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神ですら それぞれ を かわいがる
- 2015/12/29(Tue) -
(今回は、タイトルだけです.)


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(写真はタイトルとまっったく関係ありません)





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現代愚
- 2015/12/27(Sun) -
仕事帰りにクルマを走らせていた。

ラジオからは、能天気な島の歌謡が流れていた。「お通り」 という酒の飲み方を称揚する宴会唄である。

仕事帰りで開放的になっていた私も、そんな唄に心の半ば近くまで同調したようだった。

その直後、雨の道路に、小型の野良の、首輪をつけながらも薄汚れたチワワ犬を見た。

ペット動物の幸福は、ひとえに飼い主の意志甲斐性にかかっている。それに 「はずれ」 た犬だろう。

私の心は、ラジオの能天気な気分と、ニンゲンの阿呆未熟の結果に辛酸をなめている動物を見た苦悶が同時に満ちた。

相容れない感情が同時に発生する、───






現代人ならではの悲劇である。



昔なら、



ヒトの心に去来する心象風景など、単一のものだったはずである。



しかし、現代人は、否応無しに飛び込んでくる情報と、昔ならなかった自己の移動能力で見聞する情報とで、

まさしく、「悲喜交々」 の感情を同時に体感しなければならないことが頻繁にある。



矛盾する感情に同時に苦しめられることばかりでなく、自分の真の心根が那辺にあるのかわからないことが、

現代に生きるニンゲンの不幸、いや、すでに欠落存在となった証拠である。





ヒトによっては、そんな否応ない周辺情報を特定のものに制限し、

そこに耽溺し、

自らが巨王になったかのような精神生活を維持することもできるだろう。

そして、残忍な犯罪などへと突き進んで一毫の後悔反省もなしでいられる者もいるのだろう。

いずれにしても、現代ならではの欠陥存在品である。








生きていれば、血涙を振り絞るような苦しみを数度は味わうことになろう。


猫という動物でさえ、目前で子どもの無残な轢死を見ることになる生涯もさして稀有なことでなかろう。


まして、複雑な社会生活を営むニンゲンは、血涙腑臟を絞り出すような苦悶を幾度か経験しなければならない。





それに加えて、冒頭に書いたように、

自己の真の感情がどうなのかも自覚できない環境情報の怒涛洪水の中で呆然とせざるをえない。





ニンゲンは、もはや、美しき強き存在ではありえないのか。

矛盾と混濁した意識でうすら笑いを浮かべることを目指して駆けるしかない存在になったのか。





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ガメラ対ギャオス
- 2015/12/27(Sun) -
日曜で仕事が半日で終わったので、家に帰って、ウイスキィを飲みながら、
インターネットで

昔の映画 『ガメラ対ギャオス』 を観てしまった。


これは、


昔、なぜか、手塚治虫の漫画と、映画館通いを私に教えた母と、いまは亡き弟と一緒に観た映画だ。





亡き弟のことを思い出し、


そして、いまも実家で独りで暮らしている80才過ぎの母親をおもい、


またなにより、

ガメラは、




ニンゲンに理解されなくとも、


自分の本務、つまり、


地球を守る、子どもを守る、


ことに精励していることに、涙が溢れた。


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ヒトの可変性
- 2015/12/05(Sat) -
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沖縄の離島で学習塾みたいなことを夜している前の昼間、


知り合いの農園で農業をしている.


お茶の休憩は午前10時と午後3時にある.



きょうも、だれかからビニール袋にいっぱいの天ぷらをもらい、



それと沖縄のお茶とでおなかを満たした.



内地にいたときは、天ぷらは、食事にご飯とともに食べるものだったが、



沖縄では、お茶とともに3つ4つとつまむものであることを体験し、それを満喫している.



天ぷらは、たいてい、玉ねぎとにんじんともずくのかきあげである.



暑い気候がそんなものと冷たいお茶とを美味くさせるのか.







スウェーデンにいたころは、日本よりも薄い乳脂肪の牛乳をパックごとラッパ飲みしていた.




私ばかりでなく、スウェーデン人の男子はふつうである.私は彼らのマネをしただけだ.




しかし、乾燥した空気の北ヨーロッパでは、それももっとも自然で、



いてつく氷と雪のクリスマスのころには、チョコレートの袋をかかえてぼりぼりむさぼっていた.



それもスウェーデン人のしていることである.





気候と風土でヒトはかくも簡単に食性さえ変わるのである.



教育や訓練でも、もっと簡単にヒトは変わるだろう.



ヒトほど、変化して変化しての連続の生物もいないのではないか.




たぶん、それが、ニンゲンの強さでもあるし、たぶん、弱さでもあるのだ.





まあ、暑い日差しの中では、天ぷらぐらいしか安心して食べられないのだが、それでも、ウマい.



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実力主義
- 2015/12/01(Tue) -
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このサイトの各所で、


スウェーデン社会は実力主義


ということを書いているが、念のため書き添えると、


この点は、アメリカも同様である.



伝統からセックス観までまるで違うスウェーデンとアメリカ社会であるが、



実力主義である点では、ヨーロッパもアメリカも同じである.



日本だけが、



情実 とか


コネ とか


采配権者の好悪の感情 とか



いうものにあからさまに左右される人事を行うのである.


島国根性 とか


いうものと関係あるのかしらぬが、


日本は確かに透明性を欠く社会で、それが、


他国の識者には、


未成熟な人種


精神的な後進者の国


という印象を与え続けているのである.


中国や韓国との問題にしても、


日本の幼稚性が払拭されない限り、


世界は日本の訴えをまともに聞きはしないとわかる日が


いまの若者たちが世界人となるころには来ることを願うばかりだ.




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