- 2009/07/30(Thu) -
街ネコが子を産んだ.

めったにヒトが来ない廃ビルの裏手で母親は長々と寝そべり、その腹に3匹の子がくいついている.

これを平和でなごむ光景とおもうのはニンゲンだけだ.


いま母をおいまわす子もあと数週間で廃ビルの裏から出て行くようになる.

そうなったら、母は子を追いはしない.

子も、出ていくなら母との別れに涙しはしない.

ヒトがいまも様子をみて、子を連れ去ろうとしている.

いま子がいなくなれば母は捜し周り徒労の果てに狼狽するだろうが、
それで夜も眠れないほど嘆いて周囲を恨む、ということにはならないだろう.


ただ、生きている、ということだけだ.いのちある限り、ただ、生きている.



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外国語学習のために
- 2009/07/29(Wed) -
私のところの机を使いにくる大学受験生にある漢文の薄い問題集を見せたら、気に入って、やりたい、という.
「明日から、やりたいです。1日10ページは進めるから、4,5日でおわるかも」
というので、私が、
「それじゃあ、英語などはその間はしないで、漢文だけにしなさい」
といったろころ、あきらかに不服そうにこたえた.
「英語のこの暗記もあと2日ぐらいだから、いま、間をあけたくないです」
無論、私は、それなら、英語を終えてから漢文をやればいい、と指示した.


なぜ、私が、併行勉強を避けさせたか.


彼女は、漢文4時間、英語2時間で両方できる、と言ったが、言語習得勉強は量をこなす仕事のようにはしてはいけないものなのである.(もちろん、外国語の勉強でも、大学でするような、ある文献のある用例を収集する、というようなことならば、単純に、長い時間机にへばりついて1ページでも前進しようとする気迫が全体の進度を高めるものだが、受験勉強はその手の勉強とは性質が違う.)


短期間で、集中してすることで、最も言語は鮮明に脳に印象付けられるものなのである.単語の意味の領域も、語感もまた.


私の知り合で、初めてたった1か月のロシア語勉強でロシア語弁論大会で優勝した者がいる.無論、彼はその1か月間はロシア語以外の精神作業はしなかったわけだ.


私は、サンスクリット、ラテン語という古典の屈折語を学習したのちに古典ギリシャ語を勉強したが、岩波全書の文法書を買ってきて、1日め前半は名詞類の変化と動詞の文法構造の確認(つまり、サンスクリット・ラテン語との共通点の確認)、1日め後半と2日めに章末問題をやったあとは、3日めから辞書をつかってプラトンを読んだ.言語習得とは、そのようにできるものなのだ.


受験生にとっての外国語とは英語程度だが、それも、なにか書き換え問題集を1冊アタマに入れる、とか、英作文の例文集700を丸暗記する、とか、なんらかのまとまりある知識を頭脳に入れたいとおもったら、とりあえずそのための数日~10日ぐらいは、それだけに集中して全体をまるっとアタマに叩き込んでしまうのが最善だとおもう.

もちろんその後、それらのいくつかは忘れるとはしても、それはまたインプットしなおせばよいだけだ.最初にしたときよりも、ずっと短い時間で再インプットは完了する.その間、他の勉強は放擲しても、それだけの価値ある変化がきみたちの頭脳に起こるはずだ.


ただし、外国語学習にはもう1つの山、「読解力」 というものもある.これは、一朝一夕には身につきはしない.これを高めるには、あたかもスポーツ選手が日々ランニングをするように、こつこつと読む練習を重ねるしかない.努力の規定量と規定日数(というのも、脳がこの力をつけるには、生物学的な絶対成長日数が必要だからで、ここが暗記作業とは一線を画するところなのだが)を経なければ、この能力は開花しないものだからである.


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異人に対して
- 2009/07/24(Fri) -
私はいま、日本の南西の端の離島に住んでいる。島民は220と公称しているが、実際は、もっと少ない。

島の人々は、内地からの人間を簡単には受け入れない。自然な感情だと思う。

スウェーデンでは、私は、至るところで歓待された。それは、外国人に対する、我々日本人ももっている、普通の礼儀だったのか。

それとも、スウェーデン人独特のこまやかな友愛の気持ちの表れだったのか。いまもよく考える。

私が出会ったスウェーデン人たちは、大学関係者・学生たちだったから、そこに偏りがあったかもしれない。

おなじ、ヨーロッパ人でも、ドイツ人たちは、確かにずっとざっくばらんだったが、ずっとそっけなくもあった。

イギリス人の女性は、「スウェーデン人の男はタイクツ」 と言ってニヤリとした。

フランス人の女の子は、「ヨーロッパへようこそ」 とスウェーデン3年目の私に英語で慇懃に言った。彼女は確かに 「丁寧で愛想よかった」。

スウェーデン人の女性たちは、無駄な愛想はなかった。だれもが、そうだといえる。しかし、態度に虚飾もなかった。

それが、私には、居心地よさになっていたのだ。

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(本記事は2007年3月2日に、沖縄に来て最初に住んだ離島にて書かれた.)

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近いがゆえにわからない
- 2009/07/23(Thu) -
「金髪長頭」 というのが、ヒトラーのナチスがゲルマン人の 「理想」 とした 「アーリア人」 の容貌だった。その故地とされる北ヨーロッパで、私は、はっきりいって、私の畏友だった Jan Hellström ほか数名の男女はそうだったが、その割合は、そう、3割くらいだったろうか。まあ、留学生の多い大学、というせいもあるだろうが。

いずれにせよ、スウェーデンでは、それほどに、おもに中近東からの移民との混血がすすんでいる。いまは、移民1世の子どもたちが結婚して、その子どもが学校教育の場に現れて始めている時代だ。

逆に、黒い髪で、短く坊主刈りにしている若者が金髪よりも多いくらいだった。
東洋に対する、漠然とした畏敬の念があの国民にはあったようにもおもえる。
もしかしたら、私も、そのせいで、「大事に」 扱われたのかもしれない。
ラジオでも、仏教やイスラム教ばかりでない、儒教や道教の番組もあった。


☆ ★ ☆ ★ ☆



私たち日本人は、身近に中途半端に知ってしまっているから、仏教の本質をほとんど知る機会がないのかもしれない。

他方、ヨーロッパ人たちは、世界を公平に見たときに、自分たちのギリシャ・ローマの精神遺産に劣らない価値のあるものとして Siddhartha (「人生の目的を成就した人」 の意味:仏陀の本名) の教えも、また、老荘の思想も尊んでいる。


なまじそばで知ってしまっているために、その一面しか見ずに、全体の価値を把握できない、ということは私たちにはよくあることだ。私たちの視野、というものは、本人にはわからないところで制限をうけているものなのだろう。


精神も、視野も、普遍かつ無辺の彼方に住するようでありたいものだ。




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どこへ行くか
- 2009/07/21(Tue) -
既に何度も書いたように、
私は、沖縄の八重山地方のある島の 「研究所」 と称するところに来たが、
そこが、
環境省の仕事は、海に出るときは人数分以上の1個1000円の弁当とビールを船に積み、
そのときだけは 「職員」 が出向き、
あとの砂ふるいはすべて旅行者や学生研修者に 「宿泊費の代わり」 と称して作業させたり、
酒宴では、旅行者の女性を 「うちのホステスです」 などとたわけて酔った島民にさわらせ自由にさせていたり・・・
「職員」 といっても、20代後半と30代前半の若者男性だけなので、好きにし放題なのは、
理性がないのに権限のみ与えられた子どもの我が儘そのままそのままで、
これ以外にも、
暴行、口裏あわせの虚偽、本部のNPO団体への虚偽報告(彼らは、その団体から給料を得ている)
このような、肝っ玉の小さい、虚偽でぬくぬくと安楽を貪って生きていて何ら反省するところのない若者と、
それを放置して顧みない東大客員教授の自然科学者と

そのようなものたちとのつきあいに呆れて島を出た私だったが、

その、 「職員」 が、
「ばくは、前の会社の営業で早朝出勤をして先輩のデータを盗み見て営業トップの成績をあげました」 とか、
「こんな島の人々をだまして支配することなんかカンタンですよ」
と言っていたことなども、そのような言葉を口にすることの異常さを理解しない頭脳のいびつさもまた、
この世の悪と愚かさがなくならない理由の1つだとしみじみおもう。

私は、スウェーデンで4年ほど研究生活をして、
そこでの生活や人々について語る機会があったので、それを記事にもしようとこのブログを始めた。
しかし、日本の中だけでも、この1年で私が経験したようないびつな精神が一部にあり、
それは、なにも、外国と比べなくても、一 「人間」 として異常、と言い得るべきものだった。

それが、今後の私の思考の中心になる。別の場所を設けるとしても。


世間には、
自分には理解できないことがある、ということを理解しない者や、
他人の情報を盗まないと安心できない者や(上記の 「職員」 は、私の携帯電話のデータまで盗んだ)、
自分にない能力をもっている者を排斥するしか防衛手段を持たない者とか、
金でしか価値を図れない者とか、
自己保身を信義よりも重んずる者、などなどが溢れている。

このような世界で、我らは、それでもなお、正しく、有益に生きるにはどうするべきか

それこそが、いまの、私と、私の周囲にいる者たちの課題だ。


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(本記事は2007年12月28日に書かれた)


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水を飲む
- 2009/07/16(Thu) -
私が水を飲むことに積極的になったのはいつからだろう.


少なくとも、スウェーデンに行く前はそうではなかった.私は、アルコールの常飲者だった.



スウェーデンでも、あの、「塩からい」 ような味のミネラルウォータはそうは買わなかった.
スウェーデンでよくある、発泡性のフルーツ味のタブレットを水道水に入れて飲むのが普通だった.
トレーニングジム通いが当たり前の空気の中で、私はジムでもそんな 「水」 を飲んでいた.


いまでもあるそのころの Svettis のボトルには、反対面に、消えかかった Uppsala Student Hälsan と読めそうな文字がまだ残り、Gör din egen sportdryck.... などとある.画一的でなく、このように、個性を重んじ、自由でのびやかなのがスウェーデンの若者の間の (少なくとも私がいたウプサラ大学の学生間の) 空気なのだ.




しかし、私が本格的に水を飲むようになったのは、心臓を壊してからだろう.



水を飲めることに、素直に、ありがたい、とおもう.


私の人生の中には、

自分の意志で水を飲むことさえ耐えたときもあり、

社会人山岳会に所属していたときは、水さえもなくなって山を彷徨した日もあった.



だが、やっぱり、水を飲むことで精神が回復するような気持ちになるのは、

スウェーデンで水を飲むことを知った、すがすがしい記憶に基づいているのだろう.




個人の人生の習慣なんて、とても狭いし、単純で、かつ、強固なものなのだ.

ニンゲンのあり方そのもののように.


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若者こそ大通りの真ん中を行け
- 2009/07/06(Mon) -
以前、私は、このブログのどこかで、
ニンゲンは 『スターゲイト』 のノックスのようになれないものか、と書いたが、
私のところにくる小学生、中学生、高校生、成人もした浪人生たちを見ていて、

ニンゲンは、ねたんだり、すねたり、おこったり、くやしがったり、

しくじったたり、なまけたり、あわてたり、後悔したり、

そんなふうでよいのだな、と思えてきた


所詮、ニンゲンは、ノックスのようには生きられはしないのだ

そういうものなのだとわかってき、それでいいのじゃないのか、ともおもいはじめた


人間は、頭脳のせいで、何がよいか、何が理想かを知っているが、
それでも、そのようにはどうしても生きられはしない



ニンゲンとしては、そういうのが当然の存在なのだとほんとうにわかれば、

それでいいようにおもえる



そんなニンゲンでも、じゅうぶんに愛せるだろう?


そんなニンゲンでも、十分に愉しいだろう?


そんなニンゲンでも、じゅうぶんに肯定できるだろう?


だから、もう、いいじゃないか

もう、足踏みはしないで

なやみも くやしさも いかりも はずかしさも こうかいも

みんな背負って堂々と進んでゆけ



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