打たれても 道はこのように
- 2009/05/27(Wed) -
昔、同棲していた相手がもっていた美輪明宏氏の書籍で
(それは、氏がまだ 「オーラ」 云々言っていないころのことで、彼の半生の随筆のようなものだった)
「キムタクは背が低い。それがよかった。もう少し長身だったら、芸能界では潰されていただろう」
というような文章を読んだことがある。

木村拓哉のような 「無欠」 に見えるアイドルでも、まだ欠点があったから業界が許容したという。


私は学生時代器械体操の選手で、引退してもアメリカ人の恋人のすすめでウェイトとレーニングをしていたから
平均的な日本人男性よりは腕回りも胸囲も大きいし
いまでも腹筋は割れているから、島の医師が定期健診で驚いたりする。
ヨーロッパの言語をたいてい読める、と言っても、ラテン語や古代ギリシャ語のような死語もあるので
「話せる言語は?」 と聞かれると、「わからない」 と答えるしかない。


私が40歳過ぎて心筋梗塞になったのは、たぶん、二十歳前後にしていた座禅に伴う断食修行のせいだろう。
水も極端にとらなかったから、その後、器械体操選手だったころに献血したときに、
「こんなに濃い血液は初めて見た」 と驚かれた。

――――――――


しかし、私は、外国語が堪能で身体も大きいと、日本では、
「ステロイドをやったからああなったんだ。それで心臓病になったけしからん奴だ」とか、
(本当にステロイドを使用していたら心筋梗塞の手術はできない。
私は手術台で医師に尋ねられ、「使ったことはない」 と答えて手術は成功した。)

「ヨーロッパの言語をなんでも知っている、なんて、嘘にきまっている」 とかを、
所属した東京の企業でも、沖縄のNPO団体(の内地出身職員から)も言われたことがある。
私は別に自分の身体能力が優れているともおもっていないのに、
また、私は別に自分が言語のオールマイティだとも自負していないのに、
周囲がかってに反発してくるのは、日本人の、特に地位ある男性のうっとうしさの1つだ。


スウェーデンではそんなことは皆無だった。
初対面のスウェーデン人からも私の身体を話題にして話し掛けられて友人になったり、
私の外国語能力程度はヨーロッパの知識人には当たり前のレベルなので、
当たり前の能力ある日本人として等身大に私を評価してもらえた。




そんな日本で、私は、沖縄の純朴な子どもたちが、私の知る日本人のようにならないよう話をする仕事を人生の最後に選んだ。私の期待は、私の前に座る子どもたちだ。



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若者のやむをえぬ欠落点
- 2009/05/26(Tue) -
この年齢まで生きてきて、また、
過去の自分、およびこれまで出会った若者たちを見ていて
そして、いまも私の机に勉強にくる高校生たちを見ていて
気づいたことがある。



年齢を重ねたものより、若者は、明らかに、他者に対する関心が薄く狭い。



このように言うと、反発する人々も多いだろう。
若者はへだてなくさまざまな場所に出入りし、
多様な交友範囲をいともかんたんに拡大するものだからだ。
それは私も認めたうえで、上のように言うのである。



若者の他者への関心は、
他者が自分に何をしてくれるかという一面的なものであることが普通で、
その人間全般を理解しようと観察する姿勢ではないのだ。
なぜなら、それは、発展途上の自分にただちに役立つ作業ではないから。


ゆえに、他者・社会をほんとうに関心をもってみている若者はきわめて稀だ。


私は、大学に行った生徒からメールが来ると、きまって書くことがある。


「優れた人に出会ったならば、その人がどのようにしてそうなったか
その人をよくよく観察してその理由を探りなさい」 と。 



若者は、教師をもの教えてくれる人として頼り、見、
上司・雇用主を、お金をくれる人として頼り、見、
このましい異性を、自分の可能性ある交際相手として近づき、見、
身近な人々にいたっては、空気の如くにしか見ないことが多くないか。



若者がそのようになるのは、家族や組織によって守られているからだが、
その庇護がいかに大きなものかもわかっていないことが多い。



また、若者は、自分の倍・3倍生きた人がどんな人生経験をしてきているかがわからない。
想像力豊かで、共感能力の高い子は、自分に 「未知の人生」 に対して畏れと敬意を抱けるが、
たいていの若者は、自分の僅かな人生経験を応用して年輩者に対そうとする。
それが、「努力」 とか 「希望」 という側面ならば、その未熟さもほほえましいのだが、
年輩者からすれば人生で見飽きた 「怠惰」 「嘘」 を若者が演じ、糊塗しようとするとき、
自己の未熟を顧みない、そのニンゲン的愚かさを私たちは憐れまずにはいられない。
いったいだれが、なにが、このようにこの若い魂を惰弱に腐らせたのか、と。



◆◇◆◇◆



若者がどれほど二十代三十代で成長するかは、
ひとえに、他者をどれだけ深く観察理解するかにかかっているのである。
組織の庇護で支えられている 「力」 を実力と勘違いしたまま成長した若者は……

まあ、その末路は世間にたくさんいるから敢えて述べずともよかろう。





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(本記事は2009年4月17日に書かれた.)

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人間の脳の蒙昧さ
- 2009/05/18(Mon) -
私は、スウェーデンでスウェーデン語で生活していたころばかりでなく

いまも、登場人物がスウェーデン語で話している夢をみる.



さっきも、スウェーデン人の先生たちと話している夢をみた.



私が誤ったスウェーデン語の発音をすると、スウェーデン語学の先生だから注意してくれる.



そして調べたら、無論、先生の言い方のほうが正しいのだ.



自分の夢なのに.





私はその方面の専門家ではないからどういうことなのかわからないが




夢の中での自分が真剣に話しているのに、誤り、



それを正しくなおす人がいる、というのは、



では、なぜ夢の中の自分ははじめからちゃんと正しくしゃべらないのか





自分なりにおもうに、



たぶん、私は、夢の中でさえ、本気で先生としゃべっていながら、まだ頭脳全開でないのだ



かたや、先生たちには、そんな私をなおせるだけ、私は脳を開放してしゃべらせている


・・・・・・たぶん、こんなことなんだろう





この年齢になっても、私は、まだ、自分の能力を自分で全開にできないのだ



やっぱり、私は、真の研究者には向かなかったのだな.




この次生まれてくるときは、少しは脳を開放して考え、


人類の総叡智を少しでも上昇させるような活動をしたいものだ.





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すべてをふりすて
- 2009/05/16(Sat) -
ヒトも容易にネコに出し抜かれる.

だから、映画 『プレデター』 で、シュワルツネガーの主人公が高度文明のエイリアンを肉弾戦で倒すのも無理な話ではないとわかる.



ましてや、ネコ対ヒト、エイリアン対ヒトでない、
「ヒト対ヒト」 の場合、どんなふうにでも、相手を陥れ、抹殺することも容易に可能なのだろう.




私などは、
ある老教授の専門言語を、その弟子に 「あれは格が4つだからカンタンだよ」 と読み方を教えたところ、
その教授から猛烈な語気の電話で 「おまえを一生学問世界から抹殺してやる」 と言われたこともあるし、
先の沖縄・八重山のNPO団体からは、人が口にするのも憚られるようなでっち上げの醜聞を喧伝され、
周囲が無言のままに遠巻きになっていくさまを見る貴重な経験もした.
ヒトがヒトを表面上でもせよ害することはかくも容易なのである.



そのようなものたちを、私が、なにも相手にして対抗しなかったのは、

まあ、「下衆野郎はメじゃない」 と当初はおもっていたこともあるが、



ほどなく、より大きくなった私の感情は、
先の 「ネコ対ヒト」 「エイリアン対ヒト」 のように、
現実は、見かけの当事者同士の優劣にかかわりなく、いかようにも転ずる、とわかるようになっていたからだ.


要するに、どうでもよい、と.




「害するもの」 と 「害されるもの」 の間には、本質的優劣など存在しないのである.






われを害するものはすきにせよ

われはどうでも歩みつづく

きみらが 「われ勝てり」 と酔っているときも

われは価値あるものを遺しつづけているだろう

きみは 「あんたはおれたちを見下している」 とさけんだが

わが線上にきみはいない

ゆえに きみをわれとの比較俎上にあげたこともない

わが道はただわれのみのもの

煩悩も愛執もふりすててゆくのに、ましてやきみらを顧慮することなどあろうはずもなし.



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(本日51歳初日に記す.)



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われらの地歩
- 2009/05/07(Thu) -
世界にはさまざまな知識がある.
それらの1つでも知は無限だから、
なんでも知っている人はいないし、1つでも 「わかってる」 と言うのはちがう.



世界にはさまざまな願望がある.
地球や世界や人類のため、という願望もあれば、なによりも自分のため、という願望もある.
人は後者が圧倒的だが、「自分のため」 でも、最低限の生活を望む人もいれば、
他者・世界を裏切り犠牲にしても自分の安寧奢侈を望む人もいる.
前者の願望は世界を裏切ることはないが、後者の願望はニンゲンの愚を具現化している.
そういう人たちは往々にして組織の力を背景にして世界社会に影響を与える.



個人がそうした組織の愚挙を排斥する力を持たないからといって、しかし、
健全でまっとうな世界に背を向けるのもまたちがうだろう.
声を上げてもだれにも届かないからと沈黙するのもちがうだろう.



われらにできるのは、昔、世間の無知ゆえに投獄されていながら
「国法を守るのが正義だから」 と言って毒杯をあおいだギリシャ人、
「それでも地球は動く」 とか呟いたイタリア人のように
自分ひとりでも意志と言葉は曲げずに生ききるしかないだろう.


たとえ、その行動が人に嘲笑されても、その呟きがだれの耳にも届かなくても、


正しき意志は必ず空気を伝わり、時間の経過のうちに遺されるものだから.



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世界を見よ!
- 2009/05/04(Mon) -
スウェーデンではこの時期は春学期の真っ最中だが、
日本では連休なので、私のところに居座る島の小中高生も島外に遊びに行ってくれる.
私も、5時間くらいの肉体労働のほかは猫と同じ生活をしている.私のその労働は、・・・秘密だ.
島では私だけがしていることなのだ(私が休むときに代りをする人も入れれば二人だ.)


そうして私は、20代によく聴いた音楽を青空をみながらインターネットで久しぶりに聴いてみた.

私の20代は、いま私のところに来る高校生、卒業生たちよりはるかに世間を見ていなかった.
カンタンに言うと、サンスクリットという言葉の文学作品を読むことと、
その他の外国語をかたっぱしから習得することと、平行棒、そして、酒、といった生活だった.
(「平行棒」 は、6種目のうちで最も好きな器具だった.)

中島みゆき、という歌手もよく聴いた.といっても、私が知るのは、「熱病」 とかの時代だけだ.
「シュガー」 という曲も知っていた.それを20数年ぶりに聴いて驚いた.




歌詞の中で、
一緒に暮らしている男の、なつかない連れ子がその男と同じ目をして自分をさげすんで見る、
という部分がある.



日本では、内縁であろうとなかろうと、相手の連れ子を虐待する報道が頻繁におこなわれる.
中島のその歌も、まさしく、「日本によくある事例」 を歌ったものなのだ.
しかし、その 「シュガー」 という踊り子は、アメリカ人の設定である.


私は、アメリカでの、継子の扱われ方の状況を知らないが、
スウェーデンのでのそれなら知っている.むろん、日本とはまるでちがう.


中島の想像力も、所詮は、日本のできごと内のものだったのだ.



どうせなら、日本人に、
「あいつと同じまなざしなのに、あいつとちがって私にやさしい子」 を歌ったほうが新鮮だったろうに.




これからの若者たちよ、
世界を見よ


きみの想像力、創作力も、
どれだけ未知の世界にわけいったかにかかっているのだから.



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忌野清志郎 死去の報で思い出したこと
- 2009/05/03(Sun) -
私の世代は彼の活動始めから知っているが、ここは彼について書くのではない.



私が三十代に、会社の親しい者たちと花見に行った夜、
カラオケで彼の 「雨あがりの夜空に」 を歌った男のことだ.



会社説明では、彼は酔って線路を歩いていて列車に轢かれた、ということだった.



彼は若くしてある新規プロジェクトのトップのひとりに抜擢されたが、
それは所詮、先のない、主流からはずれた事業だった.
そして、それは予想をこえた失敗におわった.
彼の轢死はその直後だった.



彼の妻はただ嘆き、
彼の同期は、あそこは歩いて帰る場所でも方向でもない、と言い、
父親は妻のこれからを心配していた.


カラオケでは沢田研二の 「サムライ」 しか歌わなかった私はもう1曲歌うものがふえた.



ただ、あれは、みんなが笑って手拍子するのがなじめない.
レクイエムは静かに聴くものだ.



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