しずかな教室で
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- 2010/04/25(Sun) -
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いま、2か月教えた島の女子高生が名古屋に推薦入試を受けに行っている.
たぶんそれに受かる彼女とも、今月でおわかれだ. この2か月間のつきあいに、私からも感謝している. 先日、去年やはり4か月くらい教えて推薦で大学にはいった子が訪ねてきてくれた. 出会いの一つ一つが尊い. ☆ ★ ☆ ★ ☆ 人とのつきあいは 「期間」 ではない. 何年も教えている小学生や中学生も、数か月でわかれることになる高校生も 若い魂との出会いを私に経験させてくれる尊さは、長さに関係がない. これまでの内外の、さまざまな人生の段階での恩師との出会いも、 さまざまな友人・知人・恋人との出会いも、 長さでその価値を考えることは当然ながらできはしない. 高校を出てすぐに同じ高校の相手とつきあい、結婚している同級生もいるが、彼らの幸福と 私が一時にせよ知った幸福の価値が異なるとは思わない. かくして、時間の長さをこえた価値が存在するがゆえに、 人との出会いの価値は永遠なものとなる. ニンゲンのちゃちな頭脳でも、この程度のことは考えることができることはありがたい. ニンゲンの人生は、犬や猫の生涯と比べて余計なものが多々あるのだが、 ほんの少しは意味あるものもありそうなのだから、 ちゃんと生きるのにこしたことはない. と、いっても、その分際がむずかしい. 要するに、誠実に、熱心に、よく考えて生きる、ということだけだろう. 五十を過ぎて、こんなことがようやくわかる. (09.9.12.記) |
死の自覚 (K29同窓生へ)
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- 2010/04/21(Wed) -
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昔の友たちよ、私たちの友の中には、既にこの世にいないものもある.
諸君たちは、死を間近に感じたことがあるか.半世紀生きたから、そいういう経験もあるかもしれぬ. 無論、生きていれば、ひやっとする瞬間というものは幾度もあるだろう. 海に遊びに行って溺れそうになった時とか、クルマを運転していて衝突を感じた時とか、・・・である. 私も、たとえば、大学で器械体操をしていて、鉄棒の演技中で手が離れてマットに飛んでいった時とか、 その後、二十代で急進的な社会人山岳会に入って、ノーザイルで岩壁に張り付いていた時とかには、 死ぬかもな、とは、光よりも早く脳裡に意識が走った. しかし、そういったのは、死の意識が伴わない. 死ぬ、ということがはっきりと眼前に確かに意識されていなければ、「死を思った」 とは言えないだろう. 私は、そうしたことが人生で、2回あった. 一度は、二十代に、上記の山岳会で谷川岳に行った折、私だけが雪の中に滑落して、捜索もされずにいた間である. 悲しかった. ただ、それだけだった. もう一度は、5年前に心筋梗塞の発作で倒れたときである. 携帯電話で救急車に居場所を告げて倒れていたあと、搬送される間はまだどこかに余裕があった. しかし、病院をたらい回しにされているうちに、いよいよ苦しみが強まり、 「もう、安楽死させてくれないか」 と救急隊員に言った時には、 人生に乾杯して逝こう、という気になった. だが、人によると、死ぬ間際というのは、そんなものではないそうだ. 死ぬ間際の心身の苦しみは 「断末魔」 という単語があるように、相当なものだそうだ. ―――――― どう思う、昔の友よ 数ヶ月前、私がエサをやっていた野良猫の子どもが家の前で血を吐いていた. クルマに轢かれたか、なにか害虫除けの毒エサを食べたか 私は、それから、その、もはや歩けぬ子猫を1か月屋内で育てた. 最後に息を引きとる時、子猫は、いっそう、いかにも苦しそうにあがいて、そうして、脱力した. 死はいまもそこにある. 私たちは、避け得ないし、また、それについて語ることもできない. 厳粛、という言葉では足りぬ 死は、ただ、いまも、そこにある |
忍ぶ
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- 2010/04/16(Fri) -
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頭脳も、習ったしつけもよく、十分に周囲を観る目ももっている. しかし、我を張る、ということがまるでない. 自分を常に最後に置く. だから、子どもは彼女を尊ぶものの 彼女を知らない者には、あしざまに殴打攻撃を受け、 孫にさえ、額に傷を負わされる. 尊ぶべきものを知らない若者はいたるところにいるが 彼女は、それらを全て受け止める. そして、彼女は、常に最後に待つ. そんな生き方をするものがいる. |
幕間
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- 2010/04/16(Fri) -
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きょうから、私が出あった生物もまた記事の中心において書く. なぜなら、彼ら彼女たちもまた、私に多くの教えをくれたから. |
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