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広き世界へ
- 2009/11/29(Sun) -
「龍は浅瀬を泳げない

だから、泳げる場所を求めて世界に旅立つ」

という歌があるそうだ.ジェット・リーが映画で言っていた.

自分が馴染める場所を求めてゆくのは、

それでよかったのだと、中国の知恵が教えてくれる.




私は、北ヨーロッパの現代と中世の言葉と、

インドイランの古代の言語しか知らない.

その知識だけで、世界を見、人を観察し、思考して生きている.

だが、もし私が、ラテン語を多少知る程度にもロマンス諸語を知っていたら、

あるいは、中国の古典にもっと詳しければ、

いまよりももっと中高生に外国語の話をおもしろく語れただろうに、

また、いまよりももっと広い視野で世界と人を見ることができただろうに.



広さには限りはない


人の成長にも限度はない



だから、いま生きていることは おもしろい


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学校生徒を恣意的教師から守るべきこと
- 2009/11/28(Sat) -
特に日本では、学校教師が生徒を公正に扱わないことが多い。

これは、ふつうの親御さんには気づかれないことで、先生が 「この子はだめ」 と言ったら、親としては引っ込むしかなくなるのが当然だと思われている。

しかし、学校教師というものが生徒を公正に扱うことは、特に日本のような 「情実重視」 の社会では、むしろ稀なのだ。

どうして先生がそのような不公正なことをするかというと・・・・・・まぁ、行儀のわるい、あるいは、言うことをきかない生徒をいじめようとして不公正なことをする教師もいるだろうが、ここではそれは論ずるに値しないから除外する。

教師が教室を望む方向に運営しようとする場合、具体的に、どの生徒にどのような位置づけをするかを、対外的に、あるいは、人間関係的に、あるいは、生徒個々の性質面などから真面目に考慮した結果、

―――― この生徒は、性格的に自分が第一位という優越感を与えてもっと伸ばすしかない、だから、たぶんもっと優秀なあの生徒はクラスでは 「それほどでもない」 とみんなに思われるように扱おう、とか
―――― この生徒の実力を認めると以前がんばっていた彼らが追い抜かれたと気づいてくさってしまうだろうから、この生徒の力が出ないように扱おう、とか
―――― この生徒はこれからが期待できるから、なんとかできる生徒たちと自分が伍して勉強できると思い込ませるようにしよう、そのためには、本来優秀なあの生徒には躓くような難しい質問をあえてしよう、とか
―――― 教室全体に健康的な空気をもたせるために、彼らとはまともに接せずに、単なるはぐれ者として軽く邪険に接しよう、とか

さまざまな計画で生徒を恣意的に扱うのが、「教室経営に熱心な」 先生のとる常套手段と言える。


しかし、言うまでもなく、このような先生の計画から外れた生徒は「冷や飯」 を食うことになる。こうしたことは、一人の先生が教室を監督する小学校と大学院で特に顕著になるのである。この初等教育学府と最高学府の教師が、ともに恣意的な人間である、という皮肉が人生の最初と学問修業の最初で行われることが日本の教育界の不幸なのだ。

教師がこのようになるのは、多分に、彼らが、生徒に嫉妬するほどにあまりに 「日本人」 だからだろう。

コンプレックスの根が深い日本人たちよ、私はきみらを哀れにおもうが、私はもはやきみらを相手にすることはしない。人生の時間は有限で、私がなすべきことは、きみらを非難することではなく、もっと価値あることでなければならない。
せめて私は、私の知る子ども・若者がそのような教師の餌食になって悩まぬよう言葉をかけ続けることが、この問題に対する自分のささやかな社会奉仕だと思うことにしている。

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付記: 私自身はといえば、小学校四年の加藤紀子先生、五六年の平本美子先生の教室でのあり方はすばらしいものだったと感謝している。大学では、これも学問の尊さを教えてくれた先生に出会えたが、その逆の未成熟な教師たちも如実に見た。


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清掃
- 2009/11/25(Wed) -
昔、親の家にいた子どものころ、テレビで永平寺だったか、禅僧たちが掃除をしている風景を見たことがある.清掃、のことを、たしか 「作務」 とかいったようだ.(いま、コンピュータは自動変換しなかったから、私の誤りかもしれないが.)

禅寺では、坐禅をすることと書を少し読むことと、あとは、清掃すなわち 「作務」 が生活のすべてなようにナレーションされていた.確かに、生活を維持するために労働する必要がない宗教者たちがなすことのうち、祈りも、信徒との歓談も必要ない禅僧たちは、生活の全てをあげて、坐るか、清掃につとめる以外することがないのだろう.

――――――

私は、沖縄の離島に住むようになって、ネクタイもワイシャツも必要なくなったので、衣服を購入したりクリーニングに出す必要がなくなった.勉強もしなくなったから、図書も買わない.美術館や映画館を巡ることもないから乗り物にも乗らない.外食をしたくなるような場所もない.だから、私は宗教者ではないが、生活の最低限をまかなうために最低限の労働しかしていない.すると、必然的に大量の時間が余る.無論、私は坐禅もしない.

そこで、来た当初、できた知り合いたちには 「お子さんが勉強したかったら、いつでも何時間でも勉強しに来ていいですよ。机は余っていますから」 と言ったものだった.私は、窪塚くんが出ていた映画 『ピンポン』 の中の、「卓球場の婆ぁ」 みたいな感じで、小学生から高校生までが机に向かう空間で、ぼーっと、猫にエサを与えたりして時間をやりすごしていた.


それでも時間が余るときは何をするのか・・・・・・私は、掃除をするのである.


親の家を出てからの独身男暮らしが30年以上になる私は、元来、掃除はあまり好きではなかった.また、そんな時間もなく東京で勉強と仕事と居酒屋だけに生きて・・・・・・まあ、よくある無頼な男の生きざまだった.

そんな私が、いま、持ち家ではないのに、だれも見ないようなところの塵を払うのは・・・・・・たぶん、いまの境遇と心境からだろう.どんな変化にせよ、それをおもしろくおもう.進歩とか退歩とかではなく、自分にこんな面があったのか、と気づいて、おもしろくおもう.


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ちっぽけな歴史の中で
- 2009/11/25(Wed) -
私がいる島は、まだ、平日の市街中央の朝でも
東京・銀座の元旦早朝のような、人影見えない静けさなので
だから、こんなことを考えるのだろう。


☆★☆★☆


私のところでしか宿題をしない小学6年生の子が、学校の社会の授業であったことを話した。
地球誕生から現代に至る帯グラフの中で、「人類誕生」 はどのへんかを先生がみんなに示させたそうだ。
その子は、右端のほう、左端の 「人類誕生」 から10分の9あたりのところにしたそうだ。
「ぼくがいちばん右側だったよ」 と自慢そうに言っていた。
「もっとだなぁ。カステラが横になったとして、茶色の部分があるあたりだよ」 と私は言った。

そう自分で言ったときに、何かがアタマの奥で光った。


いまからすれば非文明の江戸時代の人も、いや、清少納言の時代も、
人々は、日に数度食事をし、蕎麦をゆでたり魚を焼いたりし、
雨が降れば雨宿りをし、傘をさし、雷がなれば走り、
排泄のたびに尻を出し、疲れれば横になっていた。
私のように、子ども相手に寺子屋をしていたはぐれ武士もいたろうし
滝沢馬琴が筆を使うように、私は、コンピュータに依存している。



便利になったものも無数にあるが、その多くは、私たちに 「安楽」 を提供するものだ。
ヒトはますます 「安楽」 を提供する機器をつくりだすのだろうが、
その代償として、地球資源を貪り、地球環境を破壊してきた。
絶滅する動物は、地球誕生以来無数にあったのだから、いま絶滅しつつあるものも仕方ない、
という意見もあるだろう。もっとも、その遠因は、私たちヒトが石油製品を享受するためなのだ。



たぶん、ソクラテスが若者と議論し、夕方には家で奥さんに水をぶっかけられていたように
私たちの生活も、なすべきこと、たのしみごと、やっかいなことなどが入り込みで繰り返され
生きることには、いまも昔も、とりたてて高尚な意義などは存在しないのかもしれない。



ただ、いまは、便利な機器が満ち溢れているため、また、
それを享受できるか否かは所持する金銭にかかっているため、さらにまた、
所持する金銭は往々にして人々の間に不均等に分配されているため、その結果、
現代は、他者を陥れ、欺き、害することで自己の物質的優位を保とうとする輩が圧倒的多数派なため、


ソクラテスや釈尊や、さらに近い紫式部の時代などよりも、
複雑にゆがんでしまった人間が細菌の如くはびこっている時代となった。




私たちが文献で知る数千年前の人々といまの私たちを比べると
安楽を工夫する知恵は伸長したものの、
生物学的なヒトとしての基本的な部分では当然ながら横這い状態で、
そしてさらに、人間としての質ということになると、どうやら横這いというよりは下降気味のようだ。




私たちはこのあと未来のために何ができるのだろう。
おそらく、後の世代によき転換が起こるよう祈るしかないのかもしれない。



(09.5.23.記・改)


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ありつづく
- 2009/11/23(Mon) -
おもいかえせば

こんなにいくつもの訣れを経験してきた

どの訣れひとつも

人としてあってはいけない訣れのはずだった

どの訣れひとつででも

心ある者ならば、勇者らしく胸やぶれ斃れてしかるべきものだった

そう、たしかに、そのために、わたしは事実、胸をこわして倒れたし

自らを葬る支度をやめることはない、のだが……


――――――


きみは、自分が飢えて細っても食餌を与えてきた子どもが夜の路上で血流して倒れるのを見たね

そうして、きみは、四たりの子のうちのひとりを亡くした

きみは、しかし、泣かなかったし、

きょうも、女丈夫に生きている


――――――


きみは、ある日、きゅうに倒れた

その日を境に、太陽の下を駆けることも、きょうだいたちと噛み合うことも

なにもかも、命の躍動をすべて奪われた

なにが原因? なにがわるかったの?

きみはなにも問いかけずに四肢をひきずりうごめいて

そうして、とうとう、うんとうんとひとり苦しんで

親にもきょうだいにもみとられずに、別の生き物の手の下で息をひきとった

きみの死は、しかし、どうしてそんなに純粋なんだ

執着もなく、恨みもなく、後悔もなく、動揺もなく

きみの死は、あまりに崇高

きみの死は、純度においてなんらかけるところなかった



どうしてきみは、あんなふうに生ききれたのか

どうしてきみの母は、いまもこんなふうに世界を見ていることができるのか


――――――


わたしは、きのうも生き、きょうも生きた

あしたも生きる用意をしているのは、

生きているかぎり、自分がまだおわらないで、なにかができるとおもうからだ


なにか? それに価値が? だれのために? そんな相手がまだいるのか?

そんなものはいないし、価値などもとよりみとめていない

きみらがあのように生きたように、きみらがいまも歩むように

わたしもまだ生きてなにかをしつづける

なにかのためなどではなく

ただ、至高のものに目をあげつつ在るばかり.


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年順
- 2009/11/21(Sat) -
私も年齢を重ねて、かつて父の家を出た時の父の年齢をはるかに越えた.


そうして、昔の私のような、若い人々と出会い、彼らになんらかの教えを述べる立場になってきた.

あるいは、他人の子どもたちと話し、行動をともにすることも数々あった.



☆ ★ ☆ ★ ☆




20代30代の若い人たちに対して私が述べる、共通することがある.

「もう少しゆっくりと、広い視野で考えて行動するようにしなさい」

生きてきた時間が長ければ、自然と長い時間と広い空間で思考できるものなのだ.




ゆっくりとものを考えさせるためには、周囲の年長者・監督者が時間と余裕をもたせてやればよい.

広い視野でものを考えさせるためには、周囲の年長者・監督者が彼ら彼女らに必要な知見をもつ人をあてがえばよい.



それでも、その若者が、性急さを抑えられず、自分に必要な知見をもつ人のことばに耳傾けない場合には、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分に知らない世界がある、ということをわきまえない若者には、
私はしばらくしてのち語りかけを停止してきた.



☆ ★ ☆ ★ ☆




私にも年長の人がいる.彼らは母校の大学の先生であったり、出版社勤務時代に原稿を頼んだ人だったりする.そして、私に対する彼らの態度とそれに対する私の態度を省みるに、


私もまた、年長者の言葉に耳傾けない愚昧な若者にすぎないケースが多かったことに気づいた.


知見ある人の言葉に耳傾けるということは、とてもエネルギーが必要で、自分の皮膚を逆さに剥くような心苦しさを伴うものなのだったことに、
気づいた.


もう少し、私も、気長に、若者に接してやればよかったのかもしれない.




だが、私も、時間と行動に限りのある一人間にすぎない.

相手にできるのは、私に順う者たちだけだったし、これからもそうだろう.

せめて私は、私に語りかけてくれた年長者たちに、きょうあすは手紙でも書こう.



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恣意的教育者にならず
- 2009/11/19(Thu) -
(本記事の一部は、2008年8月6日、ある女子高生の訪問を受けた後に書かれた)

私は、スウェーデンにいたときに、ドイツ人の教授から、博士号をとるのに時間のかかるスウェーデンよりも、日本でとってきてスウェーデンで早々に教師になったほうが早い、と言われて日本に戻ってきた。

私が博士論文を出そうとしたのは、修士を卒業して、私をスウェーデンに送ってくれた新宿・高田馬場の大学ではなくて、杜の都・仙台にある国立大学だった。そこの教授が私に 「来い」 と言ったからだ。

理系の学問では、文系の学問よりも博士号を取るのは簡単だ、と言われるのを聞いたことがあるが、ほんとうなのだろうか、信じがたい。だが、たしかに、たとえば、カエルが専門の教授の下でウミガメの研究をしていたら、自分がすることが全てで、「指導教授」 は細かなところまで介入指示できないのかもしれない。

しかし、文系の学問では、指導教授とほぼ同じ分野・文献を扱うのが通例のようだ。特に、私のような古典学徒は。その結果、私の博士論文の一部が指導教授の学会発表に使用されたりもした。同じ教室で毎日議論して勉強し合っているのだから、「私」 が書いたものでも、指導教授の考えを聞いたあとの産物なので、「権利」 はどっちにあるとも言えない。ただ、私がそれを表と文章にまとめただけだ。だから、私は、指導教授の行為に違和感はなかった。ただ、その結果、博士論文を彼の下で出すのは止めただけだ。彼は 「ごめんね、使っちゃった」 と私に言ったが、別に詫びられるようなことではなかった。

私の本当の知性は、そのようにだれが述べてもよいようなところにありはしない。世界で私しか言えないこと、そしてそのゆえに、まだ他人がじゅうぶんには理解できないようなことに、それはあるのだから。


◇◆◇◆◇



文系の学問の 「論文指導」 も、多分に、恣意的になる。「明らかな誤り」 というより、「このほうがよりよい」 と指導教授が思った方向に指導学生は引かれることになる。それは、私がいま、島の子どもが推薦で大学入学をしようとして作文をもってくるのだが、それをなおしてやる過程で私が痛感していることだ。

子どもたちの作文は、それがその子の文章能力なら、そのままいかせてやればよいのだが、形容句があったほうがいい、とか、もっと具体的に書いたほうがいい、とか、主語が途中で代わっているだろう、とか、ここではこの漢字は使わないほうがいい、とかつい言ってしまう。内気な女の子だと、気づいたら涙ぐみそうになっていたりするので、自分がかつてつきあい方に苦労した指導教授と自分が同じような存在になっていることがやっとわかった。


勉強を教える、後から来る者を指導する、ということはどういうことなのだろう。できるなら、数学を教えるように割り切った関係でいたい。しかし、私は、外国語を教えたり、文章をなおしてやることが多い人間なので、そこに、どうしても (そう言いたくはないが) 「恣意的」 なものが入り込みやすく、それを戒めることの連続になる。


自分をたえず監視しているのが大事なのだろう、人にものを教える立場の者は。



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結婚、あるいは、スウェーデン的に独身でいること
- 2009/11/15(Sun) -
この島に引っ越してきた当初、「信用が違うから、固定電話を引いたほうがいいよ」 と言われたのでそうした。
東京ではあまり意識しない事柄だ。

自著を島の教育関係者に寄贈したとき、
「あんたは独身か。独り者は信用されないから、所帯をもったほうがいい」
と親切な忠告を受けた。


☆ ★ ☆ ★ ☆



私は、これまで、国内外のどの土地に言ってもいわゆる 「恋人」 と言うべき相手はいた。
しかし、とうとう、半世紀生きた間に結婚した相手はいなかった。

それらのどの恋人とも、多少の苦しみをもって訣れてきたわけで、夫婦になっていたとしたら、その苦しみに法的なことや親族も巻き込んだことも加わっていたかとおもうと、いささか結婚に躊躇してしまう気持ちはあった。
しかし、40代でクルマの免許をとったとき、それまではクルマを運転する自分などは到底想像できなかったのが、自転車を繰るようにクルマをころがしている自分を見て、あるいは、結婚も、そういうものなのかもしれない、とも思うようになった。
教習所で悪戦苦闘していたころ、知り合いから 「どんなオバサンも最終的には免許をとっている事実を見よ」 と言われて、自分も当たり前にいつか免許がとれるはずだ、と思えるようになったものだった。
結婚も、たいていの人がしている。私にも、できたのかもしれない。気づくのが遅すぎたが。


☆ ★ ☆ ★ ☆



そんな私も、独身でいることで信用がおけない、と言われると、ちょっとおかしいと思ってしまうのだ。

私のスウェーデン時代の先生は、中年以降でも独身女性が多かったから。

私も、彼ら彼女らのように、仕事に没頭した後に広い蒼穹を見上げる時のような、独りの、後ろを振り返らない、自分の脚だけを信じる、きっぱりしたすがすがしさを失いたくはない。それは、私の常の心象風景のようなもので、たぶん、生きるかぎり忘れることはないだろう。

それを、「だめ」 だと言うのは、そう言う人の文化の習慣なので、私は、当然、そんな言葉に影響されはしない。単に、人生観と世界観の規模と重点の位置の違いにすぎないことだからだ。


それでも、いま、半世紀生きて、結婚しておいてもよかったかもな、とちょっぴり思えるようになったのは、自分が少し変わったからだろう。喜ばしい変化だと思おう。
後悔ではなく、選択肢の1つとして、あってもよかった、と。
寝たきりの自分を世話してくれる相手などは不要だが、クルマの時と同じように、結婚すると、人生の新たな景色をまたいくつか眺めることができそうな気がするからだ。
(07.9.18.記・改)


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恋人のことば
- 2009/11/15(Sun) -
(本記事は2007年9月19日に書かれた.)


プロ野球の元巨人軍監督の長嶋茂雄氏の奥様が亡くなったそうだ。

私は、それを今朝の近所の主婦たちの立ち話で聞いた。

女性たちは、一様に、「64歳はこれからなのに」「奥さん、かあわいそう」 と言っていた。

わたしは、それらだけを聞いて、てっきり死んだのは長嶋氏のほうかとおもったくらいだ。

それとも、女性たちだから死んだ奥様に同情してみせたのか。


私の昔の恋人たちの中には、遊んで回るだけの相手から、
将来を語り合った相手もそれなりにいた。


私が最もいたわった相手は、「死ぬときはわたしが先に死ぬね。だって、あなたの死に顔は見たくないから」 と言っていたずらそうに微笑んだ。

わたしは、そうなればよい、と願った。老いて自分が急に独りになったとしても、その孤独を彼女は味わわないですむ。


その後、彼女は不治の病にかかり、私たちはもはやともに生きられなくなった。


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