それでも、生きてゆく ep6
- 2016/02/26(Fri) -
昨日から観続けているドラマも中盤を越えた。


幼い娘を殺されて


強き狂気を演じられる中年のテレビ女優は、大竹しのぶ しかいない。




それを受けて




幼女を殺害せり息子を血縁なきが故に苦悩しながら崩れおちない母親を演じられるのは


『金狼』 の風吹ジュンしかいないだろう。



二人の悲劇の母親役が堅牢に映像をつくっている。


(このあと、急に登場人物たちが愚鈍になり、殺人者が次の場所へ移動しているのに、男たちは被害者の病院で夜をあかしたり、さらに、昼になりクルマのある者が他者を家へとのんびり送り届けるとか、一方、殺人者がやってきた者たちは複数なのに警察に連絡しないで怒鳴りあいもみ合うだけなど、視聴者に好事的興奮を喚起するだけの台本となり、私は落胆して観ることを止める。)
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同伴者
- 2016/02/26(Fri) -
離島に来て、必要から、四十終盤で運転免許をとったときは、



大型犬を飼って、碧い海辺にドライブに行くことを夢見たが、



犬はいまはいない.



その代りに、猫がいるので、



猫を車内に自由にさせて一緒にクルマで出かける.



赤信号も猫がそばにいるのでイライラしないで、むしろ愉しい.



ただし、私の膝にのってハンドルを持ちたがるやつ、



私の頭に上って肉球で私の目を塞ごうとするやつには厳しく注意している.




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それでも、生きてゆく ep1
- 2016/02/25(Thu) -
仕事が休みで、タブレットをいじっていて出合った標題のタイトルのドラマを観てしまった。

いま第1話が終わった。

童話 『フランダースの犬』 の解釈が根底でドラマのテーマを支えているようだ。

ネロもパトラッシュも、あんなにつらいことばかりあって、なんのためにあの話があるのか
ネロは生まれてこない方がよかったのではないか

というような疑問が幼い子どもから提出される。



昔、犬を私が小学生のころ我が家は飼っていて、その犬の死にあったとき、

その数年前に 『フランダースの犬』 を読んでさめざめと泣いた経験のあった私は、

ネロはパトラッシュと一緒に死ねて幸せだったのだ、いま生き残らされた私などより、とその童話がにわかにハッピーエンドに思われだしたことがあった。実際、死んだネロとパトラッシュの上に天使が舞っていた・・・


というようなことをそのドラマを観ていて、初老の私は思い出した。

しかし、ドラマのテーマは無論、犬ではない。

おそらく、タイトルの 「それでも、生きてゆく」 に繋がると予測されるが、ワンクール期間続いたドラマゆえ、もっとそれが人間的複雑さを帯びてくるのだろう。


* * * *


そういえば、

実際に白猫を飼っていらした佐野洋子さんは、

「わたしゃ、猫はきらいだよ。ほしけりゃ、その猫あんたにやるよ」

と炬燵の私の体側にいる白猫についておっしゃった。

その私は、いまは炬燵のいらない土地で猫8頭と暮らしているが、いまでも犬が大好きである。猫よりも。


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たいていの猫はドライブには不向きです

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遠浅のサニツ浜で

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サニツ浜・相撲土俵で

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青少年施設構内で・散歩の途中

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草原に出ると野生全開♪

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キミは忍犬か(^^♪
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永遠の眠り
- 2016/02/25(Thu) -
私が猫を撫で愛するとき

そこにはただ全き平穏が存在し続くばかりである

これまでの人類の歴史の中で

猫と私のような時を過ごしたものたちは無限の無限ほどいただろう

そのものたちはみな どちらかが亡くなった時は生き残ったほうが

別離の場合は互いに生きて なんらかの喪失感に苦を感じてきたのだろう

別離の苦は 断崖のように 急激に 厳粛に 抗うこと能わぬ威力で現出する

生物の世界の 愛し合うものたちの時間は そうして急激に断絶する

急激な断絶の苦を 歴史は無限の無限に創成してきた

あるとき私が心臓の不調でたおれた瞬間は 私に愛するものがいなかったからか 

私は救急隊員に もう死なせてくれないか と穏やかに言えたが いまならどうか

かたやこれまで私の腕の中で息をひきとったものたちは

理由のわからない苦のうちにも 眠るように動かなくなった

眠るように またいつか目覚めるまで 眠るように


これからも これまでの愛し合った無限の無限の死者たちのように

私のところにも眠るように動かなくなるものが出

私も どうあがくかわからぬが動かなくなる

長い長い歴史の中のほんの刹那一瞬のような私たちの生の中の愛の時間の終焉



そんな刹那一瞬の断絶の時になにを憂い苦しむべきや

これら小さき毛物たちは 人間的愚を離れて 速やかに苦の眠りを受け入れるだろう

別離の難儀に耐えるだろう


きっとそうにちがいない きっと


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Facebook
- 2016/02/24(Wed) -
高校時代の友人がどうやってか私の Facebook に連絡をしてきた.


私は、それまで、アカウントは開いても放置していたままで、ただ、


遺稿になる可能性のある

『100万回生きたねこ』 のスウェーデン語訳原稿を、生前に世話になった佐野洋子さんのためにも北欧で出版されるようにと、
Facebook に公開しておくためだけに利用していた.
それまでは、日本の版元の講談社に許可なく利用されていて、その後、版権担当の役職者から正式な謝罪があったものの、私がいま日本にいる間は黙ってもっていても仕方ないので、

世界の愛読者と、スウェーデン語学習者のために公開したわけである.

━━━━

しかし、旧友のおかげで、Facebook を時々みるようになって、当初の目的より、

高校1年のころの同級生たちが、

いま社会でそれぞれの専門分野で活躍していながら、


社会のさまざまな出来事について昔通りの機知あふれる、あるいは、昔通りの生真面目な発言をしているのを読むのは、

それはそれですこぶるおもしろい. 私のもののような下手なブログなどよりも.



私の大学生時代は、日本とスウェーデンでのそれにわかれるが、


日本では、ワープロからようやくパソコンに学生がシフトし始めたころ、携帯電話もトランシーバーみたいなものしかなかった時代であり、
スウェーデンでは、学生寮のどの個室にもパソコンができる設備があり、学生はカード型の携帯電話を使用していた時代だった.



いまの日本の高校生は、スマートフォンを絶えず玩び、昔の私のように、


寝床でする娯楽といえば読書ぐらいしかなかったころとは別世界の住人となった.


日本の大手の大学の研究室も、どの学生にも私用のパソコンを使える研究室があるのが普通になった.どんな 「勉強」 なのか知らんが.






ソクラテスも、ゴータマも、

そして、私のような凡人も、


みな時代の子なのである.



しかし、


時代が進んでも、




道行の景色は異なっても、歩むべき足下の道なる大地はみな同じで、





本性と頭脳の進歩には、




道具の存在は関係ないことのように思える.




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季節
- 2016/02/24(Wed) -
この、日本としては最南西端の離島の一つにも

短い春が来ようとしている.

短い春の後には、蒸す夏、そして、そのあとには、焦げる夏、が来ることになる.

五月の薫風、というものはここにはないわけだ.


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先日、一度、急に気温が27°になって、前日までエアコンは暖房だったものを、急きょ冷房にした.

我が家の毛物どもも、いつもはエアコンの送風直下に丸くなっているものを、

いそいそと屋上に出かけた.

そして、逆に、強い日差しにあって、みな日陰に避難するありさまだった.





猫も私も、たった半日の気温の変化でも、暖を求めたり冷を求めたり右往左往するわけである.


生物の快適温度など、


決して幅があるわけでもなく、ほんのある特定の体感温度を境にして、


微妙なところで暑がったり寒がったりするだけのだろう.


それなら、


スウェーデンのように、





夏は路上で午睡できるほどに心地よく、



冬は凍結した路上を靴底を通ってのぼってくる冷気を感じながら歩くぼうが、



まだ、ぼんやりした四季ある場所よりも、激甚な二季の場所として、



異なった季節を味わえるということできっぱりとしていておもしろいのかもしれない.


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