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年輩の男と若い女性
- 2007/10/21(Sun) -
このごろなぜか、映画で、「年輩の男性上司と年若い女性部下」 がよい連携をもって行動するものを観る.
単に、年輩男性俳優に、若い女性俳優をつけて視覚効果を狙っただけのものなのだろうか.
(私が観るそれらの映画は、ヨーロッパの国々の作品である.日本のものではない.)


私が、学位論文を書いている最中に身体をこわしてぶらぶらと予備校教師をしていたころ、
私に来ないか、と誘ってきた東京の出版社に、私の隣に私の半分ほどの年齢の女性社員がいた.

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いつのまにか、周囲は、彼女を私の 「弟子」 と呼び、彼女はそう言われても、えへへ、と笑っていたりした.
私は、そんなふうに彼女を見たことはなかったが、確かに、まるで、質問する予備校の生徒のように
「この誤植は旧版からあったもののはずなのに、どうやってわかったのか教えてください!」 と詰め寄られたりした.

◆◇◆◇◆

どの映画も、年輩者の男が助言を与える一方で故障したりして、若い女性部下が活躍するのがパターンのようだ.

私と彼女も、私が身体を壊したばかりである一方で、彼女は睡眠不足や徹夜によく耐えていた.
未明に一緒に帰ったタクシーの車内での、彼女の寝息と寝顔はいまだに記憶にある.

◆◇◆◇◆

私が最近までいたNPO団体の若い所長代理などは、そんな話題に下世話な性の匂いをかいで現実を汚したものだが、
私は、彼女に、自分の子どもとも、自分の対象の女性ともちがった感覚を抱いていた.


私が会社を出て南の島に隠遁してから、おとといも彼女から携帯電話にメールが来た.

彼女は、自分と私を 「戦友」 と以前から呼んでいた.
私は、若い彼女にそんな意識さえももっていなかったが、
もしかしたら、
それがいちばん私たち 「年輩の男と若い女性」 の関係を示すのに適切な単語だったのかもしれない、と思う.


私がそのような異性観をもつようになったのは、確実に、スウェーデンでの生活の影響である.
あるいは、そこで、ヨーロッパの各国人とつきあったからに違いない.
異性に対しても、外面上の差異ではなく、もっと見なければならない本質的部分があるものなのだ.

私のそのような見方は、少なくとも、日本では理解されないようだ.
そのために、日本人は、自らの世界を狭くしている.
存在する人間の半数に対して、胸襟を開いてつきあうことに、曇り汚れた障壁を設けているからだ.

日本人の社会では、男性は、女性を、まず性の関心対象として意識し、
自己のそうした意識に対する 「禁忌」 という反発力で、他人を非難するのが 「美徳」 とされている.



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動物の生き方ですら 同じではない
- 2007/10/06(Sat) -
スウェーデンにいたときに猫を飼っていた.

私が1日じゅう大学研究室にいて帰宅すると、どこからか私の足元に駆け寄ってきて、一緒に建物に入った.

一緒にエレベーターに乗り、私の部屋のドアの前に駆けていき、カギをあけると自分のえさ皿の前で待機していた.

夜は、ソファや私のベッドの枕元で眠っていた.よく、顔を肉球の足の裏で押された.

私が買い物に行くと、マーケットの前で待ち、散歩すると雪の原野を野生のままに駆けてまわっていた.




南の離島でベランダに来る猫がいる.新聞で獣医が子猫をいらないかと言っていた.

そこで会いに行って、スウェーデンで上記のような飼い方をしていたことを話した.

しかし、ここでは、それはできないそうだ.

暖かい土地だから、外にいる猫は、みな、ノミやダニや喘息に冒されている、と.

飼うなら屋内で飼え、とのことだった.

それで諦めることにした.

自由に生きたいだろう.

たとえ、野ざらしで死ぬことになるにせよ.



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