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外へ出よ
- 2009/09/14(Mon) -
先日、病院の待合室で隣に座ったおばあさんと話した.初対面である.
私が東京から来たと言うと、「なんでこんなところに」 と呆れられた.
おばあさんは、スウェーデンという国も知らなかったが、私が世界・日本をあちこち移動してここに来たことには納得してくれた.
そして、自分は、若いころから島を出たい出たいとおもっていたが、できずにとうとう老いてしまった、とまだ悔しそうに私に話してくれた.


☆ ★ ☆ ★ ☆



EXILE という歌謡グループがいるらしい.実は私は一度も彼ら(でいいのか)の歌を聴いたことはないのだが、高校生にそのグループ名の意味は話す.「外へ」 と 「行く、歩む」 の合成語だが、私のところにくる高校生は、私が英語の語源を言うとたいていはラテン語がらみなので、「またラテン語だぁ」 と言う.「行く」 は、ホントはもっと古い時代に遡るのだが.



たぶん、英和辞書には 「国外追放(する)」 という意味が挙がっているかもしれない.最近は、英和辞書さえひかなくなってしまったが、たぶん、辞書の限界ではそのような意味になるだろう.

しかし、exile の本質は、それが実際に行われていたであろう北欧の文学伝承によれば、受動的な 「追放」 ではなく、故郷をなんらかの理由で出なければならなくなった者が外の世界に (故郷への悔恨と相半ばするほど) 大きな野心で雄飛する姿なのだ.

そして、故郷を追われた理由もまた、なんらかの罪を犯した社会的弱者ゆえ、というよりも、むしろ凡人ならぬ特異な性質・能力を有する衆愚中の異人であったゆえに自ら故郷を去る、という側面もあるものなのだ.

その意味からすれば、先のグループは、日本の芸能界に見切りをつけて世界に雄飛する、という野心を込めて命名したのか、さて……


☆ ★ ☆ ★ ☆



一般の日本人にとっての外の世界への門戸は、きっと太平洋を越えた国アメリカなのは、いまも大方の人の意識では、そうだろう.

スウェーデン人にとって外の世界とは、海を越えたイギリスか、中央ヨーロッパへの南下だった.

隣国フィンランドにとって外の世界への門戸はスウェーデンなのだ.フィンランド人はスウェーデン語がわかるが、スウェーデンでは、フィンランド語は日本語と同様、異質の言語のひとつだ.

バイキングの時代から、いいや、古くは、インド・ヨーロッパ語族という、インドから中央アジアからイランからペルシャ、さらにギリシャから中央ヨーロッパからイギリスの島々まで、同じ言語族の民族が拡散していったのは、みんな外の世界を求めて人々が移動したからだ.

異なる文化へと人が動くのは、だから、自然な欲求だとおもうのだ.

若い者たちよ、外へ行け.


s


(本年7.19.記・改)


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いずれにせよ
- 2009/09/14(Mon) -
心筋梗塞で倒れたのは、東北大学研究室から戻った直後の夜11時過ぎの自室だった.

苦しみの理由はわからないながらも、これは命にかかわると直感したので、ドアまで急ぎ、ドアロックをはずし、携帯電話で救急車を呼んでドアの内側で倒れていた.助かりたかったのではない.独り暮らしの死後に死体が何日も放置されて腐乱してはマンションに迷惑だろうとおもったからだ.

これで、あとは葬儀をなんとかしてもらおうと安心して倒れていたら、どやとやど靴音がして、なにかに乗せられ、頭がぐるぐる回っているうちに、自分がクルマに乗っているのがわかった.苦痛で目を閉じていた私の頭の上で、「ここはだめだ、労災病院は?」 などと人の声が聞こえた.




救急車に乗っていた間、あまりの苦しさに、そしてそれ以上に、自分の人生でなすべきことは十分なしたという思いから、「死なせてくれないか」 と目を閉じたまま、相手の顔も見ずに頼んだが、返事はなかった.


そうして、4軒めの病院ですぐに手術を受け、蘇生した.




いま、離島の病院で毎月心臓の薬をもらうために医師の問診を受けるが、死を実感として覚悟した身としては、いまの生を充実させて日々生きるだけのことなので、「いつ死んでもよいです」 と医師に言うと、「困るんだよなぁ、死をカンタンに思われちゃ。死の苦しみ、断末魔の叫びををあんたは知らんでしょ」 と私と同年輩の医師が言った.


アンタは私の心を知っているのか.

所詮だれにもわからない他人の心とはいっても、あからさまに人を理解しない言辞を吐く人間に最後に身体をいじられるかとおもうと、なんだが、むなしい.
むしろ、俄然、生に耐えてやる、という意気がわいてくるのが、若い頃に返ったようで、我ながら可笑しい.

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(9.5記・改)


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擁護
- 2009/09/14(Mon) -
先の世界陸上の女子800メートルで驚異的な記録で優勝した南アフリカの選手が 「両性具有」 という記事が海外で出たようだ.
それに対して、母国の南アフリカでは、 「第三次世界大戦」 に匹敵する事態、と怒りを露わにしているそうだ.

この私の記事が公開されてすぐにも医学的結果が出ることだろう.私の関心は、その結果ではない.


☆ ★ ☆ ★ ☆



件の選手は、母国に擁護されている.結果によって母国を追放・・・ということはありうるのかわからないが、いまは、母国が 「世界大戦」 並みの大きさで擁護してくれている.



私がいまの島に落ち着くまでにいた八重山のある海洋生物の自称 「研究所」 の所長もまた、その母体のNPO団体の会長に 「擁護」 されていた.
本人曰く 「ここは、○○さんの趣味で赤字でも維持されているところ」 だそうだ.そう言う本人は、自分を擁護してくれている会長を笑いのネタにすることで自分を高めるのが大好きな大阿呆者だが、私は、そんな阿呆者より、阿呆者を 「擁護」 して支えている会長のあり方に関心をもった.


☆ ★ ☆ ★ ☆



だれかを攻撃するのと同様、だれかを擁護する、というのも、それがなんら かの思想に基づく場合、それはニンゲンならではのものだ.

そして、攻撃、の場合と同様、擁護、もまた、あまりに人間的であるがゆえに、観察に値する、とおもうのだ.



南アフリカは、今回、沖縄に転居するに当たり、私の転居先候補の一つになったところだ.どのような国民性なのだろう.どのような思考傾向があるところなのだろう.興味が尽きないが、私は、上記の陸上選手にまつわる結果がどうであれ、一人の若者を国を挙げて 「擁護」 している、ということで、とても近い感情をもつのだ.


もし私の生徒でも・・・・・・いないが、娘や息子でもが、世間、いや、世界から総攻撃されるような事態になっても、私は、その子を世界じゅうを敵にしても 「擁護」 してやりたい、とおもう.

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これから
- 2009/09/12(Sat) -
怒りの感情、というのは、論理的に誤りである、

ということは、かつて、仏陀 (あえて 「釈尊」 とは書かない) が諦(あきら)かにしたことだ。



それでも、人は、「自分の思うとおりにならない」 事態に出くわすと、怒りを発するものだ。



それが継続する時間の長さは人それぞれだろうが、

私も、生徒が教室で不届きな行為をしたときとかには、そんな感情が芽吹くのを一瞬感じる。
(そういう意味では、わたしも、まだまだだ。)

おととい書いた、去年知った八重山のあるNPO団体のあり方にも、そこを去ると決めた時期、
世間の善意の援助を私欲のために利用していることへの怒りを抱いていたが

ニンゲンというものは、映画 『スターゲイト』 のノックス人のようには、おそらく、未来永劫なれないものなんだな、

とおもうことが多くわかるようになってきた。

地球環境も、子どもの未来も、それを食い物にして自分の人生に利しようとおもう輩が細菌のように地上に残り続ける以上、

保護動物は絶滅し続けるしかなく、劣悪な環境の子どもはそこから出られないで死に続ける。



わたしたちは、「目覚めてしまった人」 のように、

絶えず論理的に 「怒り」 が誤謬であることを諦(あきら)めていることはできずとも

愚かな人間的あり方に対しては、 「怒る」 ことよりも、

頭脳あるものとして、より大きく、より価値あるものを意識し続けることで

「怒り」 を超えて、より 「よく」 生き続けていきたい。




それがまま困難でも、わたしたちは、前を見上げて、なにかよきものを遺すよう生きるしかない。




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(本記事は2008年9月23日に書かれた.)


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野良とも野生ともなんとでも呼べ
- 2009/09/12(Sat) -
この島にも野良犬野良猫がいる。むしろ、東京よりも多い。
野良犬が多いのが目につくが、犬は一代でだいたい終わるのに対して、野良猫は子どもを産んでどんどんふえる。

そんな猫にエサをやるなという意見もあるが、やらなくともごみ袋をあさるし、飯屋居酒屋の裏口に集合するし、鳥やセミを食べるし同じことだ。

エサをやると建物にいつくというが、やっている人間が引っ越すか死ぬがして、建物にエサがないとわかれば来なくなる。そもそも、エサをやってもそれが合わなければ来なくなる。

ニンゲンにエサをもらうのに慣れたところで見捨てられる運命がかわいそうだ、という人もいるが、野生の生き物はそんなことで自分を哀れだとおもったりしない。それは、左の私の写真の下に訳しておいた詩にもある通りだ。
ニンゲンならではの 「感傷」 になぞ、猫も私もひたってなどいない。

ゴミ箱からでも野生からでも彼らは同じようにエサをとる。死んだ動物が彼らにエサを給するように、ニンゲンもまたあまって廃棄するものを彼らに供するだけのこと。まして、自分の敷地内なら後始末もちゃんとする。

「面倒をみる」 などと高踏的立場でもの言うな。人間も野良猫も同じこの地上の間借人。連中はニンゲンに依存しているとはおもってない。あんたたちも始末に終えない無頼ニンゲンじゃぁないか。


k


(本年7.9.記)


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日本在住外国人の教養
- 2009/09/08(Tue) -
私は、外国人には厳しい、   と思われているが、それは違う.

日本人に対するように、外国人にも、それは迷惑だからやめてくれ、とはっきり言うだけのことだ.



スウェーデンに移住する外国人には、経済的裏づけと、スウェーデンで有為たり得るかの審査がある.

要するに、自力で稼げて、スウェーデン社会に貢献するような外国人しか国民番号を与えない、ということだ.

自国で食い詰めた者、スウェーデン社会に依存しようとする者は住まわせない、ということだ.



一方、日本は、外国人には寛大だ.スウェーデンが設けているようなハードルは一切ない.

また、日本人は、外国人に対して一様に腰が引けている.

外国人だと、多少無茶をしても、まあまあ、ということで笑顔で許してもらえる.

こんな国も世界では珍しい.これも、島国根性と、印欧語ができない国民の弱点なのか.

いや、同じ非印欧語民族の中国や韓国も日本のようだとは信じ難い.

とすれば、日本人のかような弱者ぶりはどう説明するのだろう・・・



いつだったか、ある施設で、黒人が列に割り込んできた.

日本人たちはみな笑顔で 「どうぞどうぞ」 と彼を列の中途に入れていた.

その黒人も、愛想よい笑顔と尊大さがまざった態度で日本人に接していた.

そこで、私が、最初は日本語で、次に、仕方なく彼の言語の英語で、後ろに並べ、秩序を守れ、と注意した.

すると、彼の、押しつけがましい friendliness をたたえた目元が豹変して、

それまでの流暢な日本語は消え、英語の悪意に満ちた言辞で侮蔑的に私を罵り、突き飛ばした.

私は立ち上がり、ゆっくりと諭すように彼に再度注意したが、さらに彼は私を押し倒そうとするので、

私は、その会場の責任者のところに歩いていき、暴力をふるわれたので警察に電話したい、と静かに告げた.

主催者は体裁上拒否したが、一人が傍若無人な暴漢と化している以上、放置するのはよくない.

警察が来ると、彼は、急にうろたえわめき出した.たぶん、滞在ビザでも切れていたのだろう.




*  *  *  *  *




私がスウェーデン語を教えた生徒が、スウェーデンに留学のため地域のロータリークラブで面接を受けた.

面接官は、たまたまその地域の専門学校に 「留学?」 していたスウェーデン人の若者だった.

面接で、私の生徒が、専攻の哲学の話とか、ヨーロッパの歴史的伝統などについてしゃべっても、

当のスウェーデン人 「面接官」 の若者は、なにも 「わからない」 と答えたそうだ.

そして、唯一のスウェーデン留学志望だった私の生徒は選考から落ちた.

私の生徒が国立の4年制大学卒なのに対して、面接官は 「専門学校生」 である.

しかも、スウェーデンでの学歴は不明、ときた.




日本は果たして世界の先端グループに肩を並べているのか.

あまりに愚かすぎる外国人への対応は、

すべて外国語ができないことに帰結させてよいのか.


私は、いま、勉強を教える場所を島の子どもに提供しているが、

勉強などよりも、子どもの視野を広げること、ただ、それだけが私の目的だ.



ap


(09.7.14.記)

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バナナ好きスウェーデン人?
- 2009/09/08(Tue) -
「スウェーデン人はバナナ好き」 という一般通念があるようだ。これは、狭いがまちがっていない認識といえよう。


スウェーデン人は、確かに日本人よりチョコレートを食べるし、脂肪の多い食べ物も食べる。だから、女性でも、うかうかすると中年前でも樽のような腰になる。

しかし、一方で、身体には何がよいかをよく教育されて知っている国民でもある。



だから、女の子は年頃になるとたいていトレーニングジムに行くし、お年寄りもジム通いをよくする。



したがって、身体にわるい食物を摂らない。その潔癖さには、日本人は遠く及ばない。

また、高消費税のため、それらを買うより、もっと腹持ちも身体そのものにもよいリンゴやバナナが学生の携帯昼食になる。飲み物は、無論、水か、水に味をつけるものを足した水、である。



だから、正確には、「スウェーデン人は、身体にわるい添加物のはいったスナック菓子を食べるよりは果物を食べる」 というのが当たっている。



i



(本記事は2007年1月21日に書かれた.)


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偏りを離れ
- 2009/09/06(Sun) -
(本記事前半は、は2006年12月12日、東京・大森・山王居住時代に書かれた.)

朝5時台のニュースで耳に残るのは 「朝いちめざニューヨーク」 だとか 「I love ニューヨーク」 だとかいうタイトルで、そんなタイトルがなくても、海外ニュース3つが今朝は全部アメリカに関するものだったりする局もある。

なんで、アメリカのニュースばかりなんだろう。とても違和感がある。というより、偏った世界観を刷り込まれているようで、頭が悪くなりそうだ。

スウェーデンでは、アメリカも、アフリカや中央アジアの国々も同じ比重だった。

私がいたのは北欧で一番古い大学だったが、就職でアメリカに行きたい、と言った友人はいなかった。イギリスか、中央ヨーロッパへの南下が優秀な学生の目指す地点だった。

アメリカには、尊ぶべき文化伝統がない、というのは、公然と語られる認識だった。彼らが尊重するのは、ヨーロッパのギリシャ・ローマ以来の文化伝統、ひいては、中近東、インドおよび東南アジアの宗教文化、そして中国の諸子百家の思想など、人類にとって普遍的価値をもつ文化なのである。その中にはアメリカははいっていない。日本もまた。


スウェーデンの考えが全く正しいとは思わないが、いずれにせよ、日本の報道機関の活動は明かに偏狭だ。世界には、もっと重大なニュース、もっとおもしろいニュースがたくさんあるのに、もったいニャイ。つまらニャイ。

k


その後、私はテレビを持たない生活に再びはいった。インターネットにはつながっていても、ニュースもそう見ないし、世界のどこかで戦争でも起これば注意して報道をきこうと思うが、先日の皆既日食も、宇宙・自然界の神秘はいたるところにあるのに、なぜ日食があれほど騒がれたのかいまだにわからない。

私たちはさまざまな情報・報道に幾層にも取り巻かれているので、私たちの思考もまたその影響を受けうる。

どの情報を取捨選択するかは個人の自由意志に任されているとはいえ、もともと情報ソース全体がある傾向に偏っている国情では、個人が正常でいるためには、まず、よくよく自分の周囲の雑音を消してみる必要があるだろう。

ソクラテスやシッダールタが何千年も前に説いたように、人間の無知の溝は本人の知らぬところで深いものなのである。


b


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知識として知る
- 2009/09/03(Thu) -
「環境にやさしい」 という言葉がある.
「人にやさしい」 という言葉も、人も環境の一部であるとおもえば、だいたい同じ意味なのだろうが、後者には別の意味もあろう.人が人にやさしく、という意味だ.日本人は親切な国民、と世界では思われている.
それは、外国人にあまいから.それは外国人も知っている.

そんな日本人も、日本人相手には、このごろ 「やさしくない」 人が増えてきているらしい.

だが、それを言えば、やさしくないのは、なにも日本人だけではない、とも言える.

たとえば、高福祉の国、ロハスライフの国スウェーデンでも、利己主義な人、陰険な人、高慢な人は当然いる.

しかし、



まだ、あの国のほうがましなのは、「知識」 として、人間が平和安穏に暮らせるための知恵が社会によって教えられているからである.


セクハラやパワハラの危険現象がしっかり周囲に監視され、日本でのそれより格段に安全さが確保されてもいる.


まぁ、人間である以上、人間的愚かさはどこの国民もかわりはないのだ.


ただ、「知識」 で 「これはしてはならない」 ということが教えられているぶんだけ、ここ日本より優れているのがスウェーデンだということだ.


世界には、そんな土地はまだまだたくさんあることだろう.


賢い日本人たちよ、うちにこもって蝸牛角上の争いに身をやつすより、世界の諸国人から学んでくるがよい.

k


(09.7.15.記)


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日差しと風
- 2009/09/01(Tue) -
(本記事は2008年11月15日に書かれたものである.台風一過の今朝、久しぶりに気温が20度台.)


私がいる沖縄県の南の離島にも秋が来たようだ。

夜ばかりでなく、昼間もエアコンなしで過ごせるようになったから。


私の島は、隆起珊瑚からなる島で、日蔭にはいると夏でも風が心地よかった。

いま、秋になって、日差しは相変わらず強く、肌が焦げるようだが、

風はいっそう天然のエアコン風のようで、なごむ。


スウェーデンの、7月~8月がこんな気候だったように思う。

強い日差しと、心地よい風と



高緯度のスウェーデンと、台湾の台北よりも緯度が低いこことが

時期は違うものの、似たような気象現象を示すことがおもしろい。

私にその理由を理解する頭脳はないが、おもしろい、と思えればいいかな。



世界を巡る風も、案外、同じものなのかもしれない。



この風のように、

地球にいるわれわれに、「国際」 とか 「海外」 とかの意識がなくなる日がいつかくればよい、と思う。



k

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