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ett för födelsedag
- 2010/05/16(Sun) -
料理がうまい、と、また言われたい


たぶん、それが、アイシテル より以上の誉め言葉


大切な相手が、自分のつくったもので笑み満面、どんなキスのときより唇を光らせている


そんなときが、また、幾度だって、あっていい

(同窓生たちよ、私の阿呆を哂いたまえ)


m


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きょうは
- 2010/05/16(Sun) -
先日、私の腕に抱かれて亡くなった子猫の埋葬式.

場所を提供してくれるお宅には、その家系の写真をもってご挨拶に行った.

同族たちには、葬儀参列者にふさわしく、豚肉炒めをふんだんに用意した.

私の生徒たちは、献花する係、写真を撮る係、同族に豚肉を配布する係、などに分かれた.

その生徒たちに、知り合いがケーキを用意してくれた.まあ、私の誕生日でもあるから.

無論、私は、墓を掘る係である.

その私は、先ほど散髪もし、シャワーをあびて身を清めた.


では、続きは、またあと、あるいは数日後に.


慧吉1

慧吉雲丹吉

慧吉2

恵吉3

慧吉4

そのまま眠れよ、慧吉、そして土に還り、いつかきょうだい母親たちとまたひとつになれ.





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どこでも愉し
- 2010/05/14(Fri) -
私がいる島はきょうで4日連続で豪雨だ.

私のところにくる小学生は土砂降りなんか気にしないで、猫と同じようにぬれて入ってくる.

女子高生も濡れるのは平気だ.日傘はさすくせに、雨傘は面倒らしい.日焼けのほうが大敵なのだ.



スウェーデンでは、夏も冬もよく濡れていたがなんとも思わなかった.スウェーデン人がそうだから.

夏に大学と学生寮の間を徒歩で気持ちよく歩くとシャワーにあうが、すぐに降雨域から出てしまう.
それでまたまぶしい日差しと涼しい風でTシャツも髪もすぐ乾いた.


冬は、吹雪の中、軍用自転車の太いタイヤが埋まる雪道を行くと、建物につくころは雪だるまになっている.
その雪はエントランスで払い落としてしまえば、皮コートの濡れはすぐに乾いた.
建物の気密性が日本より段違いに高いので、外は零下20℃でも、授業はTシャツで受けていた.



昨日、このブログをご覧になった中国留学中の人からメールが来た.
中国も、私は西の果ての国立大学と上海の日本人学校に、ともに職があると誘われたが、
八重山の島のある海洋生物の自称 「研究所」 に行くことを選び、中国の職は断った.
結果的に、その研究所とその母体のNPO団体がウソで固めた組織だったので、そこを出て、
いまの島に移って子どもたちを相手にする生活をしている.
中国の大都市や、あるいは砂漠の中の大学では、きっと思いもかけないことがあったにちがいない.
しかし、結局は、どこにいっても、私は、若者を相手にする職に落ち着く定めだったようだ.



研究者になりきれず、会社員でもい続けられず、よい夫にもなれず、


結局、他人の子どもに何かを伝え遺すことに専従している.


もっと早く自分の天分に気づいていたら教員免許でもとっていたかもしれないが、

まぁ、ここまであちこち行き行きて、少し自分がわかってきたのだから、

その認識を手懸り足懸りにして、

次の一歩を踏み出すしかないな.



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(筆者2007年夏撮影)


(本記事は2009年7月5日に書かれた.)


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いわゆる 「受験のための勉強」 とは
- 2010/05/13(Thu) -
(本記事の一部は2009年1月13日に書かれたものである.)


大学入試センター試験まで1週間をきり
私のところで机を使いにくる受験生たちも、緊張顔あり、お気楽顔あり、個性が鮮明になってきた。


センター試験は、英語に関していえば、じっくり腰をすえて考える性質の頭脳が要求されているのではなく
たとえば、外国人と会話するときに、相手の話のポイントを押さえつつ本質を推測理解するような、
いわゆる、言語活動の実際場面で有効な全体把握能力のスピードと適切な精度が要求されている試験である。


だから、センター試験に不向きな性格の子、向いている性格の子というのもそれぞれある。
私のこの島の生徒のなかでは、
自分が大好きで、いつも前向きで、あまり立ち止まって悩まないタイプの子は高得点を挙げるようだ。


◇◆◇◆◇◆


大学入試というのは、あくまでも通過点なので、全速で駆け抜けてしまうにこしたことがない。
本当の学問は、大学院に行くころになって始まるものだ。
大学受験生だったころの私はそこがわからず、
受験勉強に真っ向から対峙してしまったために余計なことで頭脳を無駄使いした。
理系の学科では、数学の公理体系を始めから勉強したり、
生物なら岩波のオパーリンの著作を数千円で買って読んだりした。
そんなものより、千円くらいで買える受験参考書を覚えたほうがずっと受験に関しては有効だったのに。
文系の科目でも、そもそも外国人の人名であれこれ想像した。
たとえば、どうしてローマの皇帝の名前はみんな 「~ウス」 で終わるのか、
インドの釈尊はブッダと呼ばれるが、どうしてか、
英単語では、-eで終わる単語が多いのに、どうして、発音には最後に 「エ」 が入らないのか、
などといったところで、勉強は停滞し、つまらなくなるか、とことんまで調べようとしたりした。
それで、行きたかった某国立大学の理学部は不首尾で、仕方なく私立大の文学部に滑り込んだ。
もっともそこで、サンスクリットという、数学に劣らぬ魅力ある言語と知り合ったし、
古代北欧語の論文でスウェーデンにまで留学させてもらったのだから、人生どうなるかわからない。

ラテン語のusは男性名詞語尾のひとつだから、たいていのローマ時代の男性の名前はそれを含む、だとか、
ブッダは、自動詞 「目覚める」 の過去完了形で、自動詞なので受け身でなく完了の意味を表し、意味は 「目覚めきってしまった人」 、「仏」 という漢字は中国人による原語の音写、だとか、
英語の-eは単なる語尾で、英語を含むゲルマン語間で-anだったりもする部分で、意味の本質はその前部分、gameだったら、gam-の部分で、そこが 「愉しみ」 の意味。だから、gamanと書く地域・時代もあったのだ、
とかいうことは、ふつう高校生は学ばない。


まぁ、いまの私のようなニンゲンが従兄か家庭教師にでもいたら、私のような受験生は適切に軌道修正されたのだろうが、当時の私は独りで暗中模索していた。

自分が受験時代悩んでいた知識は、大学にはいってからわかった。私は無駄なことにアタマを使っていた受験生だったのだ。その意味では、大学にはいってから目が開く人も私のようにいるはずで、よく、転部・転入してくる大学生に優秀な人がいる、というのもこのあたりの事情からなのだろう。


受験勉強は、あくまでも、総得点をいかに上げるか、そこのみに工夫と努力を傾注すべき作業で、
決して、本質を究めようとする勉強であってはならない。
しかし、決められた時間内で高得点を挙げるための工夫をする能力もまた、人生には必要な能力なのだから
若者は、ほんの数か月は、そこに全精神力体力を傾注してもよいのである。



若者よ、努力せよ。


頭脳をもまた、肉体同様鍛えよ。



後の世界は、きみたちのものだから。



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南風
- 2010/05/11(Tue) -
私は、人の中でどんな人間なのだろうかと、よく考える.

特に、ここ、日本とはいえ、南の離島にいて、考えざるを得ない.

私が、ここで 「やりにくい」 と感じる人間は、

決して、土地の人々ではない.

実に、私の同僚、つまり、私同様に 「内地」 出身で、それでいて、

ここでなんらか認められて評価されたい、

と願う人間とのやりにくさを感じているのだ.

彼らは、私が、スウェーデン人とつきあったせいで、

日本の都会になじめずにここに来た、と思っている.

自分たちは土地に馴染んだが、私には無理だとの自負がある.

それほどに、土地に馴染むのは難しいのだろうが、

土地の人々は、私の個性をそれほどよそ者扱いしない.

それは、内地の人間としてみれば、私の個性も 「多少の違和感」 とともに

いっしょくたになってしまうからなのかもしれない.

それに対して、内地出身の同僚が私を排斥するのは、

島の人々が私に耳打ちするように、単なる未熟な人間による 「ひがみ」 に基づく行為なのか.

だとすれば、構造は単純だが、抜きがたい悪風というしかない.

まあ、なるようにしかならんな. 愚かな人間に期待してもしかたない.


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(本記事は2007年3月15日、
私が東京の出版社を出て環境問題について知ろうと
沖縄の離島のNPO団体に参加してから2か月後に書かれた.
私は、その4か月あとに、その島を出て、同じ離島の石垣島、宮古島で
ほんとうの沖縄の離島のよさを我が身に受けることになった.)


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病院にて
- 2010/05/11(Tue) -
仕事前に病院に行った。

病んでいる人々がいた。 
若い医師は闊歩していた。
見舞いの子どもは走っていた。 
それらを見ている私は、

老いてはいないが 若くはなく

社会に通用する体力はあるが 病をもち

安楽を知っているが 1年後の自分の生を想像できない存在だ。



老人が、受付で、電話受付の応対の不適切を怒鳴り叱っている。
老人の言葉は無駄がなく、理屈は要を得ている。 達者だ。






若き王子の釈尊は、庶民の生老病死の苦を見て出家したと伝えられている。

立ち止まって若さと安楽な生活を享受していなければ、老いや病の恐ろしさを感じまい。

それゆえ、子どもや若者、老人や病人は、生の崩壊の恐ろしさを感じまい。

この点で、仏伝の記述は、子どももでき、家族のもたらす幸福を知った「王子」 釈尊の感情に正確だった。

出家時の釈尊の年齢は歴史的に定められているが、古代の寿命も考えると、相対的に、いまの私に近い年齢だったことだろう。

私は・・・・・・、

あの老人ほど老いていなくとも、病あり元気なく、

それでいて、崩壊する肉体がもたらす苦悩の恐ろしさを感じたのである。
心筋梗塞で倒れて1か月以上入院していたときには感じなかったものを。

しかし、その対象は、いまやかなり親密になったものなのだが。



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(本記事は筆者旧サイトにおいて2005年に書かれたものである.)


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高齢者の外国語学習
- 2010/05/10(Mon) -
私が教えている生徒の親の紹介で私のところに年輩の男女の訪問があった.

三人とも私よりも高齢で、外国語、まあ、英語でよいので、教えてほしい、という.

目的を尋ねたら、ただ、勉強したい、とおっしゃる.
そう、大学に行けなかったから、これから行けたら、それもいい、と、あくまでも余裕の構えである.


私がスウェーデンでスウェーデン語を習得した時は、ひたすら暗記暗記、
そして、ウプサラ大学が(私は英語を勉強する必要はもうないからと、その予算で)つけてくれたスウェーデン語教師と
一対一の授業でひたすら文法問題を解いたり、日常生活についてしゃべったり、論文を添削してもらったり
そんなことをしたものだった.


無論、いまの私にはそれができる気力と生物学的意味での頭能力があるとは思えず、それは、
この高齢の訪問者についても同様のようだった.


しかし、何か、授けるものを示さねばならない.


私が提案した、
好きな英米の作家の原作や好きな映画の原作を読む、とかいうことは、あまり彼らの興味をひかなかった.

そのためには、当然ながら、学校でするような勉強を重ねる必要がある.

そのようなものに耐える意志は、その人たちにはないようだった.

では、どうすれば・・・

日常会話、というものの外国語運用レベルを評価しない私としては、それを 「教える」 などはしたくない.


世界を知る興味をもってほしい、

世界のどこかで飢えている子ども、世界のどこかで戦争が起きようとする危機の存在、
生活を楽にするための外国人の知恵、異なる文化に学んでよりよく生きること

・・・・・・そんなことに関心をもってくだされば、
私も、それらについて知るために必要な、読み・聞き、そして、問合せや投書をする程度の書く能力を授けられる.


あとは、彼らの気持ち次第だが、それしかできないことを申し訣なくおもう感情もまたある.


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観つづける
- 2010/05/09(Sun) -
休日で、塾の生徒の高校生は午後3時からと6時からのグループなので、
午前中に部活動をしている小学生の生徒のようすを観に行くことにした.
ひとりはサッカー部で練習していて、もうひとりは野球部で別の小学校で練習試合をしている.


へんだろうか?
塾の教え子が運動しているところを観に行く先生、というものは.

確かに、練習試合のほうはともかく、ただの練習など、親さえ観に来てはいなかった.
しかし、
私は、
まだ暑くなる前の、涼気たたえた風に吹かれながら、
のんびりと石塀に座って、20名にも満たない小学生高学年がサッカーの練習をしているのを、確かに観て愉しんだ.


そう、無論、塾の生徒であるから、
その子の部活動の様子を指導の参考にしよう、などという目的があったわけではないのだ.

その子がもしも女の子で、学校が女子高とかだったら、
私は、小学生の男子と同じ眼で同じ動機で観に行きたいとおもうだろうが、
そうすると、自分勝手な妄想を勝手に私に仮託して非難する方々と日本でたくさん出会ってきたので、
きっと私は、かえって行動を抑えただろうが、
きょうは、6年生男子のサッカーと野球だ.
だれ憚ることなく堂々と校内に入り、
彼らの動きを観ることでなごんでいた.


なぜか? 別に、図抜けて将来が嘱望される選手、というわけでもないのに.

なぜ、私は、そんな子どもの運動を観たいとおもうのだろう.



――――――


おもえば、勉強もまた、「観る」 作業だった.

空調のきいた図書館や研究室で、古文献を読み解くこと、それが私の研究生活に他ならなかった.
ルーン石碑の調査には、スウェーデンの原野を踏破して巡ったが、
仕上げの勉強は、やはり、机に向かって、昔の研究者の解釈と自分の見たものとのつけ合わせ、という作業になった.


私は、「観る」 のが、好きなのだろう、きっと.


では、自分の子ならいざしらず、他人の子がなにかするのを観ることを、なぜ私はうれしく感じるのか.



私は、自分の教え子以外の子にも、同じ視線を投げていた.


子ども、


彼らの中には、将来、いまの私にできないような仕事を本職としてする者も多いだろう.
研究者としても、私を凌ぐ者もいるかもしれない.

―― そんな子でも、
いまは、
みんなと一緒に、指導者に怒鳴られながら、半分は自分が好きで、半分は周囲の勧めで、部活動をこなしている.


いまの、きょうのきみらのおもいはどんなだろう.

勇気を得たか、くじけたか、つかれてしまったか、また明日こそ、とおもったか・・・・・・

そうして、きみらは成長して、やがて、こんなおいぼれが知らぬ領域のプロになってゆく.


私は、・・・・・・そんなきみらの、いまの姿を観ることが好きなのだよ.

これから、どのようにも変化成長する可能性を秘めたきみたちの、
まだ翼を広げる前に、それでも懸命に何かのためにもがく姿が、

たぶん、どんな名画にも劣らず、どんなTVプログラムよりも尊く

私の眼に心地よいのだよ.





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