようとする意思そのものがマイナスなのだ。

猫どもは、あらかた眠りにおちた。私も日の出まで眠る。これくらいは彼ら同様に確かにできそうだ。

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思考することなく意識する
- 2016/04/26(Tue) -
Facebook などを見ると、高校時代の知友などは、さまざまな社会・科学の問題の記事を引用したりして、いまも勤勉なことがわかる.

私は、いま、なにか社会や科学の問題でやきもきすることがない。たぶん、勉強を懸命にしていた20~40代もそうだったろう。少しでも早く、未解の古文書を読み解くことだけが念願で、その前は、平行棒で棒状宙返りができることが毎朝の念願だった。要するに、社会で無用の存在だったわけで、その結果のいまもそれはかわりないが。

いま私が、思考するのではなく、たまに意識にのぼせてみるのは、悲しい、という感情はどのように接すべきものか、ということだろうか。(文字にすると、心とぴったりしないのだが。)

自尊とか、自慢とか、自惚れといったような感情は、人生の幸福かもしれないが、それが愚かな感情であることはたいていの人ならわかるだろう。

では、悲しみ、とか、sad、traurig、ledsen、などと言語で述べられる感情とは、真正なものなのだろうか、と。

猫や犬も、ともにいたものが動かなくなると、一時はその周囲をまわるが、やがて、自分の生に戻るようだし、自分を悲しむ、とか哀れにおもう、ということはさらになさそうだ。
いや、こう考えること自体、いつもの私の意識とはもう異なる。

だから、ここでこの記事は書くのをやめる。

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佐野さん
- 2016/04/26(Tue) -
歯医者に行った


待合室で書棚を見ていて、佐野洋子さんの 『さかな 一ぴき なまのまま』(だったとおもう)の絵本があった


『100万回生きたねこ』 は私のスウェーデン語訳出版先を探しているところだが、


またしても猫の絵本か・・・こうなったら、これも訳してやろうか・・・


などと考えて読んでいたら、途中で名前を呼ばれた.




せっかく1回で治療が終わったのに、


また歯医者に行かねばならない.



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人間嫌い
- 2016/04/26(Tue) -
私がスウェーデンから学位論文を出しに来た日本で日本のアカデミズムに失望して大学を去り、南の離島に移り住んだのは、スウェーデンのように美しい自然があり、スウェーデンのようにほどほどの人口密度の中で生きたいと思ったからだ。そして、寒さの極はスウェーデンで十分堪能したので、今度は暑さの極を知るべきだと思ったからである。

チェルノブイリなど、世界の立ち入り禁止区域では、絶滅危惧種の野生動物が劇的に増加しているという。ニンゲンがいないことで、野生動物のサンクチュアリになっているらしい。野生動物は放射能の危険は理解できないにせよ、種の個体数が増加しているということには専門家で解釈に異論があるそうだが、言えることは、自然界にとっては、ニンゲンが最悪の存在であり、それがいない場所がヒト以外の種にとっては住むのに最適な場所だということであろう。

「ニンゲン嫌い」 と言うと、何か偏屈な精神の持ち主であると表白しているようで言いにくいが、私は、これからは、堂々と言ってみよう。そう、私は、ニンゲンができるだけ少ない場所に住みたかった。もちろん、中央アジアの大学職も得たが、単年契約更新、という条件だったので途中の日本の最南西端に止まっただけだったのだ。

コンピュータもタブレットも使うし、酒は毎日飲むし、好きな食べ物も多いが、できるだけニンゲンとはかかわりなく生きたい。成長努力する若者と話す程度のニンゲン付き合いで済まし、自分の肉体を使うことで生活の資をいただき、地位とか名誉に付随する感情は味わうことなく生きたい。北ヨーロッパのスウェーデンではほぼそう生きてきたし、いまも、アジアの南の離島でそう生きている。これが、私というヒト種の存在の自然のありかたなのである。

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FACEBOOKと
- 2016/04/20(Wed) -
Facebook をしていた、この数か月。

相手、は、高校時代の知友といまの島の知り合いと、あとは、島で私が教えた子どもたちなど、である。

携帯番号を変えたから、この数年の知り合いと、本来スウェーデン語のページなのに、昔の、私を探してくれた人達しか読者はいない。



それで、この文章のようなことは「近況」に属するので、そっちに書いていた。


この文章のようなことしか書かないから、ブログとFacebookとは両立できなかった。


このブログも、私の知友しか読んでいない(と思っているからだが)。


しかし、これからは、Facebookには、もう少し、意義のあることを書こうとおもうようになった。


(そうなったら、たぶん、なにも書けないだろう)


なにしろ、私の同窓も先生も、世情をビシバシ斬っているからさぁ・・・(⌒ー⌒)




と、いうわけで、このブログのこの記事も、


個としての私を知らない通常の閲覧者には何ら意味ないものとなるだろうし、また、なってしまったが、


とりあえず、


こんな感じですよ、このサイトは、と言うだけの幕間とさせていただきたい。


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