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男女の隔て
- 2014/08/22(Fri) -
日本人よりも、外国人のほうが、男女の間の距離が近そう、あるいは、フランク、あるいは、闊達、であろうことは、TVの外国映画などで感じた日本人は多いだろう。もっとも、その大半はアメリカ社会の描写なのだが。

スウェーデンでもまた、その通りで、日本人としての私の偏狭な 「人・異性との接触の常識」 は覆された。そして、「アメリカ」 と比べても、スウェーデン社会の男女の壁ははるかに融通がきいていた。アメリカやドイツやロシアから来た女子大生たちも、私同様に、スウェーデン人の女性教員の自由さには驚きを隠さなかった。

1人暮らしの女性でも、家に招いて晩餐をともにする男性は何人かいるものだった。私も、何人かの女性にそのような招きを受けて家に行った男の1人だった。

無論、そこになんら 「いかがわしい誘惑」 などがあるはずもない。日本流の誤ったスウェーデン観(あるいは、誤った 「性意識」)のせいで、そのような場合、「家に招かれたらOK」 などと勘違いする輩は、スウェーデン社会には存在する場所がない。

男女が親しく出会っていると、すぐに性のにおいをかぎとる日本人たちは、自ら道徳家ぶって他者を非難糾弾することで自らを高めていると思っていることだろうが、日本社会ではいざしらず、一人間としてみた場合、自らの 「世界」 を狭隘なものにしているだけのことだ。

そのような人は、人類の半数と 「親しく、効果的に、意義深い」 つきあいができる機会を抹殺しているのだから。

自分より優れた人格、自分にない感性をもっている人、自分が学べるところのある人間 ―― そういった人間を排斥することしかできない日本人は、ちっぽけな 「地位」 や 「利権」 を手にしてそれを守り享受することしか願うもののない者に実に多く存在する。

なぜ、自分にない能力をもった人間を、性意識やコンプレックスのゆえに歪んだ扱いしかできないのか。

もっと世界を見ろ。もっとひろびとろと人間を受け入れよ。異性でも、その能力・人格・感性のゆえに尊ぶ心を身につけよ!


(本記事は2007年12月13日に書かれた.)
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日本の未開
- 2014/08/18(Mon) -
スウェーデン人男性が、金髪長頭でおだやかで最高、という記事がいまだに日本では耳目を引くようだ。





スウェーデン人男性の真の良さはそんな外見ではない。

そういうことは、ヨーロッパの女性なら当然に知っている。

しかし、高身長とか碧眼金髪でキャアキャア騒ぐ人種もいまだにいる。





日本は、本当に、西郷や伊藤がなんとかしようとした時代を未だ脱していないのだ。未来の日本史は、いまを、西欧の文物を数ヵ月遅れで受け取って大喜びしている、かつ、男女の関係意識も未だ江戸時代から変わらぬ、




黒船を受け入れたから開国をし、とうとう先進国になったと錯覚している、誤謬の似非先進国時代の日本、と記述することだろう。





早く早く目を覚ませ、日本人。






たかだか地球の、優れた民族さえ、きみらとはまるで違う精神世界の高みで生きている、ということを知りたまえ。










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佐野洋子さんの白猫
- 2014/08/02(Sat) -
夜中に、猫がわき腹にはりついているので目覚めた.




* * *




『100万回生きたねこ』 のスウェーデン語訳をいまから12年前に日本にもってきたときに、




「めずらしく」 佐野さんが人に会いたいと言っている、と版元が言うので、指示されるまま東京郊外のお宅を訪ねたら、




佐野さんは白い猫とふたり暮らしであった.




その、佐野さんの家の白い猫は、私の胸に乗って一晩中、白い艦船のようになって寝ていたのに、




いまのうちの猫は、私の胸に乗ってくることはない.




私があのころのほうが若くて肉づきがよかったからか.猫の趣味の違いなのか.





テレビと蜜柑の炬燵で、昼食夕食の間もずっと初対面の私の横になぜかその白猫がいたので、




佐野さんは、




「ほしけりゃ、その猫やるよ」
(これは私の文体ではなく、その時の佐野さんの言葉そのままである.)
とおっしゃった.




無論、スウェーデンから一時帰国した私が猫をもらえるわけがない.




西暦2000年冬のことである.





もう、あの白い猫も、この地上にはいないであろう.





もしかしたら、佐野さんも100万回ねこと同じように、白い猫のあとをおってゆかれたのかもしれない.





あの人なら、100万回でも生き返り、どこかでいまも涼しい顔をしていることだろう.






瞑 目





朝まで、独りで眠ろう.





k

(20120405)
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ウプサラ大学学生気質
- 2014/08/01(Fri) -
130419
これは、本サイトに書かれたさまざまなスウェーデン人学生気質の附記に当たるものである.




私が住んでいたのは、個室12人で共同キッチン共同リビングを使うコリドー住宅だが、



そこで、私は猫を拾って飼っていた.





無論、学生寮でペット飼育は禁止である.




しかし、コリドーの他の11人は、




それを通報するどころか、




私の猫が共同リビングのソファの上や




女子学生の部屋のベッドとか




共同キッチンのテーブルの上にいるのをみんなで大切に扱った.




マウスを飼っていた隣のニーナは、




私の猫を自由に部屋に出入りさせて、

 


夜遅く、「そろそろドア閉めて寝るから」




と猫を返しに来たりもした.




コリドー奥のロッタは、




どうやっていつ運び込んだのか、




部屋の一角を床から天井まで檻を作って




体長1m以上あるオオトカゲを飼っていた.




私が寮で猫を飼っていたことは、大学の先生ばかりでなく




私たち外国人学生を管理する留学センターの所長もまた知っていて、




私が差し上げた私の猫の写真を事務所に飾っていたりした.





このスウェーデン人の、「融通がきく」 と言うのでは到底たりない 「寛大さ」 はなんなのだろう.




ルールは厳守で、
タバコを吸いたい者は、零下20℃でも共同リビングの外のベランダに出ないといけないのは厳守する一方で、




存在を許された私の猫やニーナのマウスやロッタの大トカゲなどは、




たぶん、それが、規律や制度に厳格なスウェーデン人の




「やさしさ」 の側面を支えている気質なのだとおもわれる.




こうした点も、




言葉や理屈では説明できないし、伝えられない.





私のように




異文化を背負って彼らに接した者たちのみがわかることなのだ.




まあ、それを知っているといっても、




別に、自分が心地よいだけで、特に利点はないが、




「知」 というものは、そんなものでじゅうぶんなのだ.





u
(Uppsala Centralstationen)




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