みな おなじに
- 2013/01/09(Wed) -
種(しゅ)の頂点にたった生物は弱い、と言われる.





「ニンゲンなんかつらいことばっかりだ」 と主人公が猫に言う映画さえある.





私たちは、暑さ寒さに弱く、欲望があるぶんだけそれが満たされない時の欠乏にも弱く




ほんとうに、なんでこんなに他の生物にデカい顔しているのか不思議なくらいだ.




ニンゲンだけでも、まだまだ飢えて死ぬ人々がたくさんいるというのにこんなことを言うのは不謹慎かもしれないが、





私たちは、





真の意味で 「地球規模」 で、 つまり、




知りうる限り、あらゆる生きとし生けるものに平安をあたえられるよう思慮行動するべきなのではないだろうか.






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スウェーデン人の高齢者
- 2013/01/06(Sun) -
スウェーデンに留学したかなりはやい時期に、


私は、私の背後から郵便局に入ろうとした老婦人に気づかず


日本でならふつうのタイミングで自動ドアを通過したら、


その老婦人から 「あなたはなんて薄情な云々」 というお叱りを受けた.


その後、スウェーデンでは、背後ばかりでなく、前方10メートルくらいからでも


自分が開けたドアに向かってくる人がいたら開けて待っていて差し上げるのが当り前なのがわかった.


その話を日本人にすると、「そんなのは日本人もやってるよ」 と言うが、


若い男子が若い女性が前方から来るときにそんなことをしたら、日本では、きっと何か勘違いをされるのではないか.


無論、逆に、若い女性が若い男子にそうしてやることもあるし、


足どりのおぼつかないおじいさんが若い女性に郵便局のカウンターまで手を引いてくれ、と頼むこともあるが、


老人がそれを日本でできる環境にあるだろうか? 日本では、高齢者はどこか日陰者扱いされ、さらに、


高齢男性は若い女子にはそう歓迎されないだろう.


私は、見知らぬおばあさんから、


「高いホテルの下りエスカレーターで下を見ると怖いから手を握っていっしょに下りてくれないか」

 
と頼まれた時、そのまま二人並んでエスカレーターを手を握り合って下りたものだ.


ウプサラ大学の私の先生のお母様は、


クルマの乗り降りで私が先に出てお母様の側のドアを開けて手を出すと黙って私に身体をあずけて降りられた.


それは、娘が大学教員をしている老人のプライドからとかではなく、


スウェーデンではそれが当り前の、身体が不自由であったり高齢であったりする他者への自然な態度だからである.


するほうもされるほうも照れなどはない.




昨日、沖縄の離島で、かごを押した老婦人が私の背後から自動ドアを通過しようとしたので私が立ち止っていたら、


彼女は私ににっこりほほえんで謝辞を述べられた.


沖縄は、内地ではわからないであろうが、多様で、宮古島や石垣島などの先島諸島と沖縄本島とでは人が違うし、


先島諸島相互でも、また、宮古島市の中の伊良部島の中でも島の両端では部落ごとに口調も気概も違うと地元の人々は言う.


私はこのサイトで沖縄のことをたまに書くことがあるが、


残念な人もいる一方で、


高齢者がのびのび生きていらっしゃる、という点では、


なにかスウェーデン人と似通っているところもあるのは事実だ.




私は研究室で論文を書く人生を途中で降りてしまったが、



乗り換えた列車もまた、それなりに愉快なこともあるものなのだろう.



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(私に英語を習いに来ている離島の高校生の卒業前の落書き.
アニメヒーローに似ていると友人に名前を描かれた女子本人は琉球大学理学部に進学した.)


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年長者
- 2013/01/06(Sun) -
いつまでたっても十九で独り暮らしを始めた時と同じような気分でいる阿呆な私でも、


このごろ、ようやく、


自分が周囲の職場の同僚の多くよりは年上で、


それゆえに、求められているハードルが高いのだ、ということがわかってきた. 遅すぎるが.




この十年くらい前までは、相手は論文と過去の先人たちで、研究室の同僚や他の教授たちも眼中になかった私が、


心臓の故障から人生をリタイアしたような形でいながらまだ生きているためにしている社会での職場で


「年寄りだから、いいか」 と 許されることもままあるが、


「年長者だから、こうでなくては」 と 求められるもののほうが多いのにようやく気づいたわけである.




もちろん、私の個性 というものもあるし、 


日本で生きる上で、「日本人が言わないことを言う」 ことに自分の存在意義を定めたから、


私は 「口うるさいオヤジ」 であることをあらためはしないが、


真摯な若者にとっては、


年長者は、酒をおごってくれる人などではなく、 なにか、「理想像」 にも似た存在でなければならないのを感じる.



年をとったら、他者のためにあらなければならないのだ、ということを半世紀以上生きてやっとわかっただけでもありがたい.



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本質は目前の現象に非ず
- 2013/01/04(Fri) -
夕方クルマを走らせていたら、

ラジオで、


「日本では、


結婚できない若者が増えているので、


景気活動が鈍く


社会制度にも破綻をきたしているのです」


と言われていた.(これは発言者の言葉の忠実な記述である.「できない」 と限定している.)






私なども、その一人ということになるのだろうか.

よい恋愛はいくつもしたし、居酒屋にはだいぶ散財したがなぁ.






スウェーデンでは、私の先生でも、女性で中高年でも、結婚していない人が圧倒的だった.



そんな女性独身者でも、



家に招いて食事したり泊まっていったりする男性友だちが複数いるのがスウェーデン人なのである.



私は、ある中年独身女性の家でスパゲティをつくって差し上げたこともあるし、



別の女性の先生のところに泊まったときは、彼女は私のベッドにすわって紅茶を一緒に飲んだ.



私がスウェーデンを出るときにも、8月末に寮を退去したために



9.11の飛行機まで私を泊めてくれた女学生がいた.別に私の恋人ではないにもかかわらず.

(私の帰国はあの同時多発テロと同日同時刻だった.急にキャンセルが出た、といわれて私は帰国できた.もしかしたら、日本に突っ込むはずの北欧からのテロリストが急に怖気づいたのかもしれない.まぁ、このことはいつか別の記事で書く.)



日本で独身女性がそんなふうに男を泊めたりしたら顰蹙ものだろうし、男も道義心を疑われる.



実際、私の周囲の日本人はそんな習慣になれた私を不徳義漢のように喧伝した.



さわやかなスウェーデン人女性たちの、そんな美点を、日本人は知りはしないのである.



その点だけでも、人生の大いなる損失というものだ.




いずれにせよ、


クルマの中で聴いた日本人評論家氏の弁は、


スウェーデンにはあてはまらない.



独身者がかくも多いスウェーデンで、立派な社会制度が日本より遥かに的確に機能しているのだから.




世界を知らないともうなにも考えられないことを




そろそろ日本人の知識人も知るべきなのだが.




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食生活の幸福
- 2013/01/02(Wed) -
私は一度も結婚しなかったので、
半世紀以上の人生の特に後半35年くらいは、自分で自分が食べたい食事をしてきた.

K29の同窓には、早々に結婚したものもいるだろう.私も、子どものいる女性と同棲したときは、

私の帰りを待って一緒に風呂に入りたがった子とともに愛する女性の手料理を毎晩食べる幸福にあずかった.

あれが、家庭の幸福だろうとはいまもおもう.



きょう、南の離島のご老人が私に、独りもんでちゃんとした正月料理を食べていなかろう、

と、沖縄の手作りの正月料理をもってきてくださった.

沖縄に住んで5年.初めて、ちゃんとした食事をしたような夜だった.





スウェーデンにいたときはむろん独り部屋住まいだったから、食事も共同キッチンでつくった.


たぶん、夜も、ミートボール入りのスパゲティ大盛り、ぐらいだったとおもう.

さもなければ、チキンの丸焼き(両脚と胴体のあるもの)にバーボンウィスキー、とかだった.



その後いた日本の仙台では、
私が行けばだまってその日の手料理を3皿とキープの日本酒をどんとおいてくれる
居酒屋の女将の世話になっていた.



そんな食生活のせいか、私は40代半ばで心筋梗塞をやった.

スウェーデンでは、そんな食生活のうえに、イタリア人の親友(どこかの記事にある)から教わった

エスプレッソを自分でいれて、それを保温ポット1本つくって大学で勉強していたのだから、

心臓が壊れて当たり前というものだ.




私の生活などは、

無軌道な男の典型の、破滅道だったかもしれない

などといまになって気づいてももうおそい.



でも、

また、もう一度生きても、


私は、同じような人生を送るだろう.



私は、


それはそれで、


納得のゆく努力をしてきたし、


幸福でもあったからだ.





スウェーデンでは、そろそろコリドーに仲間が戻ってくる.新学期が厳しい天候の中で始まる.

あとは、6月の試験まで、

ひたすら勉強するだけの長い期間になる. (ウプサラ大学の場合である.)




若い人も、


私より年輩者も、


K29の同窓たちも、




みなに、努力向上と幸福の新年であるよう願う.




s





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