とりあえず、お答えします
- 2011/10/23(Sun) -
(先日、左側のプラグインから私宛てに 「石垣島に住んでいるのですか」 という質問がありましたが、あいにく、そのかたのメールアドレスが記載されていませんでしたので、返信できませんでした。それで、ここにお答えすることします。)


いいえ、いまは、石垣でなく宮古です。以前は石垣にいました。沖縄には八重山のある離島のNPO団体に無給で働きに来たのですが、そこが、仕事らしきものはなにもしていないで、個人旅行者の女性に性的いたずらをしては外に出ないよう隠ぺいしたりする組織だったので、出て石垣の船舶学校にお世話になっていましたが。

沖縄本島には、出張で県庁に行かされた時に一度行っただけで、まだ、本島の 「沖縄名所」 は何も知りません。もともと、沖縄憧れで来たわけではありませんでしたから。


いまは、昔の諸外国語研究書でなく、六法をひくのがもっぱらです。文学部でずっと生きてきましたから、法律はこっちに来てから勉強したわけです。いったいこれまで私が日本で出会ってきた低劣で悪質なニンゲンたちが、この国の考えでは、法的にはどの程度まで網にひっかかるのだろう、ということが知りたかったのが出発ですが、いまは、むろん、そんな…くだらない動機は重きをなくしました。

私の図書に私の生年が書いてありますが、まだ結婚歴はありません。独身です。来訪してくるのは、若者たち子どもたち猫たちばかりです。


─── というようなことで、とりあえず、返信にかえさせていただきます。名も知らぬ方、ごきげんよう。


m


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島の子らに
- 2011/10/12(Wed) -
「 べんきょう、っていうのは、わかるようになるのはきっかけがないとむずかしいけど、
  べんきょうそのものは、スポーツと同じように、別にとくにむずかしい、ということはないんだよ。
  スポーツは、自然とからだが動く、というところがあるから、はしったりとんだりは、考えないでもできるよね、
  でも、べんきょうは、けいさんもさいしょから教わったとおりにしないとできないから、『むずかしい』 と
  おもうだけなんだよ。
  べんきょうも、よいスポーツのコーチや先生に会ったときのように、
  きみたちにわかりやすい、きみたちの気持ちにすーっとはいっていく先生だと、わかるようになる。
  そうすると、べんきょうはわかるようになって、かんたんだ、とおもえるようになる。
  せんせい、というのは、さきに生まれたというだけでなく、きみたちがわかるきっかけをくれる人だからだいじだね。
  でも、ある人にとっていいせんせいでも、べつの人にはあまりぴんとこない、ということはあるよ。
  人と人だからね、うまく、ぴったりくる、ということはあるんだ。
  だから、いま、きみたちがさんすうがわからない、えいごがわからないとかいっても、
  それは、きみたちが、あたまがわるい、ということじゃないんだ。
  きみたちが、まだ、ぴったりくるせんせいに、学校でも、私も含めて、出会っていない、ということなんだ。
  もしかしたら、高校生になったら、もしかしたら、社会人になってから、そんな人に出会うかもしれないし、
  それで、きゅうに、なにもかもわかるようになるかもしれないんだ。
  いま、わからない、というのは、いま、だからで、きみがきゅうにわかるようになるのは、これから先で、
  いま、わからない、というのは、きみたちのせいじゃなくて、私や学校のせんせいのせきにんなんだよ。
  だから、まあ、きにすんな 」

m


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数字の書き方
- 2011/10/10(Mon) -
スウェーデンに行った人ならわかるであろうが、まあ、ヨーロッパ、でも同じだろうが、
数字の書体が日本人のそれとは違うものがある。




だ。

日本式の 「7」 は、ややもすると自分でも 「9」 とまぎらわしくなる。


「4」 も、日本人式では、あとでなんとなく不明瞭なものになりやすい。


そこで、私は、スウェーデン人が書いていたように書くのだが・・・

当然、いま私の周囲にいるのは日本人で、わからない、という不満を呈されることになる。



日付も特徴的で、「10月11日」 ならば、「11/10」 と書いたりもする。

もちろん、署名とともに書くならば、地名と、数字に定冠詞もつけ、月名はちゃんと書いて最後に西暦年とか、
単に数字だけでも、111011、
とか
2011-10-11
とかすることもあろうが、

簡単に自分の備忘のために書いておくには
当該月は自明なのだから、日付を優先したほうがアタマの集中力にかなう、

というのが私の感覚なのだが、これも、いや、これこそは、日本人からは圧倒的非難を受ける。


まあ、仕方ないのだ。


文化の違いとはかようなもので、


そこには、私たちが、「同じニンゲン」 とたかをくくっているととんでもないことに満ち満ちているのだ。


それらの違いを、わかる、ように (右へならえ、とは言わない) 
他の日本人もなればよいのだが。

島国根性、

ほんとうにそんなことに由来するのだろうか、この国の多数の偏狭さは。




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あまりに斜めすぎるスポーツ論
- 2011/10/02(Sun) -
野球というスポーツがどうしてこんなに隆盛し、単なるアメリカかぶれの日本でも、
映画でも文学でも題材とされるのかふと思った。
野球は、あまりに個人主義のスポーツなのだ。
骨身をけずってボールを投げている選手がいる一方で一度もボールにさわらないでその回の守備を終わる仲間もいる。
攻撃側も同様だ。
だから、
ぐうたらだが、たまにくる自分の責務をしっかりこなす者でも、じゅうぶんレギュラーとして尊重される。
いや、自分のところにボールがある時だけちゃんと仕事をすればいいのだ。
だから、それは、どんな職場よりも個人主義的で、瞬時の出来高制が徹底しているスポーツなのである。

一見、全体主義が好きそうな日本人もまた野球を愛好するのは、やっぱり、自分は好きにしたい、というのが本音だからだ。


その一方で、また、野球は高度に社会的なスポーツでもある。みながそれぞれ異なる技能を高めたうえで協働すればよい集合体が 「チーム」 だからだ。

団体スポーツでありしかも高度に個人主義的、それが、野球が好まれる理由なのだろう。


───


スウェーデンでは野球ははやっていない。まだ、サッカーのほうが断然人気だ。

スウェーデンでは、しかし、ハンドボールとホッケーがなんといっても国民的スポーツだ(あと、女子カーリングか)。
サッカーは、女子も先日日本代表女子を苦しめた。

どれも、みんなが公平に緊密に連携しながら汗水流すスポーツだ。
別に、野球に恨みはないし、むしろ、野球のもたらす興奮は私も嫌いではないが、
スウェーデンでみなが愛好するスポーツは、やはりスウェーデン人の国民性に合っているものなのであった。


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