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家庭 のようなもの
- 2011/01/03(Mon) -
私はこの離島で、なんとなく、学習塾のようなものを始めた.

離島に来て運転免許が必要になり、その講習に通っていたときに、

これもそこの生徒だった女子高生と話しをしているうちに、勉強を教えてほしい、ということになり、

その子が友人をぞろぞろ引き連れて来て、折り合いよいところで月謝を決めて、

自宅の広間に大きなホワイトボードと机と椅子を8脚ずつ買ったことでスタートしたのである.


教案は、予備校教師を辞めたときにたいてい捨ててしまったが、あらたに作り直した.


教えるべきことはアタマの中に依然としてあるから、それで済んだ.


そうして最初は、高校生の英語だけの塾だったのが、やがて、小学生や中学生も来るようになった.


中学の数学ならまだできる.推薦入試の小論文の添削もしてやる.


いつでも、何時でも、事前連絡すれば来てよい


というのがここのやりかただ.


かくして、ここは、小学生から浪人生までが一堂に机に向かったりおやつを食べたりする、

託児所、あるいは、学堂さん 

のようになってしまった. 


小学生の女の子は浪人している女子を 「ねーね」 と呼び、
高校生の男子は中学生の男子に助言を与え、

大きな家族のようなものになった.


もしかしたら、これの状況は、私の、家庭に対する私のイメージを反映しているのかもしれない.




しばらく前、『転々』 という、オダギリ・ジョー主演の映画を1つのコンピュータで環境背景画像のようにずっと流していた.
そのサイトは、全体を4部に分割してネットで流していたが、私は特に第4部を流すことが多かった.

そこでは、オダジョーが息子、三浦友和が父、小泉今日子が母、そして娘役の子もいて、みんなが他人なのに家庭を装っている.


私は、そのようなものでも、家庭、を感じ、それでよし、とおもうのだろう.


私が以前営んだ家庭は、私の恋人と、私と一緒に風呂やベッドに入るのが大好きな小2の男子とのそれ、


もうひとつは、小4から小6にかけての少女との二人だけのそれ、


である.


どちらも、私に、完璧ではないが、子どもをもつ大人の心理を教えた.

そして、平和な夕餉の後の時間を保つことに努力すべき男子の心得もわずかばかり.



いまも、私のところにくる島の子どもたちは、私を 「先生」 などとは呼ばない.


私の苗字に 「さん」 をつけて呼ぶ.島では学校の先生も下の名前で呼ぶのが習慣だから、

私の呼び方は子どもたちには異例な呼称のはずなのだが、その島唯一の呼び方が私には適切と感じているのだろう.


私が昔暮らした男の子も、私を、名前に 「さん」 をつけて、「ジンさん」 と呼んだ.

彼には父親がいるので、私は、彼に、ぼくはきみのお父さんじゃないけど、きみの味方だ、と教えた.

それ以来、彼は、友人が家に来て私に会って 「アキラくんのお父さん」 と呼ぶと、遠くからでも、

「『お父さん』 じゃないの、『ジンさん』 なの!」
と訂正させていた.





私はかくて、私を呼ぶ者たちも呼称を工夫しなければならないような、面倒な生き方をしてきているのだった.



私自身が対人的対社会的に厄介な思いをするのも、また当たり前と言えば当たり前のことだったのだ.


スウェーデンでならば、親のどちらとも、きょうだいとも血がつながらない、という子は普通だし、

私の年で独身で軽々生きている女性たちがいろいろ家に招く男友達をもっているのも性差を越えて人として普通だから、


私のような者は、まだ彼の地のほうが生きやすいのだろうか.


いや、日本には私の愛すべき側面も確かにある.


1年後どこにいることか、まっさらな心できょうも若者を待つ.





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