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「思い出」 なくとも
- 2009/08/30(Sun) -
ふりかえるべきたいせつな思い出、というものはない、とおもうようになり


どんな時も確かに生きてきた、ということだけが唯一確かなことと知り、それで自己を肯定する


ゆえに、過去はない また、未来も考えることもない


現在に集中して生きる、と努めて視点を定めることもない


無論、時空に流されて動いてもいない、いや、その度合いは周囲より少なかろう


視野を無辺無碍に保ち、


日々、知悉する自己の肉体と頭脳をぎりぎりまで駆使し、


自覚した天賦もて生産の努力をもまたおこない、


人 (といっても、私のところにくる若者・子どもたちしかいないが) をよくよく観て考えるよう心がけ


ずっしりとこたえる身体疲労とともに、しっかりと大地を踏みしめて歩む


こんな生きざまさえ、これまでの人生でできないでいた


明日の風景を、またたのしみにおもうことができる心身状態を、唯一のたのしみにする.



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言語が教える世界
- 2009/08/27(Thu) -
私のところに来る島の子どもたちのなかに、もう3年大学浪人している娘がいる.私のところには去年から来た.

センター試験の過去問も予備校のセンター予想問題もたいていやってしまったので、私が主要大学の入試問題の英文を選んで、毎日長文を1つか2つ読ませている.

ぐうたらな私は、彼女が来たらコンピュータに向かって大学の問題サイトを検索して手ごろな英語長文問題を探す.ほかの子どもの相手もしながら、彼女が問題を解き終わったら私が訳読をしてゆく.

☆ ★ ☆ ★ ☆


私は高校時代は数学志望だったので、浪人してもある大学の数学科に行こうとした.そこで、東京の駿台予備校に通い、逆に、外国語に目覚めた.伊藤先生、奥井先生の感化である.もっとも、高校時代から、英和辞書の例文を暗記するのは趣味だったが.

当時、いったいいつか自分は英語をあんなに読めるようになるのだろうか、といぶかしんでいた私も、いくつかの古典語や現代語を習得し、かつての伊藤先生よりずっとフランクな身なりで……というより、要するにTシャツとジーンズで、また、かつての奥井先生よりずっとゆるやかに……というより、単に、私は怠け者なだけなのだが、まぁ、そんな状態で若者に英文を訳読している.

☆ ★ ☆ ★ ☆


私の願いは、外国語を知るようになることのおもしろさを少しでも高校生に教えられることだ.

私から、中1の最初から英語を習っている少女がひとりいるが、彼女には、高校生になったら、ヨーロッパ流にラテン語も教える約束をしている.英単語の秘密も少しはわかるようになるだろう.

言語、とは、幾多の民族がその精神を語り遺してきた道具だ.だから、それを広く知るようになることは、世界旅行、タイムマシン旅行をするのと似た愉しみがあるものなのだ.
残念なのは、英語の先生は英語の世界しか知らない、現代のアメリカ・イギリス専門ツアー会社なことだ.
私は、なるべく、太古のギリシャやインド、ローマ、そして、ヨーロッパからインドにかけての大陸の、そして現代ヨーロッパ諸国のガイドになるよう努めている.
まあ、子どもが、どこまで喜んでくれているのかは疑問だが.

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異文化をたのしむ心
- 2009/08/26(Wed) -
私がこれまで出あった若者たちの中には、生まれた土地を出たがらない者が少なからずいた.
仙台でも、ここ、沖縄の離島でも.もっとも、ここでは、この島は出たいが、本島に住みたい、という者がそれだ.内地に行きたいと思わないのだ.

なぜ、そうなのだろう.数日前に書いたが、私が病院で会ったおばあさんでも、なんとしても島を出たかった、という人がいたのに.


☆ ★ ☆ ★ ☆



私は、海外に定住していたのはスウェーデンだけだが、そのほかの土地にも知り合いを訪ねてゆくときもあった.私は、どんなヨーロッパの住まいでも、そこに一時的にせよ住むのが好きだった.

シャワールームのある場所も、部屋によってまちまちだ.それは、日本ではおもいもかけないところにあったりする.バスタブも、それがある部屋のつくりは日本では見られないものばかりだった.ベッド1つにしても、どんな日本の家具屋のベッド展示室にあるものとも違っていた.ドアのつくりさえ、国が違えば違うのだ.

私は、それらのものを見て、自分で使うにつけ、そこに、それを使うことになじんでいるその土地の外国人の感覚に同調しようと無意識に心を向けていたようにおもう.

そして、そこに喜びを感じていたのだ.未知の感覚を未知のモノによって自分の内に覚醒されるたのしみ.


☆ ★ ☆ ★ ☆



いまいるところがどんなに愉しく案楽でも、他にも同様かそれ以上にわくわくする世界がある、と思えてしまう.

だから、私は、自分の知力体力を使ってどこでも生きられるとおもっている限りは、どこにでも行こう、と考えてしまうのだろう.




やはり、次は、南半球、南極のそばかなぁ.



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土地を愛する心 vs 土地にいる自分を愛する心
- 2009/08/25(Tue) -
自分の土地を愛する気持ちから、
「他者には入ってきてもらいたくない」 という感情が生まれることもあるようだ.
私がいる離島は、島の一部の人たちは、かみさまのいる島だと考えているので、
これ以上内地の者が移住して、歓楽街を発展させたりするのをやめてもらいたいとおもっている.



かつてスウェーデンがEU(ヨーロッパ連合)に加盟するかどうかを自国の国民投票に問うたとき、
(細かい数字は本を開かないと覚えていないが)加盟賛成が約51%、反対49%だった.
その理由が、ヨーロッパでも独特なスウェーデンの美風を他国人に冒されたくないから、というものだった.



その一方、同じ沖縄の離島でも、内地からの移住が土地的に限界あるものの、
内地からの 「旅行者」「取材者」 は大歓迎、というところもある.
そこでは、旅行者を相手にする居酒屋や民宿が 「島民ならもっとはじけろ!」 と音頭をとり、
取材者の窓口に立ってマスコミに出たい内地出身のにわか定住組が 「島の名物お兄さん」 を気取る.



かたや、自分の土地のよいところを守ろうとよそ者のあり方を注視するところ、
かたや、土地はともかく自分自身を売り込みたくてアピールする者が幅利かせるところ、


私のような者が住むにはどちらのほうが生きがいあるかは、もはや自明だった.



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(筆者2007年夏撮影)


(09.7.12.記)

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性意識 = 肉体観
- 2009/08/24(Mon) -
日本ではかつて 「銭湯」 が社交場だった、とはよく言われる.
スウェーデンでそのような人々の日用の 「社交場」 があるとすれば、
それは、スポーツジム、だろう。


◆◇◆◇◆


スウェーデンで、授業が終わって夕方トレーニングジムに行くと
(ウエイトトレーニングは日本にいたときつきあっていたアメリカ娘に仕込まれた)
そこは、学校に続く、「若者の集合場所」 になっている.
昼間のジムは、また、「老人たちの集合場所」 でもある.
だから私は、お年寄りとスウェーデン語を話したくなると昼間のジムに行ったものだ.


☆ ★ ☆ ★ ☆


日本人のトレーニングジム通いは、多分にスタイル保持、という目的が占めていよう.

しかし、スウェーデンでは、老人のそれからもわかるように、積極的な 「身体機能維持向上 」 、
すなわち、日々、よりよく活動的に動ける身体を保つために若者も老人もジムに通うのである.


もちろん、スウェーデン人にも、腹の出た中年男はいるし、恰幅の良いスウェーデン人女性も多い.
しかし、スウェーデン人は、共通して、肉体を活動的に使用することに価値を認める国民だと言える.



スウェーデン人の肉体への見方は明るく、開放的で、自然科学的知識に基づき知性的だ.

年間半分は雪と氷に覆われた道を自転車で通学する大学生にとって、
「華奢」 とか 「華美」 な肉体には美徳はなく、「剛健」 な肉体こそが尊ばれる風潮がある.


またその一方で、スウェーデン人は、合成保存料などの食品添加物使用に注意をはらう.
大学での学生の昼食は、バナナとリンゴと水、ということも多い.
自前のサンドイッチも、自分でスライスしたチーズとレタスとハム、で上等だ.


☆ ★ ☆ ★ ☆


このように、肉体には有用性と強さを求め、
アルコールもふだんは飲まず、水とパンで活動的に動き回ることを尊ぶ国民は、
その肉体機能の1つである 「性」 に関しても、
肉体の abuse には関心なく、それを享楽したり、商売の具にすることにも意味を感じない.



スウェーデン人の大学生には泊まりがけで会いに来るパートナーがいることが多いが、
しかし、その交際のありかたは、知性のあるヒト科の生物のそれで、自然でゆがみがない.
老人たちも、鍛えているのは、自分の脚で歩く程度が目的ではない.パートナーを終生愛するためでもある.



日本人の若者があのように知的で健康な性を具有するには、

日本の老人があのように達者に生活のあらゆる局面を保持しながら生きるには、

また、日本のセックス産業がスウェーデンでのように衰微する日は、


・・・・・・私が生きている間は、果たして、見ることができまいか.


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人の上下? 噴飯もの
- 2009/08/22(Sat) -
自分は相手より車を多くもっている、ということは言えよう
自分は相手より大きな家に住んでいる、ということは言えよう
自分は相手より財産がたくさんある、ということは言えよう
しかし、自分は相手よりニンゲンとして上である、とは言えまい


多い、とか、大きい、という比較方法は物理的なものでだれも異論がないものだが、

ヒトとして異なる環境・経験・教育を経てできあがっている者同士を
「上下」 で比べるとはどういうことなのか.
おもうに、「上下」 の比較が、最も幼稚だから、だれにも考えやすい単語なのだろう.
あるいは、自分を上、としたがるヒトは、
そこに、ファンタジックな、天に昇るのに似た憧れがあるのかもしれない.



そういうと、「いいや、ニンゲンとして器量が上、とか、できている人間、というのがあるじゃないか」
という反論が出ることだろう.

なるほど、そのようなものがあった人物にも私の恩師の中には数人いた.


しかし、そのような方々は、「自分は上」 などとは夢口走らない人格の人たちだ.


ゆえに、「自分は上」 と腕組みふんぞり返っている輩は、取るに足らない小物に他ならぬ.



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母語への誇り
- 2009/08/21(Fri) -
(本記事は2006年12月日、東京・山王居住時代に書かれたものである.)


子どもとも通れば必ずお祈りをする神社の境内を通って外出した.

私の後ろから来た私より年長の白人男性が (アメリカの野球試合でよく選手がするように) 唾を吐いた.喉の奥からしぼるような大きな音をさせて.

私は立ち止まって彼を待ち、英語で 「神社の中で唾を吐くもんじゃないぞ」 と言った.

彼は、「私は神社の中にいない」 と答えた.

私が最初にshrineという単語をつい使ったから、彼は、「境内」 にいるのであって建物である 「神殿・社(やしろ)」 内にいるのではない、だから、唾を吐いてもいいことになるじゃないか、と言ってきたのだ.それで私も前置詞を 「~の中に」 から 「~の前に」 と 「~で」 に変えて言ってみたが、彼は不快そうに最初の理屈 「建物の中にはいない」 を言い募ったので、私は、これは話のわかる人間ではなかったと知った.



自分がいる異国の文化風習を尊ばないなら、その人間はその国にいないでもらいたい.



別記事で書いたように、かつて、スウェーデンがEU(欧州連合)に加盟するときに行った国民投票で、スウェーデン人たちは、スウェーデンの美風を守れない他のヨーロッパ諸国人が自由に入国するような事態に逡巡を示した、と私はスウェーデンの大学で習った.




私たちの知らない言語を話すからといって、外国人が私たちより頭脳が優秀であったり人格的に優れているわけではないのだ.



また、外国人に注意をするのにも、なにも英語を使ってやる必要はない,

スウェーデン人だったら、スウェーデン語を話せない外国人には、いくぶんかの憫笑と寛大さをもって英語を 「話してあげる」.よろしい、私が、あなたにあわせてあげましょう、と.

私たちも、まず、日本語でふつうに話しかけてみよう.

そして、彼らが日本語を理解しないのなら・・・・・・別に、非印欧語民族の私たちが英語やロシア語を使う必要はない.日本語を堂々と使って、不届きな行いには叱責し、立派な行いには称賛をしてやればよいだけである.


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英語の 「価値」 ?
- 2009/08/20(Thu) -
左下のプラグインに挙げた映画 『コンタクト』 で、宇宙からの信号が素数で送られてきて、なんで英語じゃないんだ、とアメリカの高官が言う場面があり、それに、アメリカ人科学者の主人公は "Maybe because 70% of the planet speaks other languages." (だって、英語をしゃべるのは地球人の30パーセントくらいですから。)と答えている.


英語学習の本などでは、その逆で、英語さえできれば地球のどこへいっても会話ができる、というような論調になっている.そう聞いたことのある人は私ばかりではないだろう.



英語は数ある外国語の1つにすぎないと考えている私には、上の立場のいったいどっちが正しいのかわからない.まぁ、英語国民が自ら言っている上の科学者の立場のほうがまともな意見のようだが.



しかし、英語がうまい国民だと言われ、マーケットのレジ打ちのおばさんも、郵便局の職員も流暢に英語を話すスウェーデンでも、当然、幼児・子どもやお年寄りはスウェーデン語しか話せない.かわいい子どもの語り口や、含蓄ある高齢者のお言葉をうかがうには、やっぱりスウェーデン語によらなければならない.スウェーデン語ができなければ、スウェーデン人と本当につきあう愉しさが得られないと言ってよい.それは、どこの国民ともその母国語でつきあうのがよい、という単純な真理だ.



私のところに遊びにくる子どもたちの中学校の英語の先生の1人はフィリピン人だそうだ. 「しゃべる」 ことさえできれば、英語が母国語でなくても外国人がすぐに英語教師になれるのは日本くらいだ.私よりも年配者の世代の、あるいはその世代の意識に染まっている人々の英語会話に対するコンプレックスは相当なものなのだ.

日本は、まだまだ国際化されていない. 「先進国」 が聞いてあきれる.



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(本記事の原型は2007年1月1日に書かれた.
ゆえに、文中の 「中学校」 はたぶん東京かその近郊の県にある.)


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独身でいること
- 2009/08/15(Sat) -
私は、もう半世紀ほど生きたことになるが、まだ独身だ.
同棲経験は数度あっても、結婚歴はない.


そんな私に、結婚してみろと勧める人はこれまでにたくさんいたのは、ありがたい.
最初は、まだ、スウェーデンに行く前に住んでいたマンションのオーナーが姪を、というのにはじまり、
その後、心臓の手術をしてくれた仙台の医師が看護師さんを、
インド人の友人の奥さんのヨーガの先生がお友達を、・・・・・・などなど、そして、
昨夜は、夜更けまで飲んでいた、この宮古島でできた知人が、この島の人としては5人目だが、この島で結婚なさいな、とおっしゃった.


日本だと、結婚していないと、身体か精神に問題があるかのごとく見られることもあるだろう.
非社会的な犯罪などがあったら、私などは真っ先に疑われることもあるかもしれない.
事実、東京にいたころに勤めていた会社の上司は、下卑た冗談にもせよ私をそんなニンゲンだと仮託する発言をしたものだし、
いまでも私の住まいに出入りするガス屋の主人などは、女子高生が1人で私のところにいたりするのを見て、私が島で誤解されないといいですね、と心配してくれる.


スウェーデンでは、独身でも、偏見をもたれずに、尊敬さえ受けて生きている中年が男性・女性ともにふつうにいた.
私のスウェーデン語の先生の、当時中年~初老女性4人のうち3人が独身だった.
無論、人格的にも、日本では見ないような 「確かさと安定」 のある人々だった.


私もそんな先生たちと同じような初老を迎えたいと思う.ひとえに、それは、私の振る舞い方にかかっているだろう.


m


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定め、というものがあるならば
- 2009/08/11(Tue) -
前記事に、スウェーデンの朝の風景を書いた.

人には記憶力があるから、ある出来事・ある一瞬を記憶にとどめ、それを感覚にいつでも再現することができる.思い出が永遠の力をもつときだ.

私は、しかし、思い出を振り返ることはしないことにしている.スウェーデンでの勉強のことも、出会った人々のことも、昔の恋人たちのことも、仮になにかのきっかけで脳裏に浮かんだとしても、さっき道で出会った猫ほどにも思わない.

そんな自分をどうしてかと考えてみた.
私は、大学から送られてウプサラに4年留学したが、その後の人生で、母校の大学に戻らなかったし、博士論文を書こうとしたところで身体を壊し、それから専門書は読まなくなった.自分の過去がいまの自分につながっていないから、自分は過去を振り返らないのだろう、と思っていた.


だが、いまも、私のいるフロアで勉強している島の高校生・中学生を見て、話していて気づいた.
そもそも、私がこんな場所を提供しているのはなぜだろう、と考えてみて、私は、それが自分に必要だからなのだ、とわかった.

無論、必要、といっても、お金ではない.

私には、自分の頭脳を覚醒させることが至上の喜びなのだ.
ウプサラでの生活も、彼の地での恋愛も、あるいは、日本での活動も、すべて自分の頭脳を覚醒させるために必要だったので、その期間が終わったら、別の 「頭脳覚醒のために」 なすべきことを探さないではいられないのだった.

そして、いまは、自分の子どもであってもおかしくないような、しかし、私の知らない文化の中で育ってきた無垢な魂を相手にすることで私は自分の頭脳も刺激し、覚醒を得ようとしている.

このあと私がどこに行くかはわからない.
ただ、あきらかなのは、

退屈なことを、私の頭脳は私に許しはしない、ということだ.

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諦め? まさか
- 2009/08/03(Mon) -
以前の私は、スウェーデンで学んできた自分の価値観を、
それ以前の外国を知らなかったころの自分の価値観と比べて成長の証と信じていたので

自分がおかしいとおもった周囲に対して率直におもったままを口にしていた.



その後、そういうことは短絡的だとおもうようになり、

その人がそのような誤った考えや悪しき行動に出るのは

その人がうけた教育や人生経験によるのだ、と判断するようになったので、

その結果、悪く過てるのは、その人を育てた家族や上司や教師のせいだ、と考えて、

その人には寛大に対応するようになった.(それを、皮肉、ととる人もまたいたが.)



そしていまは、そのような考え方もせず、

悪しき行い、過てる行動判断をみると

ああ、また、人間的愚の現れがこのようにあるのか、とだけ感じるようになった.

怒りもわかず、かといって、その人を許そうという寛大な微笑もことさら出ず、



ただ、

そうか、ニンゲンよ、おまえの愚かさは、そういう現れ方もするのか、とだけおもう.


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The facts of life  性教育
- 2009/08/02(Sun) -
      スウェーデンの 「性教育」 の教科書が

      「まるでアダルトビデオのようにあからさまだ」 と憤慨している日本人教育者がいらっしゃる.

      あからさま、むきだし、でなにか悪いのか.

      性器は、男性の場合は排泄器官と同じ、女性の場合もそれらと隣接している.

      子どもとはいえ、日々ふつうに接触している場所なのだ.

      音楽家が楽器を、工員が工具を使うように、

      子どもたちもそれらをほぼ全員がいつか使うようになる.

      その機能と使い方を即物的にそのままに示して当然だろう.

      そこに、なにか 「不道徳な愉楽」 の匂いをかぎとって憤慨する輩は、
      
      それらをそういったものとしてしか見られなくなった自分たちの目を、まず、批判するべきだろう.

      私の以前の職場の同僚の30過ぎの男は、

      私の家に泊まって風呂にも入っていく他人の小5の娘と私との関係を

      「××××ではなければいいけれどね」 と道徳家ぶって私に警告したが、

      私は、そんな見方しかできない彼の性意識の低劣さに呆れ、憐れむしかなかった.

      日本人の大人たちよ、せめて、これからの子どもたちには、自分たちとはちがって

      健全な性意識が醸成されるように、世界を観て、よくよく思考して、

      そして、もう半世紀もない自分の人生でもよくよく健全に保って、どうか努めてくれたまえ.


o



(本記事の一部は2007年9月25日に書かれた.)



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広い世界がきみを待つ
- 2009/08/01(Sat) -
流しのシンクの中に小さいヤモリがいる

濡れているうえ深さがあるので這い上がれない

洗い物の水に流されたり、熱い鍋に押しやられたりしていて

私がつかまえて出してやろうとしても逃げるので、できない



自力でシンクの側面を這い上がれるまで生き延びよ

外の広い世界で生きられるまで、力を蓄え成長してゆけ



y
(このヤモリは記事とは関係ありません)

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