スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
2月の日焼け
- 2013/02/17(Sun) -
住まいの屋上で親子猫五匹を遊ばせた。

スケート選手のように広々と走り回るもの、

うずくまって動かないもの、

みんなそれぞれでよいんだ。

夕方シャワーを浴びたら首の後ろが日焼けでひりひり痛んだ。

二の腕も半袖Tシャツのあとが白と日焼けあとにわかれてる。

猫たちも日焼けしたかな。

そういえば、目の色がオレンジ色になってるよ。

みんな早々と寝入ってる。

明日から5日間は私が仕事で、屋上遊びできないからね。


いい夢みて、明日朝うんと空腹で目覚めなよ。







スポンサーサイト
この記事のURL | ある点描 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
愛するもの
- 2013/02/16(Sat) -
子どものいる人に

「私には猫たちが子どもだ」

と言うと、半分軽蔑半分憫笑される。



私は、以前、小学低学年の男子と、その後、小学中~高学年の女子と

生活をともにし、その保護者として行動したことがあるが、

その時の経験は私の人生で珠玉の宝であるから、

ましてや、我が子と暮らす世間の大部分の人は、

さぞや、愉しく心膨らむ幸福のうちに日々送っていることだろう。




スウェーデンで、

私は、北朝鮮の娘を養女にしている家庭を知った。

脱北した親の子どもなのか理由はわからない。

スウェーデン語もちゃんと話せるのかもわからない。

その子どもは、ベランダにウサギを飼っていて私にさわらせてくれた。

そのスウェーデン人夫妻にとって、

髪も目も肌の色も違う子どもを養育するということはどういうことなのか。






生きるものをたいせつにおもい養う



無論、猫は、世間の役に立つ猫に養育することはできないし、

私を喜ばせるような善きことをしてくれそうもない。

私がもうろくして介護してくれることも期待できない。



しかし、そんなことは、かつてともに暮らした男子と女子にも同じことだった。


彼と彼女にはべつに血の繋がった親がいて祖父母もいた。



だが、それでも私は、彼と彼女を愛し、たいせつに護ろうと心くだいた。



その気持ちは、いま、猫たちに向けられているものと根本は同じだと思えるのである。





まぁ、私は、今後も、周囲から軽蔑憫笑され続けるのであろう。




17072006(004).jpg



20121117-185403.jpg



この記事のURL | 未分類 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
いまさら
- 2013/02/14(Thu) -
最近どうも心臓の具合が悪い



最期は、



自分が心愉しいことをしながら逝くことに決めた。



ふたつ



若者子どもに外国語と世界の多様を教えることと




翻訳、世界の善き精神を日本語で著すこと。







これでやっとせいせいと死ねるというものだ。
この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
旧正月
- 2013/02/10(Sun) -
きょうは旧正月らしい.




離島も、正月並みに静かである.




主婦は、もう昨日から多忙なのかもしれないが、




私のような独り者には、静けさがありがたい.




自分は特にないが、猫たちには、きはだまぐろしか食べないものにはそれ、



kr



それ以外のものにはサーモンを買いに行った.



a





彼女彼らたちにもまた、旧正月だろうが関係ない.




食べて、排泄して、寝るばかりで、もう夕暮れである.



s





みんなそれぞれでいいのだ.



tre
この記事のURL | ある点描 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
ある2月
- 2013/02/10(Sun) -
ウプサラ大学でのある冬、私はフィンランド語学科の授業に出ていた。非印欧語は日本語しか知らない私は、ヨーロッパの非印欧語であるフィンランド語をマスターしようとしたのだ。


その授業で私は、ある女子学生に出会った。



彼女とは、その1年前にノルド語学科の主任教授の授業で出会っていた。


その授業は北欧語の古語を読む授業で、サンスクリットなど最古の言語を知っている私には困難な作業ではなかったが、優れた教授の授業で最も反応が早く正確だったのがその女子学生だった。私が内外の学生生活で唯一、自分よりもアタマがよい、と観念した同窓だ。



その彼女がフィンランド語の授業にもいたのである。クラストップになってウプサラ大学からヘルシンキ大学に半年くらい派遣してもらおう、という密かな野望を抱いていた私は、ここでも彼女に後れをとった。相手が彼女では仕方ない。


だが、彼女は、フィンランド語の教師に認められると、学期途中で学生をやめ、フィンランド語学科の事務職員に就職する道を選択した。


彼女の頭脳なら、逝去されたノルド語学科の主任教授の後継になれるのに、と思っていた私は、彼女の選択に意外な感を抱いたが、彼女らしい、早くてスマートな決断だったとも思った。



ライバルがいなくなって、私の、フィンランドへの熱も弱まり、その後、別記事にあるように、ドイツ語学科をのぞいて、後に親友となる Christian Kampitsch や その友達の盲目の才女 Kajsa と出会うのである。


この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
夢見
- 2013/02/08(Fri) -
夢をみた。学生だった自分が海外から日本の学校に入り陸上競技大会にでた。走る競技で途中で脚を引っ掛けられたりし、最後ゴールするときに後ろからパンツを引っ張られたりしたが優勝した。しかし、妨害されたと審判に訴えたが、はっきりと見えなかった、とされて、記録タイムは平凡だった。
その後、妨害した家の父親に謝罪したいと夕食に呼ばれた。酒杯をすすめられ固辞できず飲むと、全身に激しい痺れを感じ、薄れる意識でその老父の哄笑を聞いた。私は最後の力で、酒壺をその男の頭に叩きつけた。
意識が戻ると私は病院にいて、事情はだれも知らなかった。私は一度麻痺した筋肉の力が戻らず陸上競技はやめ、大学を終えると明るい実社会での仕事に身を投じた…………

夢でも同じようなことだ。これが私なのだ。

実力主義は、ヨーロッパの高能力社会では当たり前だが、下部社会や日本のような未成熟社会では存在しない。

この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
古いものを愛する心
- 2013/02/05(Tue) -
スウェーデンには、アンティークショップが市内のあちこちにある.



古いものを愛する心は、ギリシャ・ローマを精神の故地にもつヨーロッパ民族の特徴かもしれない.






私が東京にいたころに週末親をした娘もこの5年会わないうちに高校二年生になった.



その母親によると、いまはAKBなんとかの物まね、とかで忙しいらしい.


私といたころは、読書と海洋生物と鉱物 にしか興味がなかった娘が、


それがいまの流行りというものなのか.


そういえば、私が病臥してみていたテレビ番組でその芸能女子の集団の一人が丸坊主になって記者会見を開いたニュースもやっていた.



小娘が男とつきあったくらいで謝罪するとは、そんなことで世間の時間を奪うとは、


記者会見をした謝罪をしろ、といいたかった.


ガキが異性にとびつくのなど当たり前.


それが世間で、それが許されない集団にいるから謝罪するなら、そんなものやめればよいのに、それを言う大人は周囲にいないのか.






異性に対する見方もスウェーデン人は子どもに教える.



アメリカ人のようにスウェーデン人は性的なことにいろめきたたない.



しかし、ちゃんと、人を愛する態度は知っている.






件の女子芸能集団の記者会見子女も、私がかつて暮らした娘も、



みんな、それがふつうの日本の子どもなのだろう.



いまの流行の渦中にはいることで、ほんとうになすべきことを忘れている.



もっと、世界を 時間幅で 知るがいい.




より本質的なニンゲン態度が学習できるというものだ.





k



この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
離れて観る
- 2013/02/04(Mon) -
病気をしていたので、携帯電話以外は見られなかった.久しぶりの更新だ.




自宅で寝ていて職場とも外界とも隔絶していたから、



寝ていて碧空を見ると、ここが東京なのか仙台なのかスウェーデンなのか南国なのかわからなくなった.




久しぶりに外出したら、



2月初めの沖縄の離島は、半袖で暑苦しくも寒くもなく、やや涼しい風が吹く天然で絶好の季節になっていた.



網戸に猫たちが来て、家猫と鼻を突き合わせている.






以前、沖縄とスウェーデンとはヒトが似ている、と書いたことがあるが、それは違うとも寝ていてわかった.



沖縄の人も、人にやさしい.  しかし、なにか、べとべとしている.  



スウェーデン人のようにカラッとしていない.



きっと、日本人ならば、沖縄の流儀のほうが気分がいいだろう. 私はそうでないだけだ.







子猫がないている.



理由がなにかわからない.



外に出たいのか、うまいものが食べたいのか、母親を呼んでいるのか、性に目覚めたか、トイレをきれいにしてほしいのか・・・



単に、



どうしたらよいかわからない




ということだけかもしれない.






私たちヒトも、他の種の動物も、




どうやって生きていったらよいかわからないでいるのは同じだろう.




ソクラテスは、懐疑主義者の誹りをあえて受けても、立ち止まって考えた.




たいていの世間人は、目前の目的を一つひとつ倒していくことで消日して人生をすすめるのではないか.




しかし、必ずしもそれが常にあり続ける人生ではないものもいることだろう.




そのとき、




私たちは、どうしたらよいかわからず、子猫のように、途方に暮れることになる.






私は猫を抱き上げ、背中をなで、ビー玉を床にころがしてやる.






生きるということは、自分でスタートを切ったわけではないので、時に










走りながら目標を考えるのを停止して、よくよく 考えて  みることもわるいことではないだろう.







m








この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。