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あらゆる過去に感謝する
- 2010/01/20(Wed) -
人によっては、自分の過去を封印したい人もいるだろう.
あるいは、自分の過去を反芻に反芻を重ねて微笑んでいる人もいるだろう.

私は、過去は今とつながらない人生を送っているゆえ、過去は反芻しないし、
過去があっての今の自分だと堅く信じているので、過去を否定も隠しもしない.


☆ ★ ☆ ★ ☆



無論、私の過去にもいろいろなことがあった.


しかし、いまの私は、


いまの生活の中で、


過去の出来事全てに、過去の人々全てに感謝の気持ちでいるのだ.




私の子どもを産みたがらなかった過去の恋人よ
きみのことは私は、誰を抱こうとも、生涯忘れることはない.
人の心の深さと尊さを教えてくれたきみを、そして、ありがたいとおもう.




離婚して子どもを連れてまで私のところに来てくれたきみ、過去の恋人よ
私は、きみを通じて、強く生きる、明るく生きることを教わった.
私はきみになにができたかしらないが、私はきみとの生活から家庭の真の幸福を学んだ.
きみへの感謝は私の最大のものだ.




私の博士論文をちょろまかして自分の学会発表に使った東北大学の教授さん、また、
私の論文に理解できない言語があるからとそれをどこかの国の研究者の著作の 「剽窃」 と切り捨てた旧早稲田大學ドイツ文学科の教授たちよ
私は、あなたたちのおかげで、早々に大學教員でいるための器の大きさを知り、進路を変更することができた.
おかげで、まだ元気なうちに次の人生を歩むことができている.
軽々と卑劣なことをして自分の馬脚を露わにしてくれてありがとう.感謝しています.




スウェーデンで出会った恩師・親友たちには、
日本ではわからない人生の道、生き方の志、人を愛することの意味、などなど
実に多くのことを教わりました.
私のいまの背骨になっているのは、あなたたちから教わった知恵の数々にほかなりません.



私の小学校・中学校・高校の先生たち、
私はあなたたちのおかげで、勉強の楽しさを一度も失わずに大學の研究生活に入れました.
私の人生は勉強の人生でしたが、その軌道に私を乗せてくれたあなたがたには、
いくら頭を垂れても過ぎません.



結婚歴のない私が仙台と東京でともに暮らしたことのある2人の子ども、少年Aと、少女M

きみらは、もう、1人が高校、もう1人が中学を出る年齢になっただろう.

きみらは私をどう記憶しているか.無論、周囲の大人たちが私についていろいろ語るだろうが、
私はきみらを自分の子どもとして、いや、自分の命以上に大事に心から愛して一緒にいたよ.
このままきみらと会わずに私が逝って、
きみらも私のことを語ることなく人生を進め行くとしても
私にとっては、きみらとの暮らしは人生の最高の宝だった.
きみらから、「親」 であることの苦しみと尊さとともに、生まれて最大の喜びを知った.
ありがとう、ありがとう.

きみらの存在に、感謝して生きゆく.

m




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無限次元
- 2010/01/09(Sat) -
立体図形を描くと、見えない面ができる.
3次元のものを平面にしたのだから当然である.

人間もまた3次元の存在だが、人間社会は3次元ではない.

一人の心理や思考もまた一元的ではないのに、そのような人間が無限に交錯しているのだから、
人間社会は、それが職場や教育機関でも、無限多次元の世界なのだ.



しかし、私たちは、ある行動を選択するときの思考は、
それがどんなに複合的な思考判断でも、あくまでもこちらの悟性判断という点で、
所詮は一面的なのだ.


無限多次元世界を一面的に見る

過誤があって当然というものだ.



私の知人で、「何が本当によいかわからないから」 と言って、
会社で窓際だが多忙を極める部署に配置換えになっても泰然としていた人がいた.

彼が何を根拠にそう語ったのかはわからないが、
私たち個々人の見方では、自分を取り巻く環境すらも的確に把握することは至難といえるから、
自分が見た世界で一喜一憂するのも無駄なのは妥当な考えだ.





だが、では、私たちは、
観察思考を放棄して、
何が周囲で起きても動かず、考えず、機械のようにすごせばよいのか.



それでは、海流にゆれる海草と、風にゆれる葦と同じ.
そこに自らの落ち着きを見いだして得心できる人はいい.

私は、あいにく観察思考をやめられない者なので、
自分の見方を一面ではなく、
なるべく二面、三面、四面・・・と無限に増やしていく努力をしつつ、
一面しか見ない人々の中で少しでも真実を観る努力をして生きる.


真実を観ないでも人は泰然とできるなら、
真実を観る苦痛に耐えて、
動かぬも力を緩めぬ、アトラスのように在ることもできてよい.



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ともに未熟
- 2010/01/08(Fri) -
日本人女性の中で、なぜか高収入な知的労働に従事する人ほど、男性に媚を売りたがる。
無論、本人も、その周囲の男性も、「媚売り」 を認めはしないだろう。
それは、しかし、女性にも、男性にも 「都合」 のよいことなのだから。

私は、性別は 「男」 だが、女性が世界最高の収入力をもつスウェーデンで、真の 「人としての女性」 のあり方を見たから、私は、当然ながら、女性にも男性にも同じに接する。ゆえに、一部の女性を除いて、日本人女性に受けが悪い。というより、彼女たちは、あたかも自分に利益をもたらさない者に対する典型的冷淡さを露骨に示すことになる。裏表のある態度の典型である。

私は、特定の男子後輩にお茶や昼飯をおごることはしないように、女性や同僚にも、理由もなく飯やお茶をおごりに誘いをかけはしない。
事務機器の手配も、当然の時間を経て後に配備されるのが当たり前で、相手がそれが女性の場合だからといって、問合せの電話を繰り返しかけたりしない。それを 「女性に対する親切」 とおもっている男性と女性が多いのも滑稽な日本的光景だ。

たぶん、日本人女性が日本人男性のそのような一見、男の 「太っ腹」 「度量」 とでも解釈されがちな態度を喜んで受け入れてしまうのは、とりもなおさず、それが自分にも利益となることを知っているからだ。あるいは、そのような仕方でしか、自分を成長させる術を知らないからでもあろう。

一方、男性のそうした傾向は、たぶん、日本人独特の性意識にあるのかもしれない。女性のそれはどこからくるのだろうか。
たぶん、男性同様に、女性の性意識(断っておくが、この単語でさすのは、性差への認識ということであり、セックス観ということでは無論ない)もまた、健全ではないのかもしれない。

しかし、一方で、たとえば、工場や土の上で働く日本人女性たちの中には、自然に自分の能力を賢明なやりかたで使いこなす術を知っている人がいる。そこには、健全な自他認識がある。

いまの私の周囲にいるのも、そのような女性と男性が多いのは、日本の端にいるとはいえ、ありがたいことだとおもう。

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(本記事は2008年2月21日に書かれた.)

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わかる
- 2010/01/07(Thu) -
ヒトとヒトとの人生の違いは、

そのヒトが何を重んじて、何を欲しているかに基づくのかもしれない


あのヒトたちは、他のヒトビトから称賛を受けたい目立ちたい、という気もちが、とっても強かったんだろうな

だから、大学の教員になる、ということのためには

他のヒトの業績を汚す活動を会議の議題にすることもなんともおもわなかったんだろうな


私は、別に、他のヒトたちに仰ぎ見られたいとは特別おもわないし


できれば、だれからもかまわれないでほうっておいてもらいたいくらいだ

だから、あのヒトが行きたかったのに選考にもれたウプサラ大学に4年いた私を

あのヒトがことさらに追い出そうと画策したことも、

私にとってはただ居心地わるかっただけだった


あんな陰でこそこそ他人を貶める行為をするくらいなら
「ぼくにはこのポストしか人生にないんで譲ってください」 と素直に言ってくれればよかったのに

まわりのみんなも不愉快なおもいをしないですんだのになぁ



それで、私は、大学を去ることにしたんだよ

自分に居心地わるい土地には街ネコだっていなくなるものさ



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一方、別のあのヒトたちは、きっと、いわゆる豪奢な生活、というものをとても求めていたヒトたちだったんだな


だから、そのためにずっと奉職すると得な場所に私のような頭脳の監督者がいることが嫌だったんだろう


私は、別に、豪奢に生きたくないし、あとに金を遺したいともおもわないから、

私を追い出したいヒトたちがいるならと、辞めてあげたのだ


大勢いる家のネコのなかには、いつもひっそり家の隅で寝ていて、餌も最後にいただき、
それも、食べているときに別のネコがくるとさっさと餌皿を離れるものがいる一方、

何が何でも、他のネコの皿でも、食べている他のネコを引っ掻いても、自分が食べようとするものがいる


私が出あったヒト群のうちにも、後者のネコのような、五月蠅いヒトが、相当高い割合でいたんだな




私には、穏やかに日々生きる程度のお金があればよい




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私にとって大事なことは

日々、(ソクラテスの言い方での)正気を保って、すなわち、buddha「覚醒して」 生きること


誤った認識から極力離れ


正しく考え、正しく行動する量をできるかぎり増やすこと


それが何より、生きるうえでたいせつな命題


それ以外、若いころから、目ざしたものはない.




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老いに向けて 〔K29同窓生への新年の挨拶〕
- 2010/01/02(Sat) -
身の回りに十分な調度をそろえていても
脚腰痛で動き苦痛ならば、ちっともうれしくない

愛すべき小さい者たちが身の回りにいても
その健全な成育を自分が達成できる能力に翳りあるならば、哀しさ生ず

後のブッダであるシッダールタは、自分の息子に 「障碍」 という意味の名前をつけた



「老い」 は苦である、とは、かつてブッダが闡明したことであるが、
そんなことは年寄りはだれでも知っていることだとも言える.

しかし、そう、はっきりと言えたことにブッダの功績がある.それは、現代に至るも同じだ.




「自覚する」 ということ、もしくは、ブッダという言葉の原語の意味のままに 「覚醒し了る」 こと

生きていれば、人はなかなかそれができない.


目覚めていれば、今日の仕事、家族の食事、諸々の責務、自分の身体の用事・・・
それで、だれもがわかることが、だれもにも考えられることが二の次にされる



老いてもなお生きるには、
それが、苦の集まりばかりだとしたら、芥川の選択を私たちは肯首するしかないが

覚醒して生きる、そして、

これも老いの現実だと納得して生きる、そして、

年経たればこそでき、言えることを周囲に及ぼす



同窓生たちよ、私たちも、もう、そんな年齢に近づいたのだ.


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ふるさと
- 2010/01/01(Fri) -
私は神奈川県横浜市の出身である.

しかし、19で独立生計を営むようになってからは、横浜に帰省したのは両手の数ほどもない.


家族、は、言うまでもなく血の繋がりあるものたちだが、


私は、人生で、家族に劣らぬ絆をもった 「血の繋がりのないものたち」、すなわち、


昔の恋人たちや、そのうちのふたりの子ども(私の、ではなく)二名の、つまり、



私が愛したものたちの存在が、


私自身の人生と同じくらいにそれぞれ重く尊いので、

血縁、ということだけでは、私は自分を取り巻く人々に優先度をみとめない.


血縁者ほど、かえって、残酷だったりすることもある.




そんな私も、二度と戻らないつもりでスウェーデン留学に旅立った直前に、


横浜の港の見える丘公園から中華街へ、当時、食事をともにする程度にはたくさんいた女友達の1人と出かけたのだから、やっぱり、私にも、ふるさとへのおもいは深くあったのかもしれない.




しかし、その後、ウプサラで、

あるいは、帰国して一時滞在した仙台で、

そして、十年ぶりくらいに、学生としてではなく住んだ東京で、

私にはまたさまざまなことがあったので、それらの場所もまたふるさとに劣らぬ重さと尊さをもつにいたった.無論、いま住んでいる宮古島もまた、そのような場所になっていることは確実である.




尊いもの、
それは、人生にいくつもある.
そう生きさせよ.


m
 (筆者2007年夏撮影) 


〈付記〉 近頃、原語にあった発音ということでさまざまな人や、最近出版されたスウェーデン関係の図書では、Uppsala を 「ウップサーラ」 と表記する事例が増えてきている。確かに、Uppsala大学でスウェーデン語を学んだ私は、Uppsalaという単語だけを発音した教師の口元と音を正確にいまも覚えている。促音も長音もあるといえばあったが、それは、「ウップ」 と 「サーラ」 と言うことの前者は三分の一くらい、後者は半分くらいの促音と長音だった。しかし、それも、Uppsala universitetと言うときには、促音も長音も消えてしまう。i Uppsalaと言うときは、前の促音がほとんどなくなる。だから、「ウップサーラ」 は正しくはない。
田中美知太郎先生は 「ソクラテス」 と表記し、「ソークラテース」 とは書かれなかった。原語と違う発音は困りものだが、なんでもかんでも拡大鏡で見るように撥ねたり延ばしたりする片仮名表記もまた衒学者ぶっていて見苦しい。ゆえに、私は、いつまでも 「ウプサラ」 と書く。

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