スウェーデン流と言っていいのか
- 2015/10/26(Mon) -
イリス・ヘルリッツの 『スウェーデン人』 によれば、
スウェーデン人流の個人主義の心情は 「そっとしておいてもらいたい」 という気持ちだとある。
確かにこれは、fridlysa という動詞によって表される
環境、生物、他者のモノ、などあらゆることに対するスウェーデン人的な態度でもある。



私がここ沖縄の離島に来たのは、
直接的にはある海洋生物の自称 「研究所」 の職員として自然環境相手に世界について考えようとしたからだが、
それでも、自分の気持ちの奥底は自分でもなんとなく不思議でいた。



以前所属していた会社の同僚は
「○○さんは 『北』 のニンゲンかと思っていたのに、そうじゃなかったんだ」
と言ったが、無論、私は、いつまでも自分が留学したことを自分の看板にして生きるような男ではない。
そんな私に、ここ沖縄の離島にいても、携帯電話やメールが以前の同僚からくる。


それらがもたらす 「困惑」 をある知り合いにこぼしたところ
「どうしてあなたをほうっておいてくれないのかしらね」 と言われた。


そう言われて、別に私は隠遁者ではないのに、といささか違和感を抱きもしたが、その知人の言葉は
もしかしたら、私の心情を最も的確に表しているかもしれないとも思うようになった。



先のニセ研究所を出た私は
ここ別の離島では、
生きるために身体を動かして汗流し働くことと、土地の元気な若者に私の伝えたいことを話す以外なにもしていない。
半隠居、というより、もう完全に死体になったような感覚である。
「…が欲しい」 とか 「…になりたい」 とか、「…をしてみたい」 とかの感情がまるでない。
いまだに大学・教育機関から私になにか求める通知がくるが、
そういえば、・・・あれらの封筒やメールは開封する前にどこにいっただろう・・・



そんな自分を自分でも 「こんなんでいいのか?」 とも多少は自戒していたが
先ほど開いた前掲書の一節を読んで
まあ、自分はこれでいいか、とおもってしまった。



こうしてまた、多数派の日本人の中での異人が一人できあがってゆくのである。


b



(本記事は2009年3月15日に書かれた.)
この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
スウェーデン人の男女の友情
- 2015/10/22(Thu) -
(2011.12.24.記)

クリスマスが来る.
スウェーデンの大学学生寮は、きっと、東洋と南米の学生以外はいなくなる季節だ.
暗く、白い風景だけが延々と広がるなか、しかし、
共同キッチンの窓などには、スウェーデン人学生がきれいな電飾やツリーをのこしていってくれる.


私のスウェーデン人女子学生の友人に、こんな娘がいた.

私に、独りでコリドーにのこるのはさみしいだろう、と

カセットテープに彼女が選んだ音楽を入れて、私にくれていった.

(私の留学時代は、パソコンが一般化し始めたころ、しかし、携帯電話はまだもっている日本人が希少だったころの話である.)

その彼女は、その後、

私が、日本の 『100万回生きたねこ』 という絵本をスウェーデン語訳して、

大学の教員たちからスウェーデンの出版社に持ち込むよう勧められたとき、

一緒に活動してくれた子だ.

たしか、私は、出版されたら、印税は折半、とかまで言っていたとおもう.



それくらいの関係でも、無論、「友人」 である.

私は、彼女のほかにも、私に部屋の鍵を預けてラットの世話を頼んで帰省する娘、

私を泊まらせてくれる娘

等、スウェーデン人女子学生の友人がいたので、

彼女らとも、男の友人と同じように、性的な匂いなくつきあうことができていた.



─── 無論、そんなことは、日本では通じない.



その後、あるいは、いまでも、私は、日本人の間で、


堅苦しい、窮屈なおもいをし続けているわけである.




k


この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
マドレデウス、彼らもヨーロッパ人
- 2015/10/17(Sat) -
左下プラグインにある、ポルトガルのマドレデウスの音楽が溢れるヴェンダースの映画 『リスボン物語』 のDVDが出て、1か月ほど前に買うことができた。

私にその映画を教えたのは、いまはもう訣かれた昔の恋人だ。彼女の思い出は無論きえることはないが、その映画と音楽は、いまふたたび新鮮に私のもとに戻ってきた。


私がその映画を観たのは、まだスウェーデンに行く前だった。当時の私は、老いかけの主人公がマドレデウスの若い歌い手にほのかな恋情を示しているように感じた場面に違和感があって仕方がなかった。しかし、スウェーデンに行って、というより、そこで、スウェーデン人を始め、ロシア人、フランス人、イギリス人、ドイツ人、フィンランド人などの女性と親しくなって、映画の主人公の仕草・言葉が、なにも違和感なく感じられるようになっている自分を今回約10年ぶりに観た映画によって発見した。


文化が異なれば、思考習慣も行動様式も変わる。それは当たり前のことだろう。


ある人を見て、違和感ある言動に接したとき、想像力と内面の余裕のない者が、それを軽々に非難排斥することはよくありがちだ。私も、南の、以前いた沖縄の離島のNPO団体の 「内地出身の職員」 からそのような排斥を受けた。島ネイティヴの人は、ヨーロッパ化された私にも内地出身のNPO職員にも同じに寛容に接してくれるが、「島とはこんなものなのだ」 という 「にわか島人」 になった、しかも、若く自己顕示欲のみ強い若者たちは、自分には未知の世界を遮断・攻撃するしかできなかった。憐れむべき無知がそこにはあった。


たぶん、それは、彼ら、仕事をしないで遊興三昧のいかがわしい件のNPO団体職員がもつ、「個人」 の愚かさにすぎないはずだ。それが、日本人全体の無知だとは思わない。


s



(本記事は2007年12月5日に書かれた.)
この記事のURL | 世界 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
期せずして、そうなのか?
- 2015/10/12(Mon) -
10月9日の夜から、猫が私の股間で丸くなり始めた。


寒いから? 網戸で掛け布団なしで寝ている沖縄県先島諸島の秋である。


たしか、数年前にも、このようなことを書いたことがある。


そして、ヨーロッパ北の、スウェーデン、ウプサラ大学時代には、この10月はじめに、初雪が降り始めたものである。


私は、Tシャツの上に、フード付きのコートを羽織って、スウェーデン軍払い酒の足ブレーキの自転車(500krほど)で、雪の中を登下校していた。



季節の変わり目は、北半球で同じなのか、自然科学に弱い私はわからないが、生物としてそれを感じられることは、おもしろい。



20150917-115239.jpg
この記事のURL | ある点描 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
女性の輝く社会? 笑止
- 2015/10/08(Thu) -
人が正当に輝く社会






をこそ作るべきなのだ.








日本人女性は、日本人全般同様、世界的に立ち遅れている. 未熟なのだ.


弱者被害者面して女性の権利とかを叫べば 「優遇」 してもらえると思い込んでいる者が大多数.


真の実力で、男女の群れから立ち上がろうとする女性は少数.


そんな、甘えん坊女子を厚遇したろころで、社会は進歩しはしない.




スウェーデン人女性は、世界で最高の収入力がある.




彼女たちの、おおらかさと、実力主義を、日本人女性も学習すべきことが第一歩である.



児童虐待が過去最高の今年、首相は女性にほほえみかけるより、
もっと真剣にはらわた絞って思考すべきだろう.
スウェーデン人の子どもの扱われ方をこそ学べ.児童には選挙権はないけどな.






日本は、いつになったら、真に、世界に出るのか、まだまだ先が見えない.


この記事のURL | 世界 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
資質になってしまう
- 2015/10/07(Wed) -
外国語に堪能になるかどうかは、
(有名大学の受験に受かる程度の英語力はここでは低レベルゆえ扱っていない)


人間力



によるのだ。



東大の読解問題をみろ。



東大が求めているのは、



成熟したニンゲン



なのだ。





なぜなら、



難解な文法問題を解ける頭脳よりも、








ヒトの 




おもい





をわかる、或いは、類推できる、ニンゲンの方が、




世界のためになる、つまり、東大が輩出したい者であり、

その者への第一関門が入試で、それで、まずおおざっぱにふるいにかけようとしているからだ。
(無論、授業で、或いは卒論で、果ては教授とのニンゲンとしてのつきあいで、さらに人材はふるいにかけられるのである)






受験生、つまり、18才ごろのきみら若造どもよ、








自分を、

より優れたニンゲンにするための生活をせよ。



それ以外、きみらがする生き方はいまはないのだ。







この記事のURL | 言語 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
慶賀すべき
- 2015/10/07(Wed) -
第三次安倍改造内閣発足より、

入手したきはだまぐろのアラの油炒めを我が家の毛者どもが爆食していることのほうが慶賀.

国民として申し訣ない.

この記事のURL | ある点描 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
毛者がヒトに教えてくれる
- 2015/10/04(Sun) -
近未来から来たために、北欧と古代の全印欧語の翻訳者が、現代では英語の学習参考書を書いている時代のこのブログを読みに来ている人々の中で、若いヒトがどれだけいるのかわからないが、





きょう、いまから書くことは、

ヒトの 「生」 には、ほとんどカンケイないことだから、ここでサイト移動したほうがよいことを予め書いておきます.


* * * * * * * *


若い恋人どうしは、よく(?)、まぁ普通は女性の方でしょうが、






相手の足(靴)を踏んで話をする

ということがありはしないでしょうか?



私のかつての恋人の中には、年上年下関係なく、そういう仕草を私にする女性がいました。

無論、靴が汚れるので、私は、「何すんだ」 と理由をただしたものです。

相手の答えは、「わからないの」 というものばかりでした。





* * * * * * * *





我が家の毛者同棲者たちが、同じことをする。



あえて、私の足を踏んで私の前をゆっくり行き過ぎる.


私の足を踏んだまま、私を見上げる. 

等である。




毛者たちの気持ちはいまはわかる。



さすれば、昔の恋人たちの気持ちも、そうだったのか、といまわかる。






世の、恋人に足を踏まれているヒトたちよ
(最初に書いたが、このブログの読者にそんな人はいないだろうが)




きみの足を踏みながらきみを見つめる恋人に決して憤慨してはいけない。



相手は、理由もわからず、そうしていて、


それは、生物共通の親愛の情の表現なのだとおもtって、


どうか、笑顔で、


許してやってほしいのである。



20150128-140256.jpg
この記事のURL | ある点描 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |