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自分の周囲1メートルも見渡せない人たち
- 2006/08/26(Sat) -
明白に、他人の邪魔になるところに物を置いたり、場所を占めていたりする人がいる。

他人がある物を使用するときに立たねばならないところに物を置き、他人が手をかけねばならないところに物を載せていたりする人がいる。

これは、自分の周囲を見る能力の欠如だろう。「気遣いができない」 と表現することもできよう。

一緒に行動していて、もー がそうした 「はた迷惑な存在」 に我知らずなっているときは、私は、 「もー、ちょっと、自分の周りを広い視野で見てごらん。何か、気づく?」 というような言い方をして注意を促す。

しかし、おとなになったら、これは、個人の注意力の問題ではない、と私はおもうのだ。

日本で、私は、より多く、こうした、自分の都合しか考えられない人間を見てきている。

どうしたんだろう、この国は。

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日本の 「良さ」 を考え続ける
- 2006/08/26(Sat) -
仕事で、私より年上の、某予備校の英語の先生と話した。彼は、若いころフランスを中心にしてヨーロッパにいたことがあったが、私の知る北欧は知らなかった。

私の口調から、「なんだか○○さんは、日本にいなくなりそうな気がします」 と言われた。そして、そんな私が考える 「日本の良さ」 はなんですか、と尋ねられた。

年上の相手であったが、いつもこのブログで書いているような内容、つまり、安寧さ ではないでしょうか、と私は答えた。その前に、相手が、「やっぱり私は日本で暮らします」 と言ったにもかかわらず、である。礼を失したか、と言ったあとで考えた。

彼は、「 『安寧さ』 ですか・・・」 と私の言葉を噛みしめていた。

それから数日来、私は、「日本の良さ」 を考え続けている。

それがほんとうにわかれば、私は、それを捨てたいとは思わなくなるはずなのだ。

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日本的美風(前記事に続いての出来事)
- 2006/08/26(Sat) -
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九段下で降りて、私よりも年配の婦人に道を尋ねた。教えてくれたあと、歩く方向が同じで、彼女は、私に並んで歩き、「あの向こうは、『麹町区』 と昔は言ってね・・・・ご用が済みましたら、向こうを歩いてごらんになるとよいですよ・・・私はここで育ちましてね・・・」 等々、彼女が入るビルに着くまで、私にいろいろ話してくださった。

このような未知の者への親切は私にはなつかしいものだ。昔は、私の周囲の大人はみんなこんなだったようにおもう。無論、いまの若い人でもそうであることを信じるが。


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民度の低さ
- 2006/08/26(Sat) -
電車の中の風景だ。あきれるのを通り越して見つめていた。背中を向けている男がドアの私のそばに来たので、思わず手で肩を押して 「うるさい。あっちへ行け」 と普通の声で言ったら、黙って次の駅で降りた。
若い男は、私がこの写真をフラッシュで撮ったのを気づいたが電話をやめなかった。かけたのは彼なのだ。こんな若者と仕事の話をしている相手はどんな人間なのか。上司よ、教育しろ。

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電車の中の電光掲示がおかしい。「まもなく九段下」 「九段下に着きました」 という掲示はよいが、向きが違うと 「反対側のドアが開きます」 しか出ない。その向きに座っている人は、駅のホームの駅名が見えないとどこに着いたかわからない。

これが英語で出る車両もある。「For Nakano(中野行き)」 とずっと出ていて駅に着いた。どこだと思っていたら、「Next Kudanshita」 と出た。ドアが開いている間ずっと 「Next Kudanshita」 だったから、私は、次がそうなんだと思っていたら、次の駅は飯田橋で、九段下は通り過ぎていた。設計者は自分では乗っていないのだろう。

これは、日本語なら 「まもなく」 と 「着きました」 を使い分けているのに、英語ではそれが言えないと思った語学力の低さ故の不親切さなのか。

まあ、こんな言い方でいいや、という軽率な諦めからでた不親切さなのか。

どちらにしても、日本が世界標準の 「やさしさ」 から劣る面だ。

まあ、世界には、電車さえない地域もあるのだから、それに比べたら、こんな光景の日本は実に輝かしく立派なものなのだろうが。

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普遍性はここにある
- 2006/08/22(Tue) -
もっと良い家に買われていたら、もっと広いケージで、

よりこいつの好みに合った野菜をもらい、

もっとやわらかい手で扱ってもらえていたかもしれない.
 
逆に、それなりに厳しい環境にあって、

自分でも少しは防衛しつつ苦痛を味わったかもしれない.

それでも、こいつの、この世界での、

ちっぽけな位置と、それなりの存在の質量は変わらない.

  たとえ、故郷のギリシャかトルコで、

  生まれたてでオオワシに飲み込まれていたにせよ、

  生きている地球全体の中の存在物としては、

  オオワシもこのカメもひとつだ.  

     その存在のあり方は、

     自ら尊い、といって誇ることもない.

     ちっぽけだ、といって卑下することもない.

     ただ、いま確固と存在してある、というだけ. 


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fridlysa
- 2006/08/22(Tue) -
      ホタルの繭や幼虫をあたり一帯の土ごと盗む人.

      アユを数百匹の単位で乱獲する人.

      それらが、天然記念物や保護区域でないとしても、
      違法でないからよい、と言えるのだろうか.

      まして、他人の敷地・家屋内にある貴重物は、
      たとえ放置されていたとしても、
      手をつけてよいはずがない.

      それを、放置しているほうが悪い、という考えは,
      人間として、してはならないものだ.

      スウェーデン語で、そうしたモラルを表す語で、
      fridlysa という動詞が表す行為は、
      スウェーデン人なら誰でも尊んでいる.

      日本人には、そんな精神指標はないのか.

      誇りはないのか.


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自分の感情を相手にしない
- 2006/08/22(Tue) -
       私の飼い方に、

       「・・・・・・」 な気分のことが多いとおもう.

       こいつを見ていると、

       心に浮かびそうなたいていの不満や欲求を

       相手にする気がなくなる.


ap

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死を学ぶ
- 2006/08/22(Tue) -
      私が もー と動物園・水族館を巡るのは、

      彼女がそこを好きだから、というだけではない.

      私も、動物を見ることで、

      「永遠」 に通じる 「悠久」 を感じられるからだ.

      私も、子どものころは、

      〈死〉を想像してさめざめ泣いたものだったが、

      いまは、もの言わぬ魚やキリンが死んだとして、

      彼らは、全宇宙の一部として生き、

      もー や私にさまざまな想念を残し、

      形が全宇宙に溶け込んでゆくだけだ.

      私たちもまた、そのように生きている.

      そしてたぶん、孤独な修行者の死といえども

      全世界に抱かれての形の消滅にかわりあるまい.

      死を恐れない.

      もー にも、悲しむな、と教えている.


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だれとでも生きられる
- 2006/08/22(Tue) -
    スウェーデンでは、親と血縁のない子がふつうにいた.

    白い肌の両親と、髪はむろん肌も違う子どもたちだ.

    それは、アジアの国からの養子であったり、

    連れ子結婚した親の死などで遺された子どもが

    さらに別の人間を親にした場合などである.

    だから、私も、アキラとその母とうまくやれると思っていた.

    しかし、日本では、子どもの虐待が圧倒的に多く、

    特に、女性の連れ子を虐待する男性が多く報道される.

    そんな風潮から、アキラの母の親族も初めから、

    「あなたたちはうまくいくはずがない」 と断じ、

    それでも私のところへ来た彼女を絶縁同様にした.

    その音頭とりが、アキラの母の継母だった.

    自分が見聞したことがない、というだけで、狭い邪推で、

    複雑だが整った人間関係も可能なことを信じない人々.

    自由な男女、自由で幸福な子どもが存在するには、

    日本人の精神は、まだまだ暗黒で偏狭すぎる.


    そのときの偏見、周囲の愚かさに比べれば、

    いまの もー との関係は、まったく常識的で明朗だ.

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生ある限り避けられない
- 2006/08/22(Tue) -
61年前の広島・長崎に起きたこと.

この理不尽さが、野生の動物の死と同じなのか.

北の海で人間のせいで油まみれになった鳥.

悪しき心により、いわれなき暴行を受けた人.

この理不尽さは、平然と受け入れるには、あまりに大きい.

しかし、それでも、きっと受け入れなければならぬがゆえに現前する理不尽さ.

人間は、せめて、その頭脳と心を、
すべての生物の安寧のために使えぬものなのか.


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若い人たち・野球
- 2006/08/22(Tue) -
試合が終わって、

相手を称えることができる心情は、

勝敗がつくまで、自他の優劣を考えず、

全力を尽くしたあとで、

結果を受け入れる気持ちだろう.


きっと、生きることも同じだろう.

だれも恨まず憎まず、驕り慢心することもなく、

自分の気持ちを高めて死力を尽くして生ききる.


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