捨てはしない
- 2009/10/24(Sat) -
昨夜から死んだ子猫の埋葬場所を物色してクルマを走らせている.

どんなに静かな、美しい石の下でも、しかし、埋めることができなかった.



一人で埋めるは、捨てるも同じ

そう悟った.

だから、葬式には、人が参列するのだな.

塾の生徒たちに花をもたせて参列してもらおうか.



こんな、悟性判断もちゃんとできていない私などは、どうしようもないのに、

ありがたいことに、さる親しい予備校校長が私に東京圏に戻ってくるよう誘ってくれる.

「どうせ私は、うまくやれませんよ。こんなですから」

「自分の人生を決めつけるなんて傲慢になってはいかんよ」





私は、明日も、馬のように汗をかき、牛のように耐えて働き、猫のように眠るだけだ.



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恨みを知らず
- 2009/10/20(Tue) -
「恨む」 という感情はどうやらニンゲンには、ある種、人気のある感情のようだ.

それが、エンタテインメントの題材によくなったりするから.

しかし、恨む、およびその類の、妬む、そねむ、ひがむ、等は、いずれも、

ニンゲンの頭脳が、「あの存在がなかったら、本来は自分はこうなのに」 と
想像比較するところに端を発する感情ゆえ、

つまり、それが、偏りと限界あるニンゲン的頭脳の産物ゆえ、

相手にすべかざるもの
真正な感情とは呼べないもの
従うべきではない感情、

と、論理的に言えるものだ.


しかし、恨みの感情は他人に訴えかけるし、それに同調することも容易にできる.

それが、真正な感情でないという結論は、なんだか正しくないように思える.

子どもや愛する者が理不尽な扱いをうけて、それに憤り、恨みを晴らす、といういき方は、
それは至極自然で当たり前のことのようにも思える.



それでも、私は、恨みをもつ存在になりたくないと意志する.



自分のテリトリーに執着するヒトによって毒エサを食べさせられて全身麻痺になり、
動けず食べれずに死んでいった子ネコの瞳と、
それを見つめる母ネコのまなざしのほうが、
ネコがいなくなり安堵して笑うヒトの顔よりずっと神々しいから.


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微妙
- 2009/10/09(Fri) -
ここ、南の端の離島も、ほんとうに夏は終わったようだ.
きょうは、知り合いの女性が長袖でいたし、
私も今夜から上掛けを使って寝ようとおもう.
たった、一日でこうなのだ.
肉体労働をしても、3日前の10月7日には、Tシャツが大胸筋全体に汗でべっとり張り付いていたが、
昨日ときょうは、胸に大きな蝶がとまったくらいにしか汗がにじまなかった.


1日の気温の変化でこんなに身体の反応にも変化が出るのは私だけかとおもったが
そういえば、
スウェーデンでも、4月には、中旬まではマフラーにコートでいた人々が
「春が訪れる」 と言われる sista april (4月末日)には、Tシャツやタンクトップになって、
大学構内にしゃがんで飲み騒いでいたものだったのをおもいだした.
たしか、10月上旬からは、ウプサラに雪が舞い始めるはずだ.


ちょっとした程度の違いで反応に変化があるのは、身体ばかりではない.


昨日まで大切におもえていた相手が、ある行為をしたばかりに大嫌いになった、という人もいることだろう.


つい先週まで熱烈に意志していたことが、何の熱情もかきたてなくなった、という経験もあるだろう.


人、というものは、微妙なものなのだ.

ある行為に及ぶかどうかも、また、微妙な境目を踏み越えるかどうかによって決まる.

こうした微妙なラインを踏み越えるかどうかの積み重ねで、人は無限に多様な人生の可能性の中で、
自分がおもいもかけなかった境遇に陥ることもあるだろう.


しかし、その、「おもいもかけない」 というのもまた、自分の可能性の中の立派な1項目だったはずで、


そうなったら、あとは、その 「おもいもかけない」 ことを愉しめばいいだけなのかもしれない.



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悲しい若者たち
- 2009/10/05(Mon) -
「なげかわしい」 とか 「遺憾だ」 とかいう、一過性的な言葉では足らぬ.

私が、スウェーデン人の若者を知ってから見た日本人の若者の多くが、見るだに哀れなほど人格が乏しく、 「悲しい」.

* * * * *


私たちは、たとえば、『三太郎の日記』 などを愛読して育った世代だ.

私たちが、あるいは、健全なヨーロッパの若者が知っている徳を、いまの日本人の若者の多くが知らない.


廉直   無私   真摯な努力

といったものの具体的内容を、彼らは実体験したことがない.
彼らが求め日々腐心しているものは、打算と安逸、一攫千金、~の寵児たること、取り巻く人々の中での人気、そのための虚偽と功利的立ち振る舞い、といったものに集約できる.


いったい、いつ、なんのせいで浅知恵つきはじめた20代30代の日本人はかくも悲しい人種になり果てたのか.私が出会った、仙台の大学院学生、東京の一部上場企業社員、沖縄のNPO団体幹部、といった、中途半端に 「成り上がり意識」 強い者たちだけがそのような人種だと、いまは思いたい.


もはや彼らを、「次代を担う若者」 としてみることはできない.

私たち、せめて、何が善かを知る老人たちが、十代までのさらに若い者たちに、本当の美徳を教える時代が日本にも来たのかもしれない.彼ら無垢な子どもたちを、いまの幼児社会人たちと同じように育ててはならない.


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