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孟母三遷 猫母九遷
- 2010/06/28(Mon) -
タイトルの通り、ただ、それだけである.

孟子の母が仮にこの逸話のようであったとしても、あるいは、それが後代の想像であったにせよ、

現実の動物の親は、そんな人間的な数字を遥かに凌駕した数で、「孟母の本質」 を体現しているのだ.


なぜだかわからない、子どもたちへの危険を察知してか、


母は4匹を咥え、日々移動している.


私のところにも、数日間隔で母子5足が集合する.


感服するのみ.






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まだわからない
- 2010/06/16(Wed) -
スウェーデンのさまざまな制度を日本に移植すべきかどうかの議論がいまだにある.


そして、そのたび、スウェーデンと同じことが日本ではできないという理由が数々挙げられる. 財源、人口、地理的規模云々.


スウェーデンの精度を移植すべし、という意見も、

それができないことの理由を考える頭脳も、

どちらも実のない、空疎な思考なのに気づかないのか.



日本人が、スウェーデン人のもつ、他者へのメンタリティを身につけなければ、


どんな制度の改革も意味がない、ということを.



いいかげん、目を覚ませ.





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営まれるべき恋愛 (あるいは、「ロミオとジュリエットのようでなく」)
- 2010/06/15(Tue) -
私のところに勉強をしにくる高校生の女子が、自分の両親がいまでもべたべたしていて目も当てられないことがある、
と私に苦笑して話していた. 結構なことなのに.

聞けば、ご両親は、高校生時代からのつきあいだとのこと.県立普通科高校が1校しかない島の中での恋愛である.


もしかしたら、高校時代からのつきあいだと、思い出も、自分たちの十代から共有して遡れるので、愛の基礎がしっかりするのかもしれない.恋人をつくるなら、十代のときの出会いの相手から、と息子娘に教育する親御さんもいるかもしれない.同窓と結婚したK29の友たちよ、私のこの推測は誤っていないだろうね.


――――――――


恋愛には、その主人公がニンゲンの感情というものであるため、過ちや誤解がつきものだ.

恋人の友人や親族と折り合いが悪いために終わる恋愛を経験した人はたくさんいて、それが、明らかな過ちや誤解に基づく終わりであることも、多くの、実に多くの人が経験してきているにちがいない.


生き物は、もともと、猫でさえ性質が違うのだから、まして、不完全な頭脳であれこれ算段するのが好きなニンゲンの好悪の感情は思考にも値しないほど不確かなもののはずである.
現実に、自分の感情にそぐわない他者を自分の視界から、―― 交遊の範囲から、職場から、親族関係から ―― 駆逐(文字通り!)しようとする人は実に人類の圧倒的多数派だろう.

折り合いが悪くても、もう許せないと思うような悪質な嘘や日陰の行動をとる相手でも、自分の脳から消そうと思えない私のようなニンゲンは、きっと、桁が1つ少ないほどの少数派のはずだ.私が他者から離れるのは、相手がどうしようもなく私を嫌悪している場合、もしくは、一切の私の言葉に耳ふさごうとする相手の場合に限る.(もっとも、そうした相手もまた実にたくさんいるのだが……それが、ニンゲン社会.)


親族や相手の友人から入る雑音、つまり、周囲の過ちや誤解によって醸成される過ちや誤解、によって終わる恋愛の命のあっけなさよ.


しかし、だからといって、人は恋愛を価値なきものとはみなせまい.


『ロミオとジュリエット』は悲劇なのか.ニンゲンの過ちや誤解がもはや滑稽にさえみえるものには、あれは悲喜劇の分類を超えて(シェイクスピアの作品はどれもそうだが)、世間日常にありふれた事例をもって、ニンゲン的なあまりにニンゲン的なことを描きつつ、それでいて人の心をうち、人生の価値をあらためて称揚しようとした作品だったろう.



愛する者がいる者は幸福だ.

人を憎むのは簡単で、 浅く、 軽い.

愛を営み続けることは知恵と力を要し、 深遠で、 重厚だ.


昔の同窓生同士が結婚したと聞くと、どうしても、高校時代の姿容貌の二人がよりそっているさまを想像してしまうが、


きっと、彼ら彼女らの心は、 そのとおりに、 いまも、 みずみずしいのにちがいない.



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たたかいていきる
- 2010/06/01(Tue) -
私は、子ども時代から二十代中盤くらいまでは、よい先生たちに恵まれ、

自分は、ただ、好きな勉強をしたり、文章を書いたりしていれば、先生たちは喜び、

私が思いもかけないような代償 ―― よい上級学校への推薦とか、私の書いたものの社会化とか ―― を与えてくれた.

私は、ただ、努力していれば人生やっていける、といったような 「甘い」 人生観を固着させてしまった.

子ども時代に読んだ日本の昔話でも、正直で努力する人はいつも天佑が守っていた・・・・・・




しかし、その後の研究生活や、それを辞めて勤めた組織で出あった日本の大学人や同僚たちは、

人を陥れ、騙し、排斥し、虚偽を能弁できる者たちだった.よき先生たちは、物故された.



だが、それが、ニンゲン社会の必然、というものだったのだ.

野良猫さえ、時にたたかわねばならないときもある.ニンゲンもまた、そのような悪とたたかうのが必然なのだろう.


清い生が守護されるような、昔の出家修行者の園のような世界は、もはやこの世にはないのかもしれない.

私たちは、自分を護るために、

あえて、他者と対峙する労力を惜しんではならないのだろう.


ニンゲンのかなしさは、こんなところにもある.



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