2013 03 ≪  04月 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2013 05
また、sista april
- 2013/04/29(Mon) -
20120429


また、4月末日がやってくる.


私がいた間は、毎年、ウプサラには、興行遊園地が設立され、


普段は、公共の場では禁止の飲酒が、この日だけは許され、


学生などは、20分近くかけて、ゆっくり、学生寮から市街へと瓶ビール片手に集団移動する.


なぜ、集団になるかというと、


この日は、朝食として、


シャンパンとフランスパンとイチゴ、というものが決まっているので、


それを、コリドーでみんなで食べてから市街へ出るため、


みんなだいたい同じ時間になるからである.




そして、この日は大学が休みなので、カロリナはもちろん校舎には入れない.


有料トイレをドアが閉まらないように交替で使うか、


路傍の茂みで用をたすことになる.


いきなり、植え込みから女の子が跳び出してきてお互いにびっくりしたりする.




4月上旬までカロリナ裏を覆っていた雪と氷もこの日には毎年溶けて、

大きな湖みたいになっていたものだ.



明日も、スウェーデンは晴れるであろう.




u
( Uppsala )
この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
スウェーデン人のセックス
- 2013/04/25(Thu) -
私はスウェーデン人ではない、ということの意味は、スウェーデン国籍がないというばかりでなく、
スウェーデンで生まれ育ったわけでもないし、また、スウェーデンに住んで何十年もたつ、というわけでもない、ということだ.


しかし、私は、スウェーデン人のセックスについて語ってもよいだろう.
私が自然におもい、そう行ってきたことが、日本ではいくぶん普通ではないことのように言われることを経験してきたからだ.それは、そう言った人々が偏狭無知蒙昧だったということなら一般の日本人諸氏には以下に書くことは至極当然のことになるであろうが、その判断はこれを読む人がすればよい.


私は現在で52歳になるが、結婚歴は一度もない.私のスウェーデンでの先生たちもいまの私とかつて同じだった.
それでいて、彼女たちでも、家に泊まりがけで酒を飲んで話す男友達は数名いた.
私も、親しい女性友達は数名いた.それは、「何股かける」 とかいうのとは違い、興味深い頭脳人格の持ち主で、昼間は落ち着いて話せないから夜来てもらうのだが、そういう人がたまたま異性のこともある、というだけのことだった.
異性⇒深夜⇒性行為、と連想するのはふつうの頭脳ではない.

恋人は、そんな異性の友人とは別に、つくったものだった.それは、セックスする相手であるとともに、人生を共に歩み同じ目線で世界を観てゆくパートナーとしてだ.

それに、スウェーデン人はセックスに対して緊張興奮しない観方をする.
食事の席につくのに緊張興奮する日本人がいるだろうか、セックスすることもまた同じでよかろうに.

そういえば、かつて私がスウェーデンから日本に一時帰国したころ、
日本ではセックスのことをあるアルファベット1文字で表し呼ぶ風習ができていた.私が知りあいの親しい女性などにふつうに 「セックス」 と言うのに、彼女たちはそれをきゃあきゃあ興奮したようにさわいでわざわざそのアルファベット1文字に言い換えていた.私は、その言い方に違和感が強く、かつて一度も使ったことがないが、日本では、逆にセックスを 「セックス」 と当たり前に呼ぶこともまたいかがわしい行為なようだ.


性という、どんなニンゲンにとっても生活の基本要素の1つである事象を、
ことさらに直接表現を回避するかのように別の言い方にしてみたり、
その行為にあるときは不必要なまでに厳格なくせに、その商品化には世界でもっとも熱心な国民となった日本人.

性に対してかように不自然でいびつで奇矯になってしまった国民は、男女のあり方にもまた問題をかかえざるをえないだろう.

自分が出会う同国民の半分に対して妥当な対応ができない者たちに、よき社会づくりができるのだろうか.


私の疑問がまちがっているのかどうかは、それは、世界に出て、他国民がどうかを実見した人にしかわかるまい.


b


120908

この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
スウェーデン人が教えてくれた映画
- 2013/04/24(Wed) -
スウェーデンの12人のコリドー生活で共同テレビで映画やビデオをよく観た.


私は、スウェーデン語の字幕と英語のセリフとでスウェーデン語の勉強にもなった.



ブレイブハート



シンドラーのリスト



恋愛小説家



日本映画の ブラックレイン



私はスウェーデンで観たのだ.


そして、

Strictly Ballroom

は、コリドー全員が熱狂して観た映画だった.


♪ Love is in the air ...


の最後の音楽では、私たちもみんなとなりの者と踊っていた.


映画そのものはオーストラリア製だそうだが、



あの 晴明で、愛情に満ち、前向き ひたむきな空気は、

スウェーデン人から私が身にしみつくほどに教わったことがらだ.




あいにく、日本にはそんな空気がないのが物足りないが、もう


私も人生終盤だから、そんな空気を知っている、というだけでじゅうぶんだ.



ballroom.jpg

130408
この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
美味 とは
- 2013/04/22(Mon) -
いろいろな人々に紛糾を及ぼしそうだがあえて書くが




私がいままで人生でいちばんおいしいとおもった食事の日々は




スウェーデンから帰国して暮らした恋人とその子どもとの夕飯だった (朝飯は私が作る決まりだったから.念のため).




次位は、やはり、一時帰国して日本で仕事していたころ、毎晩終電近く実家の横濱辺境の駅に帰ってきて毎夜飲んだ居酒屋での時間だ.




そう、




食事が うまい、




とおもうには、




何を食べたか、




とは関係ないのである.




前者は、尊い者との




後者は、




束の間の一時帰国のやすらぎの時間で、自分が 「熱燗」と言っていた以外毎晩何を食べたかも覚えていない.





無論、本格的に日本に戻って一緒に時間を過ごした少女との数々の食事もおもしろかったが、





記憶にあるのは彼女の笑顔で、食事は外食だがら、その記憶は皆無なのだ.





うまい、





と人がおもうのは、多分に、その状況環境によるのではないか.






やすらげる愛する人と一緒であれば、





お茶漬けさえも 美味 なのだろう.





となると






スウェーデン時代は、






私は元気にたくさん食べたが、何が美味だったかは覚えていない.






美味の記憶も、その背後にある笑顔も、日本人だけだ.







m
(当時の後者の少女.彼女ももう大学受験である.)


この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
スウェーデンで飲んでいたもの
- 2013/04/22(Mon) -
日本に戻って十年を超えた.



その間、継続的に、ミネラルウォータをまとめ買いして飲んできた.



職場にケースで取り寄せて机の横に水の箱を積んで仕事をしていた時もある.



私が日本で飲んできたのは、ヨーロッパの硬水だ.



飲むなら軟水がいいという人もいるが、スウェーデンで硬水に慣れてしまったのでこっちのほうがよい.





しかし、スウェーデンでは、ボトルのミネラルウォータを買ってまでして飲まなかった.




カロリナでの勉強の合間に飲んでいたのは、




1.保温ポットにいれていったエスプレッソ


2.水道水に味をつけるタブレットをいれた水



である.


夜は、ウイスキィかビール.ミネラルウォータを特に買いはしなかったのだ.



ああ、そうそう、なにより常飲していたのは、



3.パック牛乳



だった.




冷蔵庫から出してそのまま机の上にのって冷蔵庫に戻らないことも多かった.




だから、買い物の主要物はパック牛乳となる.




さまざまな濃度の多様な味付けの牛乳がある中で、少し軽め(乳脂肪分が薄い)の味付けなしのものである.




それをスウェーデン人のように水代わりに飲んでいたので、




日本に一時帰国すると、身体が大きくなった、とよく言われたものである.



20130409-082011a.jpg



この記事のURL | 世界 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
スウェーデン人の仕事観
- 2013/04/21(Sun) -
前回、スウェーデン人の公務員のことに言葉上だけふれたので思い出したが、




毎回恐縮だが、拙訳書 『スウェーデン人』 をお持ちなら見ていただければわかるとおもうが、




そこには、スウェーデン人の仕事観として




「していて楽しかったから、(なおかつそれでお金ももらえるなんてワリの) いい仕事だった」




というような 「仕事」 はそれでよしとしてはならない、というようなことが書いてあったとおもう.




いわゆる、日本でいう 「おいしい仕事」 というのは、あってはならない、ということである.




スウェーデン人の仕事観は、その技量によって尊ばれ、




仕事の内容によって報酬を得るべきもので、




おしゃれで元気な、かつ最高学府のウプサラ大学の学生が長い夏季休暇にするアルバイトでも




掃除婦、とか、介護老人の世話




といったものであることが多い.




甘ちゃんな日本人とは、スウェーデン人はこの点でも截然と違う.





これも、民度という点では決して世界の先進ではない日本人が





「世界基準で見れば我が身を省みねばならない」 諸事のうちの一つである.




20130203-140718.jpg
この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
『スウェーデン人 ― 我々は、いかに、また、なぜ』 について
- 2013/04/20(Sat) -
標題の拙訳書(新評論刊)の「訳者あとがき」 にも書いたが、あれは、私が世紀の変わり目のスウェーデンの大学の夏休みに日本語恋しさから訳したものが、その後、数年たって、翻訳に 「訳註」 と 「コラム」 原稿を私が起こして出版されたものである.




つまり、あの翻訳の註とコラムは他国語訳にはないものである.




それゆえに、あの翻訳は、私でなければ訳せなかったし書けなかった、と言われた.




ただ、1つだけ、ここに附記しておくことがある.



あの図書には、「スウェーデン人公務員」 についての一章がある.当時の私は、人生で 「公務員」 という職業について何の関心も抱いたことはなく、またその仕事について知識もなかった.



しかし、ここ沖縄に来て、私は、沖縄県の公務員として2年余り、用地買収交渉の任の嘱託を受けて勤務してきた.



そこで、公務員であることのさまざまなやりがいとともに悪徳面も多々見てきた.たぶん、それらは、沖縄県に限らず、どこの公務員でもありうる事柄だとおもう.



民法と行政法をそれなりに独習し、現場の公務員が何を考え、どんな気分で日々働いているかをわかった現在なら、あの図書の 「公務員」 の章を、もっと有効的確に訳語を決めて、日本の公務員の思考行動様式と引き比べて註もまた暴露的におもしろいものを書けただろうが、あれは、西暦1999年の私の作品として、このままもっていくしかないものだ.




識者におかれては、その点をどうか了解いただいてお読みいただければと願う.



20130409-081828a.jpg
siblings




この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
この離島でさえ高校生に数十回言ってきたこと
- 2013/04/19(Fri) -

外国語会話なんて日本で習うことないんだよ.まして、きみら高校生が、お金出して時間さいて英会話塾に行く必要なんかない.
私も大学時代まではふつうの大学生だったが、あるとき、アメリカからの留学生の女の子とつきあうようになったとき、
『なんだぁ、早稲田大学ってよい大学って聞いてきたけど、英会話もできないのね』 と彼女から日本語で言われたものだ.
でも、その後、彼女と家でも学校でもジムでも一緒にいて1か月たったころには、彼女と口論して彼女が私を言い負かそうとわざと早口で英語でまくしたてても、私はすべてわかってそれと同じスピードで言い返せるようになっていた.新宿の地下街で私と彼女がすごいスピードの英語で口論していると、周囲に人だかりができたもんだ.

その後、スウェーデンに行くことになったときも、早稲田には当時はスウェーデン語の先生がいなかったから、私は、何もスウェーデン語を勉強しないで行った.スウェーデンに行ってスウェーデン人の先生からスウェーデン語を習い、1か月後にはスウェーデン語で不自由なく生活していて、3か月後にはスウェーデン語で論文を書いていた.

会話は、その必要な環境に置かれたら、たちまちできるようになる.会話に最も必要なことは、いま、この場面をなんとかしなければ! というぎりぎりの、かつ瞬時の必要を打開しようとする気持ちに後押しされた光より早い頭脳の働きなんだ.そういうことなら、日本で会話塾に行くときだけそんな精神状況をつくるのは無駄だし無理だとわかるだろう? 外国に行ったら、とか、同僚として外国人が来たら、とかの環境になったら、会話能力はすぐにその場に必要なレベルになるからだいじょうぶ.

いま、きみらがするべきことは、できるだけ複雑で難しいと言われている長い英文を読んで理解できるようになることだ.そして、文法の知識をちゃんと頭に入れて、誤りのない文章を書けるようになることだ.それができるようになるまで、数か月から1年近い毎日の勉強がいるが、英会話などは、いまのきみをアメリカにぽんと放り込んだって1か月もしないで苦も無くできるようになるものなんだよ.

それに、英会話塾の先生だって、フィリピン人やインド人やロシア人がしているような国はヨーロッパにはない、日本独自の愚かさなんだ.英語圏出身者だって、英語がしゃべれるというだけで、なんの教養もない者が英会話塾の教師をしていることもある.そんな国も先進国では日本ぐらいだ.

とにかく、いまは、長い複雑な文章を読めるようになることと、そのためのキールールである 文法 を知悉するよう努力しなさい.



20130123-061006a.jpg


この記事のURL | 言語 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
饂飩
- 2013/04/17(Wed) -
以下に書かれていることは、
スウェーデンに3つある総合大学の筆頭、北欧最古のウプサラ大学の
主として大学院生が念頭におかれたうえでの文章であることをご理解ください.
u







私は蕎麦が好きだ. というより、常食している.


心筋梗塞を40代半ばにしてから、友人と外食しても、自分だけサラダ2人前、とか、


寿司 か、日本蕎麦屋だった.


私が務めた予備校の生徒も、


私の寿司や蕎麦によくつきあわされた.



* * * * * * * *



若い頃、私は、「うどん」 を食べなかった.


夏目漱石の 「猫」 の中に 「饂飩は馬子が喰うもんだ」 というたぶん主人公(迷亭だったかも)のセリフがあり、


若い私は、洒落気から、それを年上の恋人にも告げ、「うどん」 を蔑視していた.


若気の至り、というにはいまそれを私が聞けば、なんて阿呆で軽薄な若僧だろう、と思う言い草である.


その恋人と別れたあと、ひとまわり以上若い恋人とつきあったころは、私も多少は成長して、うどんもよく食べるようになった.



* * * * * * * *


私はどうして恋人相手に、うどんごときまで気取ったのだろう.


そんな空気が私とその年上の恋人との間にあったと言えば、自分たちのせいとはいえ、


残念なカップルだったと思わざるを得ないが、


もしかしたら、


日本の恋人たちに共通な


所謂「男は恋人の前でカッコつけたがる」


という現象なのかもしれないのである.



Domkirkan
Uppsala Domkyrkan





スウェーデン人の恋人同士には、そんな、日本での若い私のような男女はいなかった.



みな、大学生の恋人どうしでも、



互いに相手にとって空気のように自然で、



互いへの思いやりに満ちていた.



だから、



日本でアメリカナイズされた、いわゆる、オシャレでそれなりに恋愛を知っているような日本人女子大生は、



スウェーデン人男性に物足りなさを感じたかもしれない.彼女らはスウェーデン人の恋人ができていなかった.



逆に、


地味で、日本では恋人などもったことないだろう、というような女子大生が


自分の頭の上に肩があるような金髪のスウェーデン人男性の一歩後ろをしずしずと歩いているのを数例見た.





日本は、封建時代に、「美しき武士道」 の反射として
(ノーベル賞はとっていないが、ミシマのことは大学生程度の知識人なら知っている)


「男尊女卑」 (この漢字変換ができることがいま驚きだが)


の国であった、と知られている.




その影響で、日本の女性も男性の一歩後ろにいることを余儀なくされた、


とスウェーデン人といわずヨーロッパ・アメリカの男性たちは知っている.


たとえ、現代のジャパニーズがいかに腰が低く、


外国人に 「親切」 であったとしても、


根本の文化伝統には 「男尊女卑」 があるとは思われている.





だから、


南京大虐殺にしても従軍慰安婦にしても、


昔の日本人ならやったに違いない、と当然に思われている.


だから、


スウェーデン人男性が予想する日本人女性もまた


スウェーデン人女性とは違って、男性の一歩後ろにいるような女性をまず考える.


もちろん、そんなことはスウェーデン人男性は女性に強要しないから、そんなことにはならないが、


あえて、同じスウェーデン人女性やアメリカやイギリス・フランス人女性とは付き合わないスウェーデン人男性には、


そういう民族、ということを想定したうえで 「日本人女性」 を考える者がいることだろう.





* * * * * * * *




別の回の 「シチリアのピエトロ」 で、


私がスウェーデンに来たばかりのイタリア人男性留学生から、


スウェーデン人女性のおとし方を教えてくれ、


というぶしつけ極まる質問を受けたことがあることを書いてあるが、



もしかしたら、


それは、



私がスウェーデン人女性と空気のように接していたからではなくて、



日本人男性だから・・・恋愛やセックスについて、ドライに即物的にものが言えるだろう・・・



というような思い込みがあったのかもしれない.



そして、それは、



確かに、いまの日本人の若者の間にも、



隠然として存在する男性側の女性観・恋愛観・セックス観なのかもしれない。



そして、私自身も、まだその無意識精神伝統の中にいるのだろう. おそろしいかぎりだ.





日本の未来の世代の若者たちが、



いまのスウェーデン人の若者たちのように、



自然で かつ 思いやり深い男女交際ができるようになることを願ってやまない.




20130316-140124.jpg


この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
親として
- 2013/04/15(Mon) -
私は結婚歴がないから、自分の子どもをもったこともない.


たぶん、もう私の遺伝子はのこらないだろう.


しかし、親 としての気持ちはちょっぴりわかる経験をしたことがある.


* * * * * * * *


小学低学年の男子とその母親と暮らした時、その子どもは、


私と風呂に入りたがり、入ると私のペニスをひっぱったり


睾丸の裏を洗われたりするのを喜んだ.


母親がそんな必要はないというのに、私は一人でも彼の登下校の送り迎えをした.


登校時は彼女も一緒だったが、下校時はたいてい私一人で迎えた.


当時の私は大学研究室で終日勉強していればよかったので、


小学生の下校時に外出する自由はあったのだ.


なぜ、学校の送り迎えをやっきになってしたのか.


彼の身に万が一にも何かあってはならない、とおもっていたからだ.



* * * * * * * *


その後、小学中~高学年の女子の週末親をした.


彼女が金曜の夜に東京・上野駅に無事に着くときはいかに安堵したことだろう.


彼女を日曜の夜に電車に乗せるとき、どんなに不安だっただろう.


彼女自身は、駅弁とお菓子をしこたまかかえて、


列車に乗るやいなやホームの私に携帯メールを送ってきた.



* * * * * * * *



スウェーデンに行って、


自分の親のどちらとも血の繋がらない子を私は多数知っている経験があったので、


彼ら彼女ら、自分の子どもではない子どもと時間を過ごすことにはなんの違和感もなかったが


親 としてもたねばならない責任からくる心配は、避けようがなかった.






スウェーデンには、北朝鮮出身者の孤児を養子にしているスウェーデン人夫婦もいた.


彼らの、自分たちとは似ても似つかない朝鮮人の子どもを養育する愛情はどこから来たのだろう.



私の場合は、


ともに暮らした男子も少女も、その母親と私がまず親しかったからだが、


北朝鮮の子については、スウェーデン人夫婦はその親を知らないことだろうし、なんの義理も信頼関係もないだろうに.





私のところに、


アフリカの子どもへの募金のチラシが頻繁にくる,


組織について一度問い合わせをしたからだが、募金 など、私にたとえ巨額の貯金があっても、たぶんしないだろう.





私は、


養育したいのである.






自分の命をかけて、


次の世代に何かを伝える.


だから、


そのアフリカ孤児への募金組織も


私を信用してくれれば、


二三名なら私が育てる.






私が、離島で学習塾らしきものをやっているのは、


そんな私の心理が根底にあるからかもしれない、いや、きっと、そうだ.






親 であることは、きわめて困難で 尊い





私は、もはや、その仕事はできない



せめて、次世代の若者に、ひとことでも 



伝うべきことを語ろう.




05-12-11_18-49
この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
スウェーデン人と動物
- 2013/04/14(Sun) -
スウェーデンのウプサラの学生寮にいたころ、


シカさえ寮のそばで見たくらいなので、


ハリネズミigelkott はどこにでもいたので、私が猫の友だちとして飼おうと獣医に相談に行った時の話はどこかの回に書いた,

「スウェーデン人ならそんなことしないぞ」

そう言われて、私はすぐにそんな考えを捨てたが、

スウェーデン人が動物に冷淡、というわけではない.


ペルシャ猫とある老婆の話は、拙訳書 『スウェーデン人』 のどこかのコラムにも書いてある.



* * * * * * * *



あるクリスマス開始時期、


私が、だれかが寮の下の階に帰国とともに捨てていった猫をコリドーにもってきたとき、


その雌猫は、もともと自室のドアは半開きにしたままのみんなの部屋を自由に出入りすることを許され、


共同リビングのソファの一角も与えられた.


私が日本に一時帰国していた時は、大学のスウェーデン人の先生が家で面倒みてくれていた.




スウェーデン人の犬の調教プログラムはつとに世界的に有名で、


帰国して私が住んだ仙台のジャパンケンネルクラブも知っていた.



スウェーデンでは、大型犬もリードなしで散歩していて、


私が私の猫と森を散策していて、私たちとすれちがっても、


そのリードなしの犬たちは私の猫にほえもかまいもしなかった.


マーケットの前でも、リードなしの犬たちが寝そべって飼い主が買い物を済ますのを待っているが、


私の猫がそれに混じっていてもなにも起こらなかった.





おそらく、


弱者に対する考え方が、


スウェーデン人は、日本人とは無論、世界のどんな国民とも違うのだろう.



それを 「知る」 には、


一冊の本とか、大学教育ぐらいではだめで、


本当に、


本物を、


経験して思考する努力を


未来の世代の一人ひとりが顔を上げて実行する以外


日本国民の総叡智および民度を向上させる方途はないだろう.



m


この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
子猫も告ぐ春
- 2013/04/14(Sun) -
沖縄の離島も昨日までは寒かった.


半袖短パンでいると、やや冷え、長ズボンかTシャツ重ね着が必要だった.

しかし、きょうは1枚でだいじょうぶ.


成猫も、昨日までは固く真ん丸になって寝ていた.




しかし、きょうは巻きが解け、勾玉形だ.






昨夜、前職の後輩に当たる人物、といっても私の数歳年下にすぎないが、


そんな人物に誘われて飲みに出た.






そして、きょうは、太陽光が強くなり、猫たちの部屋の掃除をすると汗ばんだ.



これから、急激に暑くなり、


蒸し暑い6,7月、  焦げ暑い8月へと移行してゆくのだろう.




スウェーデンのウプサラも、


いまの季節はまだカロリナ裏も雪原のはずだ.



それが、今月の後半にはだんだんと溶け、



湖のようになり、



sista april には、



みんなTシャツで地べたに座って宴会をするようになるはずだ.



4月の、そんな 春の到来の時期が、またやってきた.



生後28日才になった子猫も、



すたすた独りで歩いてまわり、疲れたら 独りで寝床に戻って寝るようになった.

この記事のURL | ある点描 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
「声優」 とかいう
- 2013/04/12(Fri) -
スウェーデンにいたころ、テレビやビデオで観る映画にはたいていスウェーデン語の字幕が出ていた.


無論、ハリウッドなど英語圏の映画が多いから、俳優も英語で話す.



あるスウェーデン人の友人から、


「日本では、外国人の俳優が日本語で話すんだろ?」


ときかれた.言った彼は、かわったことをする民族だ、という表情でニヤリとした.


私は、


「そうだよ。それぞれの俳優を専門にする者がいて、イーストウッドならこの日本人の声、というように、この外国人俳優にはこの日本人の声でなければならない、という一般認識がされているから、『声優』 は尊ばれている職業で、アニメの声優も含めて志望する者が多い」


というようなことを言った.



sc




スタローンやシュワルツネガーが日本語ですごんでいるのがおかしいのなら、




私にすれば、



アキレスのブラッド・ピットも、アルチュール・ランボーのディカプリオもギリシャ語やフランス語でなく英語で悲嘆しているのも滑稽なのだが、




ヨーロッパ人にはその違和感はないようだ.



彼らには、日本人たちより、自国語と英語との距離が近いからだろう.



もちろん、同じ映画でも、ネットで観れば、各国語版もあるから、


私は、好きな映画は、ドイツ語版やフランス語版やイタリア語版などでも観て多少勉強じみたことをする.


昔のシュリーマンがしたことを現代ですればこうなるのかもしれない.




いずれにせよ、


日本の 「声優」 はヨーロッパ人には奇異な職業のようだが、


日本で声優が職業として立派に存在していることは文化的要請から善きことなように、


逆に、ヨーロッパには、日本では考えられないような職業があるだろう.



「オーロラ番」(と私なら訳す)職業も北欧独特だ.
(オーロラを観たい観光客を、オーロラが出たら夜間に起こす職業である.)



だから、異文化はおもしろい.



異文化を排斥するニンゲンもいるが、それは、その文化の責任ではない.



一個人の愚かさにすぎないことに恐れをいだき、



異文化にとびこむことに日本の若者が躊躇うことないよう願う.





Tinian Island- San Hose village



この記事のURL | 日本という国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
家族
- 2013/04/10(Wed) -
最初のお産では4ひきすべての子を育てた母猫も、


二度目のお産では、4ひき死なせて1ぴきしか生かせることができていない.


それでも、彼女の家族は6者家族で、



私と、初代のはぐれ子どもとはふたり家族で、



わが家は、その二家族の同居世帯といえる.


大家族のほうはみんな仲良しだ.



生残った赤ん坊は、母親よりも、姉によりそい、


20130409-081828.jpg



3びきの兄たちは手荒になめてくれる.


20130409-143352.jpg


来月、しかし、私の誕生日には、いま冷凍してある、亡くなった赤ん坊4ひきの埋葬をする.



死は、もはや、私は、思考する対象ではなくなった.



私自身どこまで頭脳が健全に機能するかわからぬし、



いつ内臓が壊滅するかわからぬが、



スウェーデンで知ったお年寄りたちのように、



できることは自分でとことんやり、



社会にドアを開いて、死ぬまでちゃんと生活するばかりだ. 



そしてそれは、いまの私の家族猫たちのようにでもある.



DSC_0212.jpg
この記事のURL | ある点描 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
沖縄の矛盾
- 2013/04/10(Wed) -
私がスウェーデンから学位論文を出しにきた東北大学で心臓を壊して、東京の懇意な友人の誘いで出版社に骨埋めるつもりで学界を去ったあと、その会社も辞めて沖縄の離島に来た時は、それまで一緒に過ごしていた小6の娘が、将来の夢は海洋学者になること、と常々言っていたから、まず私自身がその方面に少し詳しくなってやろうと思い、海ガメの施設で働き、船舶免許をとったり、素潜り潜水を鍛えていた。塾をするようになったのは、それらを一通り修めたからだ。


070425_1538~01         m


しかし、私を取り巻く人々は、東京圏人々も沖縄の人々も、私が遊興のために南の離島で無為に時間を過ごしに来た、と思っていたことだろう。沖縄を美しく描いた某映画の感化かと指摘されもした。私は沖縄そのものには関心はなかった。中央アジアの大学と南アフリカ共和国の企業に採用内定していたから、上の理由とただ「通り道」だったから、再出国まで時間をみていたら、離島で子どもたちに話すのも意義があると思うようになっただけで、それから6年になろうとしている。


070213_1343~01


沖縄の人は、そんな私、いや、内地から中年男が独りでぶらりと来ると、借金でもして逃げて来たか、離婚されて放浪しているのか、余裕のある者が散財に来ているのか、という程度の推測、勘繰り、下衆な想像をし、さらにそれを喧伝し、自分に金を落とす以外の内地出身者は蔑視迫害する傾向が離島地域にはある。昨今、基地問題をめぐって政府と沖縄県知事が鎬を削っているが、内地に偏見もつ者たちの感情をも無視できない知事の立場もあるのを、政府は政府でわかっていない。大臣が匿名で三ヶ月くらい離島に単身で生活すれば、沖縄の人々の感情もわかろうに。

かくして沖縄の人々は、自分の領域に入る者を、内地で食いつめて来たか遊興のために来たかと想像して見下す傾向が漫然とある。自分たちの土地がマスコミでもてはやされるのを客観的に見知ることに慣れた結果、皮肉にも、自分たちの土地を訪れる異邦人を、ここに憧れてきた人、と考えがちになってしまった。その感情がバランスを崩すと、相手に対する見方が軽蔑視へと雪崩のように移行する。


071201_0734~01




一方、スウェーデンに来る外国人は、日本に来る外国人よりも故国で優秀だった者しか移住できないから、スウェーデン人は外国人には一目置き、職場や学校でタフな戦いをする相手と正当に認識する。

要は、実力主義が徹底しているヨーロッパ先進国と

情実や、裏表ある行動、中傷や足引っ張りの大好きな日本人との違いなのだが、

沖縄はそんな日本人的な特質に加えて、自分の土地なのに、沖縄にわざわざ来るなんてたいしたやつぢゃない、と内地出身者を蔑視軽視する風潮まである。まあ、そんなニンゲンばかりぢゃないよ、と私の島の友人は笑うが、そんな思考傾向を内地にコンプレックスもつ島人が有することを否定はしない.それが、沖縄自身にとって何より残念で損なことなのだ。ドアを少しだけ開けて外来者を一瞥するや退けていては、いつまでたっても自分の成長がないことを知るべきだろう。あまりマスコミにおどらされず、あまり自意識過剰にならず。よき土地風土のよき歴史の担い手としてあり続けてほしい、沖縄の人々よ。



20130312-170934.jpg


この記事のURL | 日本という国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
手術
- 2013/04/09(Tue) -
昨日、4匹の子猫の去勢・避妊手術をした.


うちには、先住猫も避妊手術をしたから、


これで5匹が手術済み、そして、ヒトの私も心臓の上に金属が2本はいっているから、


〆て6者手術済みと相成った.


生物は、生まれたままで変更なく死ねないのか.


まあ、ケガで身体を損なっても丈夫な者もいるのだから、


オペレイションも当たり前のことなのだろう.


彼ら彼女らは、朝日が昇ってもまだ夢うつつだ.


昨日、buddha の誕生日に新しい命に踏み出したものたちは、


きょうは、入学祝いで休日なみの静けさの島の街中でのびやかにたゆたっている.



gmk.jpg

sh.jpg

kr.jpg




この記事のURL | ある点描 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
かつての
- 2013/04/04(Thu) -
沖縄の離島に来て、にわか公務員としてしていた法律職が昨3月末で終わった.

公務員なんて柄じゃないが、法律を駆使して思考して土地をもつ主に高齢者のお気持ちを晴らす一助になる仕事はやりがいがあった.
私を知る人は、私が法律には無縁のニンゲンであったことはご存じだろうが、そもそも私は大学受験時代は数学に恋をしていて、それにふられて外国語の古語を専門にしたが、そのとき、古い印欧語は数学に似ている、とおもったものだった.そして、いま、法律を駆使して固着してしまったものを解く思考法も数学に似ている、とおもっていてたのしかった.


しかし、唾棄すべき公務員のほうが圧倒的に多い中で、私もいよいよ心臓ばかりでなく精神もアブナイとおもうようになったので、1年前から「辞める」と言い続けてやっと先月末を迎えたわけである.


それで心も軽々したので、きょう、スウェーデン時代にはいていたジーンズとTシャツで早朝の買い物に行った.




スウェーデンにいたときは、私の移動手段はスウェーデン軍払下げの軍用自転車だった.


サドルが固いので、ジーンズの尻に次々と穴があいた.それを、ウプサラ大学のワッペンでふさいだ.1つの尻に3つも4つも白や青のワッペンがはってある.アイロンで押さえれば決してはがれない厚手の丈夫なもので、糸で縫っていないといっても、それでもややごわごわする.



そんなジーンズを12年ぶりにはいてみた.



いくぶんゆるくなっていたのは私が腕も腹筋も脚も細く小さくなったからだ.背も縮んだかもしれない.



スウェーデンのときと違い、いまの私の移動手段はクルマ専らであるから、



もはや、尻が丈夫なジーンズは必要ないし、クルマのシートに不釣り合いだ.




気に入っていたジーンズも、この私も、



なんだかいまの環境にはそぐわない点は似ているようで おもしろい.





Rådyr


この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |