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いつも年越しは猫と
- 2012/12/31(Mon) -
スウェーデンでの学生寮では、

南米と東洋の学生は金銭的理由からクリスマス休暇に帰省せずに残るので、

雪夜の明るく静かな暗闇の中に

たいていいつも、一人でコリドーに残ることになる.

人を見たくなると、マーケットに行く.




いや、

私は、孤独ではなかった.

スウェーデンでも、猫を飼っていたからだ.





そして、

ここ日本の南端の離島でも、


私は、猫と静かな年越しだ.





違うのは、


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雪がないことと、


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店にいけば日本食があることと


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猫の数が多い、ということだけである.



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教育者よ、自ら目覚めよ
- 2012/12/31(Mon) -
むかし、出版社の望みで、たった2日で整序英作文の問題集を書いたことがある.


当時、編集担当も販売担当も、


編集部最速、


と喜んで印刷工程に回したが、


そのあとで、1週間以上かけて、S台予備校のi先生にチェックを依頼して、いろいろありがたいご教示お叱りをいただいてありがたい経験をしたことがある.S台予備校は、私も30年以上昔の浪人生時代に伊藤和夫先生に会えて私の人生を変える経験をした予備校であるし、i先生はいまでも、日々記録をつけて「英作文」のためのサイトを開いているというから、感服するばかりである.




そんな人の話を聞いたあと、


私は、


受験英作文、一筋に思考をこらしているi先生のようには、私はなれはしないとさわやかな気分になったものだ.


内外の大学院で出会ったよき教授たちは、研究の世界に遊び、かつ、自己の人生も愉しんでいらした.


私は、それらの先生たちのようにさえ高尚には生きられないと思ったから大学を辞めたが、


いまも、教育、ということでは、そうした人生の師たちのはるか後塵を拝する浴の幸運にあずかっている.




このサイトのあちこちで書いているが、




世界を変えて導くものは、若者たち以外にいないのである.



紀元前にソクラテスが言ったように、



教育者は、精神の医師、なのである.



世界の教育者に、小さき離島から、檄を送る.


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film  あるいは同窓生へ
- 2012/12/30(Sun) -
SPACE COWBOYS

という映画を観ている.





そのどこがいいのかって?
だれに自己を投影しているのかって?







そういえば、私は、


私に勉強を習いにくる離島の子どもに、「必修」として


ジョディ・フォスターの 『コンタクト』 も観せることにしている.





世界の 「小ささ」 と、 そこからの覚醒と、




創造の努力




を教えるために、かな.




私たち教師あるいは年長者は




若者に、




覚醒へのきっかけとなるものを示してやる以外すべきことはないのだから.




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たとえば日本の劣等性① 基本的安楽の欠如
- 2012/12/29(Sat) -
美麗な服がどこでも安価で手に入る、ということは

それがなくとも 「基本的安楽」 にはなんら支障はない.



せっかく買った(または借りた)家の窓からすきま風が入る、ということは

「基本的安楽」 が欠如している、ということだ.



テレビをつければ笑える番組がすぐにいろいろ観られる、ということは、

それがなくとも 「基本的安楽」 にはなんら支障はない.



料理をしていて、食品包装パッケージが素手で開けられず、はさみかナイフを探さないといけない、ということは

「基本的安楽」 が欠如している、ということだ.







ヒトが生きていくのに、ほんとうにそれがないと苦痛や不便となるようなものが

ちゃんと設計配慮されて存在するのがスウェーデンで、



なくとも支障ないものが豊富にあって偽りの価値を誇示しているのが日本なのだ.





日本製の電化製品の優秀性? なければ生きられないものではない.


しかし、携帯電話などは、むろん、スウェーデンのほうが進んでいる.


優秀な大学院生で、穴のあいたセーターを着ている男も少なくない.


粗末な服など、書く論文の質、とはなんら関係ないし、彼がその業績で寄与する社会にとってもなんら関係ない.


華美な服より、ドアの建付け設計が正確で、室内でも短パンTシャツでいられる学生寮のほうがありがたい.

(スウェーデン住宅の 「気密性」 については、ノルウェー人の友人の話題でこのサイトのどこかに書いてある.) 





日本人の追及するものの質が、本質的な善、とはだいぶずれていることは、


もう、だんだんと世界の人々にはわかってきていると思うがよい.




奇妙なもの、珍しいもの好きな外国人に興味を示されることはあっても、






生きることの 「基本的安楽」 がさまざまな方面で欠如した社会を形成している日本人を、


世界は、ほんとうには、「世界と地球にとって有益な賢い民族」 と歓迎しはしないだろうとおもうのである.





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子猫たちへ
- 2012/12/29(Sat) -
いまは、屋内で走り回って寝るだけだけど



おまえたちは、これからたいへんなんだよ.




病院かな、



それとも、寒さと飢えかな.




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狭い環境で自分の寿命程度の時間スパンで有頂天のニンゲンたち、おまえたちもだよ.
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トンウェイの記 ―― 異国での死
- 2012/12/27(Thu) -
私がスウェーデンで最初に住んだコリドーには、スウェーデン人6名のほかに、スペイン人、イタリア人、イラン人、シリア人などが住んでいた。
中国人の彼女は、そのコリドーの一番奥にいた医学生だった。
彼女は、私に、古い自転車をくれ、東洋食材の入手の仕方を教えてくれた。また、中華料理の手料理もよく分けてくれた。


彼女の部屋に招かれた時、私は、愉しい話題になればいいと願い、彼女に 「恋人はいるか」 と尋ねた。
私の期待に反し、彼女は 「いない」 と厳粛にはっきりと答えた。
彼女のところには、時折中国人男性が訪ねてきていたが、彼女は、彼は恋人ではない、と述べた。
スウェーデン語を話せない彼女の英語は、その時だけ、なぜかとても事務的に響いた。



それからほどなくして、、ふっつりと彼女の姿がコリドーから消えた。




私たちが、たとえ研修かなにかで泊まりこんでいるにせよ長すぎる、と噂していたある晩、私たちのコリドーに刑事2人と数名の警官がものものしく無言で入ってきて、一番奥のトンウェイの部屋を荒々しく開けた。


トンウェイは、自室で死んでいた。5日ほどたった彼女の死体を警官が担架に乗せて呆然とする私たち住人の前を通って行った。



それから、刑事による、コリドーの住人である私たち一人ひとりの尋問が始まった。



私の番になり、私は、トンウェイが死んだと思われる夜に、私が中国語の言い争うかのような声を深夜2時ころに共同キッチンのほうで聞いた、と述べた。すると、刑事は語気を荒げて 「なぜきみはそのときに部屋を出て様子を見に行かなかったのか」 と詰め寄ってきた。

中国語は、はたで聞いていると、日常会話でもなんとなく語調が強く聞こえるものだし、また、例の男性が来ているのだろう、と思い、無粋なことはしたくなかった、と私は答えた。
最後には刑事は私のスウェーデン語をほめてくれ、私の尋問は終わった。

そのあと、尋問されている以外の者が待機しているよう指示された部屋で、私以外のコリドーの住人は、その中国人の彼が以前はトンウェイと奥の部屋で同棲していたのだと私に語った。私にはそれは初耳だった。

それから何人かが尋問を受けていた間、刑事のトランシーバーが鳴り、その彼が自室で縊死しているのが発見され、遺書から、恋愛関係のもつれで彼が彼女を殺した上で自殺をした、との事情も明瞭になったため、警察はコリドーからあっさりと引き上げた。



それから数時間後、私たちコリドーの住人は全員、学生寮の屋上に上がり、雪の中に雪洞をつくり、ろうそくを灯し、亡きトンウェイに祈りを捧げた。

トンウェイは中国には親はいず、いちばん近い親戚はまだ小学生の姪だった。私は、彼女が描いたという絵をトンウェイからもらったことがあった。
しばらくして、トンウェイの遺骨は、遠路中国から訪れた遠い親戚が持ち帰った。

(2006.6.2.記・改)




――――――


2月になり、ここ南の離島もきょうは昼から薄暗い。そんな蒼穹が、スウェーデンで最初に私にやさしくしてくれた娘の温かさを思い出させた。



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日本人の精神伝統
- 2012/12/24(Mon) -
きょうクリスマスイヴの夕方、

ここ沖縄の離島では独り身の私は、

猫たち用のベンチを買い損ね、

マーケットに猫用の刺身と自分の酒の肴を買い寄った.



猫用の刺身2パック、あとは、自分用に、チキンカレーの弁当と、

これも猫が食べるかも、と普段は買わない、フライドチキンが2つ入ったパック、その他野菜などでレジに並んだ.



私のあとに、やっと自分で歩けるくらいの女子を連れた女性が並んだ.


みると、私と同じ、弁当1つと2ピースチキンのパックが入っている.


ほかに大人の男がいる世帯の買い物ではない、とわかる.



* * *



スウェーデンでなら、私は、その、クリスマス会の帰りらしいいでたちのはしゃいだ女の子に

ポケットのキャンディーくらいあげただろう.

しかし、日本でそれをすると、異常者か、母親に色目を使う軽薄者ぐらいにしか見られないのをこの10年で経験したから、もう私はそうしはしない.



* * *



スウェーデンは、日本より、女性が暮らしやすい.



離婚したあとの生活の保障がしっかりしているばかりでなく、

再婚への道も明るいからだ.




私が 「明るい」 と書くのは、


私がかつて、子ども連れで離婚した女性と同棲したとき、


すでに、最初から、


私が、「児童虐待」 の実行者のように彼女の親族から警戒され、


結局、私の行動のすべてがそれに結び付けられ、


私の帰りを待っていっしょに風呂に入るのを日課にし、私のベッドで先に寝て私を待つことを好んだその男の子は、


周囲の暗闇の理解のままに私と離れていった,




* * *



私は、その後、


小4から小6までの間を私とともに過ごす女子とも暮らした.



彼女も、なぜか、私が風呂に入っていると、自分はもう済んだのにまた入ってくるような子だった.



幸い、彼女の母親は、前記の男子の親族のように無知蒙昧ではなかったので、



私と彼女は、テレビでも 「幸せそうな父娘」 というカットで撮影される関係を全うできた.




* * *



私は、このサイトのあちこちで、


日本の家庭も、日本人の性意識も、日本人の若者の世界観も、


あと30年くらいは鎖国時代のままだ、


というようなことを書いているが、






たとえば、


幼児の連れ子のいる若い離婚女性が新しい男性との生活に入ったときに、


低俗な憶測や下衆な勘繰りをされない日本社会、というものを想像してみたときにさえ、


たぶん、そんな社会は、あと10年くらいでは到来しないだろうことは読者諸氏でもわかるであろう.






血のつながらない子どもと大人の男がいると、そこで、虐待や、性的悪戯などを想像する日本人.





日本人は、昔から、怪談のような、まがまがしいもの好きなのであろうか.


二度も三度も結婚して幸福になる他人をみとめたくないのか.


弱いものは虐待するものと考えるのが深層にある民族なのか・・・












血のつながらない子どもと幸福に暮らしている男は日本にいくらでもいるだろう.



なのに、そんな報道よりも、愛人の子どもを虐待した男のニュースだけが拡大される.




そんな日本人は、まだまだ、スウェーデン人にさえ数十年劣る後進民族なのだ.







その現実を知ることから、日本人よ、始めるがよい.







ましてや、



世界人となるには、・・・・





ほんとうに、日本民族には数世紀は必要なのが、


もう、みなさんにもわかったことでしょう.





しかし、なにはともあれ、もう年末.






God jul och gott nytt år!


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子猫の死骸におもう
- 2012/12/07(Fri) -
けさ、眼前で、つきあいのある猫が轢死した.

私に拾い上げられ、路傍に寝かされ、もがき、ほどなく息をひきとった.



火葬しようという市役所員に断り、隣家の婦人と埋葬できたのは昼過ぎだった.


硬直がはじまったからだは、あたたかみも、

昨夜私の手にアタマをすりつけてきたエネルギーももはやなく

いったい、これから、なにが抜けてこうなったのだろう、とおもわざるをえなかった.



生きていたものが死んだとき、かならずおもうのは、
死によって、なにが、このようにこのものをかえたのだろう、ということだ.


こんな生き物を数々創造した神がいるならば、それは人知にははかりしれない技の持ち主なのは確実だ.




◆◇◆◇




息子がいなくなった母猫は、きっと息子が屋内にいるとおもってか、窓の下から深夜いまも離れず、

姉妹たちのうち、一匹はそんな母親に寄り添い、

すでに出産した妹は、大きく目を見開いて私をじっとみて、静かに自分の子のもとへ去り、

昨夜、死んだ猫に頭や顔をなめられていたいちばん小さいメスは、

なぜか姿をみせなくなった.



死を見ると、


生きていることのほうが不思議におもえる.


なんで、こんな肉皮袋が動いて、ものを入れ、思考して、争ってまでいるんだろう.



いったい、なんで私たちは生きているのだろう.



死へ向かっているだけの存在なのに.



sc

(110727)

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