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我が知とは
- 2010/07/24(Sat) -
私はテレビというものをいまももっていないが
インターネットで生活情報に関するそこでの動画を観たりすることはある.
たぶん、大学で言えば、医学部や心理学で勉強したような人々が、
ニンゲンの生理や心理について、科学的に統計的に述べていることを聴くと

「ああ、私には知らない知識がなんと多いことだろう」

と自分のこれまでの人生がいかに微少な知見に基づいてなされてきたかを思い知る.

無論、数々の過誤もまた、それらの知見不足に起因するのだ.


スウェーデンで飼っていた猫を帰国してから親戚に預けた.
いつかは一緒に住むつもりで、それまでお願いします、ということで頼んだ.

私が日本へ一時帰国していたころも、スウェーデンの先生宅であずかってもらっていた猫だから、
そのようなことを日本でも考えたわけである.

しかし、私が彼女を引き取れるようになったとき、すでに、日本の親戚は彼女が環境に慣れたことや

私が教えた散歩の習慣を自分が教えたと誇り、もう、猫を手放すつもりはない、と私に言ってきた.

・・・・・・このことから、私は、

「飼い動物はだれに預けてもよいわけではない」

という教訓を学んだ.しかし、こんなことはまた、私がネットで観るような、
医学や心理学のスペシャリストたちもまた気づかないことだろう.
彼ら彼女たちも人生でいろいろな思いもかけないことに出会っているはずである.

そうすると、ニンゲンは、いつになっても、過誤なく生きるということはできそうもないように思える.



私がもっている知識などは、専門の印欧古語に関するものを除けば、
スウェーデンで知ったスウェーデン人の常識知識くらいのものだ.

つまり、私は、ふつうのスウェーデン人がもっているような、生活やニンゲンに関する見方を身につけただけだ.
それが、私が他者に言える、「私の知見」 だけとなる.


だが、それは、「他者」 が、日本人だから言えるようなもので、
スウェーデン人の間では、私が知ったことは周囲みんなが知っているので、特筆すべきものではないことになる.

では、先の、私の猫を返さない私の親戚のような種類のニンゲンもいる、というような知見は、

たぶん、私は、過誤に過誤を重ねてきた人生だから、
その手の知見は余人よりはいささか多いかもしれない.

もっとも、それらは、周囲に話せない、誇れない、それを適用する機会がもう来てほしくない、
そんな性質の知見にすぎないのだが.


k


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私の若者観
- 2010/07/18(Sun) -
人の基層になる思考方法というものは複雑だが容易にtraceできるものなのかもしれない。

私は、スウェーデンから帰国して、数年後に、東京で、たぶん、休日の土曜日にか、テレビで
『メン・イン・ブラック』 という映画の第一作を観た、と、おもう。

そこで、ベテランのトミー・リー・ジョーンズが地元警官に
『ここはおまえのような若僧の出る幕じゃないんだ。あっちいってろ』---------(a)
と言う場面がある。

その後、後継者となるウィル・スミスと出会って、上司に
『~するとは、見所のある若僧だ』---------------------------(b)
と申告するところがあり、その一方で、自分を若僧とかなんとか呼ぶなというスミスのセリフに
『そうか、わかったよ、小僧』------------------(c)
と言い返すところもある。(私が観たのは、吹き替えで、原語表現を知りませんが、
この記事の場合には、原語は必要ありません、念のため)


ts




日本に帰ってきて、東京の大企業と沖縄の虚偽のNPO団体の2つに所属して働いたが、
どちらでも、私は、同僚たちの、自分より20歳くらい若い者たちに、(a)のような物言いを平気でしてきた。


しかし、日本で育って、ぬくぬくと大企業や地方のNPO団体のトップにいるような若者たちは、
私の気持ちを理解しないようだった。彼らはかえって 「打たれ弱い」 のだ。
彼らは、陰で、私を陥れる虚偽を周囲に喧伝していた点では共通していた。
人を無反省に陥れる、それが、日本でいま、高収入を得る方法のようなのだな。
どうやら、いまの日本の若者たちは、
自分より経験も知識もある年長者と真っ向勝負しようという気概のある者はいなくて、
カンタンに足元をすくえば上と交代できると思っているようだ。

こんな若者が次世代の母体となる国家なら、
日本が世界から鼻にもかけられないのは仕方ない。
世界は、実力主義なのだ。



私は、(b)のように言う機会をついに日本でもつことはなかった。
自分が 「こいつは立派な若者だ」 と思う者と、勤務先で出会うことはなかっのだ。


しかし、いま、沖縄の離島で高校生の勉強相手をしていて、

私に打たれても打たれても食い下がってくる者をみると、

(b)は省略して、(c)のような口調でしゃべれる相手がいることは、

まあ、日本の若者も捨てたものじゃないとおもうのだ。


ts


そして、映画というものも、また。





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永久被害
- 2010/07/16(Fri) -
運転免許の更新手続きにいった。 そこで、
「永久被害」 という単語を聞いた。

この言葉がもつような力こそを

「言霊」 というのだろう。



子どものころ、手塚治虫の作品のなかで、「絶対零度」 という単語を知ったときも

手塚や科学の世界や人間のありかたなどに畏怖をおぼえた。



「被害」 というと、
くだらない教授や上司や商人による迷惑のような、
一時的、皮相的、加害者あっての条件的なもの、というイメージがあり、
普遍的な存在の問題とはおもいにくいものだが、

それに 「永久」 がつくと、人間の本質的な悲しみだと確かにわかる。


世界には、苦、がこのようにあるのだった。


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G Earth
- 2010/07/16(Fri) -
Google Earth というものを、初めてダウンロードしてみた。気まぐれに。

そして、自分はいったいどこに目をこらすのか、一瞬、カーソルを動かす間だけ考えた。



こんな機能があるなら、自分はずっとスウェーデンのウプサラの、あの道、あの街角を観るだろうに、とおもっていたが、

カーソルが動いたのは、

日本の、

しかも、東北の、仙台駅だった。



私は、仙台に、スウェーデンから帰国して4年ほど住んだ。

愛した子どもと、その母親をもまた私は愛したが、帰国したての私は、生まれたての子猫ほどにも無防備だった。



仙台には、私が心臓をこわしてから働いた予備校もある。そこの生徒たちと、いかに、予備校の禁をやぶって喫茶店やホテルのロビーでおちあい、励まし、勉強をみたことだろう。

私の住まいに泊まりにくる女子もいた。無論、私は彼女にふれることなく、一晩じゅう、教室では言えないようなことを話したものだった。
広瀬川での芋煮会や、私が親しくなった某外国語学校。そして、そこで紹介された、私の最初のスウェーデン語の生徒。彼女はその後、スウェーデン語学習を愉しく続けただろうか。

そして、何より、私が通訳を務めたことで知り合った、インド人のヨーガの師、そしてその奥様の日本人女性と、医師団相手の講演の準備に頭を悩ました建物・・・

たった4年ほどなのに、仙台では実にいろいろなことがあった。私は、大学に失望して仙台を去ったが、そこは、大学よりもずっと実りあるものを私にくれていたのだった。


私のような者をも酒に誘ってくれた畏友Nもまた、私の生の礎の一つだったのだ。


人は、本当に自分に大切なものを選択できないものだ、というようなイギリス人の文章を、某大学の入試問題で島の受験生に読んで、ああ、そうなのだな、と感じ入った。


身体も学問も家族もこわしたが、私は、仙台で、まだたいせつなものを数々もっていたのだった。




これからは、もうすこし、目を開けて生きようとおもうばかりだ。



a







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「英語で考える脳を身につける」??
- 2010/07/11(Sun) -
それは、その言語が生活に染みついてきたら、必然の結果だとおもう.
留学でもして、1か月でもその国の人と一生懸命につきあえば、当然ながらそういう状況になる.

「一生懸命つきあう」、それを、私の知り合いは、箔付け留学だったから、1年なんとかやりすごすことに腐心して
部屋からなるべく出ないでコンピュータをしていたと「自慢」していたが、そんな彼なら無理だろう.

また、スウェーデンに来ていた、日本の医師のグループ(彼らは、日本で医学部の教員の職があくのを待っていた)も
日本人だけでかたまって、外国人の陰口を言い合っていたから、それではだめだろうが.

夢でも、私は、スウェーデン語でわめいていた自分に熱を込めていた.目覚めたら、汗をかいていた.

「一生懸命つきあう」とは、その言語を使用して、人と社会をよく知ろうと動き考え感じることなのだ.



だから、私は、私のところに出入りする高校生にも、

英会話はバカでもできる、そんなことに憧れをもつより、
いまは、

込み入った長い文章を読んでわかるようになることや、

まちがいない文章をスマートに書けるようになる力を身につけろ、

どうせ、大学に行ったら、もうだれも英語の文法とか構文とかを教えてくれはしないんだから


と言うことにしている.


私はこれでいいとおもっているのだが、もしまちがっていたら、

だれか私の蒙を啓いてくれたまえ.



c



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無自覚
- 2010/07/08(Thu) -
私のところに来る高校生たちと話していて、いや、だれと話していても、
私は、自分がいまも、二十代のころの自分に容易に戻って語っているのを知る。

地元のご婦人方からお酒の席に呼ばれたときも、つい、そんな気分になって、
「おばさんたちと飲んでも仕方ない」
と言って周囲を凍らせてしまった。自分は、五十過ぎ、相手のご婦人方は、三十~四十代であるというのに。

無論、二十代よりは、体重も10キロは増え、ウエストも太くなっている。
心臓の手術もしたし、恋愛の傷も数々負った。


それでも、自分はまだまだやれる、と、間違った自意識を、周囲と同じように、抱いているというのか。

二十歳のころよりは、知見も増したし、学問も無論積んできた。しかし、それをいまは使って生きていないから、
そのぶん、「素の自分」 で生きているぶん、余計に、昔の、若いころのような気分になってしまうのかもしれない。五十過ぎの、肩書き無しの男になど、社会は一顧だにしないというのに。



こんなふうに、自分を自覚しないで死ぬのが、私のような人間に相応しいのか。

まあ、周囲も同じ、

私は、知っていることもそれなりにある、

記憶にある同級生の女子たちも、そういえば五十過ぎのオバサンになっているのか、

いや、彼女たちは、いまも、高校生時代のみずみずしさを、

たとえ、いま会っても、私に見せるに違いないことは確かだ。


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自己を迎えに
- 2010/07/05(Mon) -
みる夢さえくだらない

低俗だ

自分の頭の中に呆れる

私の理想はどこにある

あるいは、

繰り返しみる夢は、知らない砂漠の町の景色ばかり

これが前世の記憶というものなのか

私ももうおわりか

これを書こうとコンピュータをつけると

時刻4:44

他人の子どもの頭脳の世話をやくことが私の求めるところだったか

大学研究室も、企業の机も、そうではないとおもえたが、いまもまだ、未だ、それを私は知らぬのか

いや、ほんとうは知っているのだ

ただ、そこに懸けられないだけだ

だが、もう時間がない

すべてを捨てて、それしかなかろう

そこにゆくしか、もはや、自分の生を全うするすべはない.



w



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騒ぎのはたで
- 2010/07/02(Fri) -
なんか、日本人の感動、って、小さい気がする.

「歴史に残る」 とか
「世界の」 とかを簡単に口にする.

ほんとうの世界には、そんなレベル以上の真実がいくらでもあるのに.


なんか、ちっさいんだよなぁ.

ま、そいういう私は、「なに斜に構えている」って排斥されるけれど、

それもまた、くだらないなぁ.


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日本人にとっての異文化
- 2010/07/02(Fri) -
私のところに遊びにくる子ども(小学高学年~受験浪人生)たちはみんな
私がつくるある料理が好きなのだが
そのための、茹でたジャガイモの皮をむいていて思い出した。


(説明写真はありません。あしからず)
スウェーデンのウプサラ大学に留学した当時
学食のお米はインディカ米だったが、定額で食べ放題なことがまずうれしかった。


主食には、お米のほかに、茹でた皮付きのジャガイモがあった。


私は最初、ジャガイモの皮を指でむいていたが、その初日に
周囲を見て、フォークとナイフでむく方法を学んだ。
たぶん、それが私がスウェーデンで学んだ最初の異文化習慣かもしれない。
そしてそれは、いまも私の行動様式になっている。
無論、その後、北欧のマフラーの巻き方、
雪道を自転車で行くコツ、
さらに、吹雪の中を自転車で進むコツ、などなど数え切れないことを学んだわけだ.




異なる文化様式を嘲笑・非難・排斥する者は、日本人に特に多い。
それを私は、
沖縄・八重山のあるNPO団体の自称 「研究所」 の、広島と新潟出身の職員2人に顕著に見た。
この理由は、単なる 「島国根性」 とか 「外国コンプレックス」 では説明できまい。




しかし、国が変われば野菜の皮のむき方ひとつさえ変わるのであり、
そこに、その場所ならではの事情や工夫や知恵があるものなのだ。


広い世界を知った者は、それだけさまざまな人種・国民の知恵を知っているわけで
そこに、行動の余裕や観点の高さがうまれる。


さまざまな国民と接するヨーロッパの人間は、そんな知恵を尊ぶのだが
日本人は、自分に余裕や知恵を示す人間をとりあえず排斥したいもののようだ。
どうしたもんだろう、この民族は・・・・・・
まあ、そんな日本人がだんだん減少することを祈るだけだ。
よりよき日本国のために、よりよき社会のために。



t


(本記事の一部は2008年11月7日に書かれた.)
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「人への優しさ ☞ デザインする頭脳」 の一例
- 2010/07/01(Thu) -
東京のマーケットのレジで.

手前のカゴを縦に置く 「やさしさ」 があれば、後ろの人も置くことができる.

しかし、それは無理なのだ.

見てわかるように、テーブルは微妙な大きさで、縦に置いても2つは並ばない.


「やさしいデザイン力」 とは、こういうところに現れるのだ.


ちょっとした違いで、ほっとできる人が増えるのに.
b



(本記事は2006年12月22日東京・山王居住時代に書かれた.)


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またひとつのありがたみ
- 2010/07/01(Thu) -
(本記事は2009年6月30日に書かれた)


昨日クルマで私のところに勉強にきた高卒生が駐車禁止の紙を貼られた。

(この土地ではクルマは贅沢品ではなく必需品です。この暑さゆえ。
また、浪人生はたいてい運転免許をもっています。念のため。)

それで、朝から、警察署と市役所の都市計画室に電話をして事情を尋ねてみた。

というのも、そこは駐車禁止区域外だったから。

無論、路上駐車は駐車禁止標識の有無にかかわらずよくないのはわかっている。


市役所の職員は、丁寧にその道の位置づけを話してくれた。



最初は本人でも家族でもない私が連絡してきたことでいぶかしんでいた警察も
最後は明るい声で違反ではなかった、と本人に伝えてほしいと私に電話をくれた。



私も、自分で不思議なほど穏やかに彼らと話しができた。
というのも、昔の私だったら、勉強にきている子に理解をしろ、と怒鳴っていたかもしれないから
自分の変化を自分で見て、それがいちばん驚いた。
たぶん、この2年くらいの間に東京と八重山の 「職場」 でくだらないニンゲンを凝縮して見てきたからだろう。
その意味では、ニンゲン的愚に出会うこともまたありがたい。



そして、ぼちぼち、いま期末試験真っ最中の高校生と中学生がやってきた。

それにまじって、のんきな顔で小学生が漢字を書いている。



もしかしたら、私をいちばん成長させてくれているのは、彼ら島の子どもたちかもしれない。



m
(筆者2007年夏撮影)


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