離島での学習
- 2013/03/26(Tue) -
ヨーロッパ人は、みんなで一緒に自然と愉しくなる。



日本人は、周りに合わせて愉しくならなければならない。


自分だけ他所向いて涼しい顔していると



思いもよらず 「もっと盛り上がれ」 とか



「協調性がない」 とか、



攻撃



される。

十のうち九つくらいみんなと同じことしなくても、それがどうだというのか。

盛り上がる、という動詞は命令形で使うべきでないし、

協調性、という単語と、愉しい、という感情を結びつけるのもどうか。

これって、正常か?











愉しくあることさえ、強要され、周りに合わせなければならない社会。


周囲と一緒でないと愉しさを感じない人々が多数派の社会。


それとも私が沖縄の離島にいるからそう感じるようになったのか。


東京は、そうではなかったような。





沖縄の辺境に来て6年。


いろいろなことを学んだが、もうそろそろ新しいことを学びに他所に行く潮時かな。








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他の種とともに
- 2013/03/17(Sun) -
飼い動物との訣かれは、ヒトとのそれとは違う


ヒトとヒトの別離であれば、


それが訣別であっても、互いを理解して訣かれることができる


理解できなくても、いつかは理解できるかもしれないと期待できる


けっして期待できない相手でも、そうならば仕方ない、とおもうことができる.




しかし、他の種との訣かれでは、相手のこちらへの愛情にやむを得ない終止符を告げることになる.



相手が亡くなる場合でも、こちらが身罷る場合でも



相手はかわらずこちらを信じて愛情を向けるのを遮断することになるのを避けられない.





それでも、私たちは、彼らを友にし、共棲する.そこに、真実の関係があるからだ.




その尊さを、私たちは、忘れることはできない.




gen
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このまま
- 2013/03/17(Sun) -
死は日常にある。離島では、月に1度くらいは車道で轢死している猫を見る。海岸では、ウミガメの死骸を見る。むろん、魚の死骸もある。知り合いの食肉牛を育てている知人は定期的に業者に牛を渡す。

猫の叫びを聞くと、市役所が設置しているという野良猫捕獲器にまたどこかの猫がかかったのかとおもうが、自分が飼っているものが全員帰宅するともう心配はなくなるのが人情だ。バスや飛行機の事故を聞いても、家族の安否を知れば安心するのが人の心なのだ。

だから、人は 「死」 を悼むのではなく、死によって愛するものと別れることを悲しむのである。

かたや、自分が死んでも愛するものとの別れは起こるが、一度、心筋梗塞で倒れて、一人暮らしの腐乱死体にならないように一応は消防署に電話して倒れていた時と、その後、救急隊に拾われて病院回りをしていた時に死を覚悟したことのある私は、苦しみ自体については、「もう安楽死させてほしいのだが」 と救急隊員に言ったものの、死に伴う悲しみはなかった。突然のそのような時もそうだったから、二度目にそうなってもかわらないだろうとおもう。常に、きょうの午後に人生が終わってもよいように生活の全てを整理してある。

子どものころは、自分が死んで、自分が考えたことが宇宙から完全になくなってしまうことに涙を流したものだったが、やがて、どんな人も、自分を知る他者の存在をもっていることで自分の死を自分の終結とおもう必要がないことを知った。子どもがいる人は子どもがそうだろうし、私のように子どももつれあいもいない者でも、後の時代に残るものを創作していれば自分の精神が残る。私の場合は、翻訳書の 『スウェーデン人』 がそれに当たろう。また、10年前にスウェーデンでスウェーデン語に翻訳したままコンピュータに放置しておいたある日本の童話の翻訳原稿も、先月たまたま版元に原作者の消息を聞こうと電話をしてみたら、新しい担当がスウェーデンでの出版活動を引き受けてくれたから、そうなれば、自分の作業がヨーロッパの家庭にも伝わることになる。別にそうでなくとも、私がつきあった子どもたち、それは、恋人の子どもであったり、勉強をみた子どもたちであったりするが、彼ら彼女らが私の言葉や私との日々を記憶に残してくれたら、全て有限な世界とはいっても、私の痕跡は死後もしばらくは残ることになるだろう。

自分が死ぬことにさほどもはや悲しみを感じないのは、1つには、私は、若いころからいままで、国の内外で、愉しいことをじゅうぶんにやったし、美しい人を大勢知ってきたし、おいしいものもよく食べた、と単純におもっているからもあるが、もっと大きなことは、自分が死んでも、自分が愛するものたちは元気にさらになんとかだれかに愛されて生きてゆくだろう、とおもっているからだ。「自分が愛するものが幸福でいるのを知る幸せ」 は、自分自身の死によってまだ崩壊するものではないのだから。

ただ、いまの私の心情も、私が結婚していず、伴侶も子どももいないから言えることなのだろう。恋人の子どもと暮らしていたころ、私は彼女・彼の平安に心をくだいた。これが 「親」 の苦しみと幸せの本質であろうと、人生の秘密の一端を垣間見た。もしもそのような存在が身近にいたら、私も、きょうの午後死んでもよい、などとは言えまい。一緒に外出していた 「娘」 には、心臓の手術のすぐあとでもあったことから、私が路上で斃れても悲しんだりあわてたりしてはいけない、すぐに近くの人に知らせて、自分でも119番に電話するんだよ、と教えた時の彼女の厳粛に悲しみを予覚した顔はただちに私の深い悲しみでもあった。

――――――

愛するものが存在すること、それが、人生の幸せであるとともに苦しみの源でもある。しかし、人は、愛するものをもつこと、愛することをやめることはできない。人間であることには、苦しみをもちながら他者を愛して生きる以外にありようがないのだ。

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(09.11.07.記)


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道標
- 2013/03/06(Wed) -
スウェーデン人の老人のようになりたい


身体がおもうようにうごかなくなっても


自分でできることはなんでも独りでやり


できないことは若者に当然に任せ


悠々とせず 堂々とせず


頭を下げず お願いをせず


淡々と若者に手助けしてもらい


動けなくなったら ただしっかりと立ってい


立っていられなくなったら 端正に座しており


過去に自分がどうだったかとか語らず


ただ静かに 教えを乞う若者には語り


そうして


独りの生活のうちに 息をひきとる


私は、そんなスウェーデン人を何名も知っている



尊厳



生きて死んでそれを示す




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逸路
- 2013/03/06(Wed) -
社会がついてきていない



だからといい、だらだら走る気はさらさらない



合わせて走るくらいなら



独り未踏の荒野を往く.




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スウェーデン人の若者 ―― 自然をいつくしむ健やかな心
- 2013/03/01(Fri) -
スウェーデン人は、ゆたかな四季をもつ日本人よりも、自然をたいせつにし、愉しみ愛する心をもっている、とその地を訪れた外国人はだれもがおもうだろう。 それは、林間の遊歩道にある深緑色の小さいゴミ入れが日々清潔に保たれてゴミ回収される事実からもわかる。( スウェーデン人―我々は、いかに、また、なぜ 第8章参考)

北欧最古のウプサラ大学で勉強するために外国人がスウェーデン語を学ぶコースに入ると、カリキュラムの初日の宿題は、たぶん、いまも、カール=フォン=リンネに関する60分テープを聴いて、それに答えるもの、さらに、全文章を書き取ることだとおもう。植物学に画期的な分類を行ったリンネが、スウェーデンでは、最大の学問的偉人だ。

無論、そのあとで、アルフレッド=ノーベルや、数々のノーベル賞受賞者の伝記、そして、日本でも有名な 『ピッピ』 のアストリッド=リンドグレンや 『ニルス』 のセルマ=ラーゲルリョーフも読まされることになる。後者は、リンネとともに紙幣の顔だ。

ニルスといえば、先日書いた、若くしてガンになった私のスウェーデンの友人、Jonny Nilsson は、ジャズダンスの練習に、1日おきに自転車で1時間かけて別の市に出かけていた。一度、私も行ってみたら、私の、太いタイヤに重い車体の、頑丈さだけが取り得のスウェーデン軍払い下げの軍用自転車のスピードでは2時間近くかかった。街灯もまばらな暗い森や草原を抜けて行く高速道で、オオカミやクマに出くわす危険を覚悟しての暗闇の中でのサイクリングだった。無論、車をもっている学生もいるが、自転車はほとんどの学生の移動手段だ。

朝日が深く差し込む食堂での彼の "Skönt väder!!" (いい天気じゃないか!)というよく聞いた挨拶をいまもその声と笑顔とウプサラの高く澄んだ空とともに思いだす。





(本記事は2006年8月22日に書かれた.)
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