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和合か独行か
- 2006/06/03(Sat) -
         私は宗教には詳しくないことを断っておくが

        たしか、聖書の冒頭で、神が、

        「人がひとりでいるのはよくない」

        と言って、男のあとに女をつくったと記憶している。

        これは、生殖のためだけではない、

        キリスト教の根本の考えだろう。 なぜなら、

        イエス(パウロだっけ?)が弟子を各地に遣わすときも

        必ず、二人ずつになって行くよう指示していた。


        しかし、釈尊は、入滅のときに、弟子たちに

        教え、真実のみを友として

        「犀の角のごとくただ独り歩め」

        と指示したらしい。

        聖書も仏典も、ともに人間洞察に優れた書でありながら

        この違いを私はしばしば考える場面に遭遇する。

        人と手を携えあって同歩調で進むべきか、

        己の責任と能力にすべてを託して進むべきか。

        私がどちらをとりがちな人間かは、

        私の血液型や星座を見ればわかるという人がいそうだ。

        そう、あなたがおもう通りなのだ。

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焼肉屋
- 2006/06/03(Sat) -
初めて出会った日にすぐに私の膝によりかかった もー のときと違い、アキラのときは、小二だったこともあり、私になつくには1か月以上かかった。

アキラの母は流産をしたり不妊治療をした結果アキラを産んだから、親戚からも言われるくらいにアキラを溺愛していた。アキラも、母親を第一に慕っていた。(沢口靖子は別にして→2006.2.3 http://ameblo.jp/odjinn/entry-10008709627.html)

ある日、三人で焼肉屋に入った。その前、私たちはいわゆる健康ランドというような施設に行った。いくぶんかの母親の危惧はあったが、明は、私と同じ男性更衣室で着替えた。

その帰途の焼肉屋である。テーブルを挟んで、通常なら、アキラと母、向かい合って私、というのがそれまでの席位置だったが、その夜、アキラは、つめてスペースをつくって待っている母親に、「こっちに座る」と言って私の隣に座った。

その時の、母親の、あっけにとられた気持ち50パーセント、くやしさ寂しさ30パーセント、そして、心から晴れわたったうれしさ20パーセントの(と私は読んだ)表情はいまも忘れられない。愛ある家庭の象徴、私が最も愛した彼女の顔だ。

いま、アキラは、だれと焼肉を食べることだろう。
私は、もう肉はなるべく食べないほうがよいからだになった。


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友人・知り合いこそ財産
- 2006/06/03(Sat) -
        カメ、あらため、命名アプを無理やり起こしてベッドに乗せて

       小便大便をされて 少し反省した子どもは それでも

       勢いとまらず 池袋サンシャイン国際水族館へ.

       その後、雪の日に訪れた市ヶ谷の釣り堀へ.

       金魚コーナーで 名人たちの助言をうけまくる光栄に浴し

       経験知識の重さと 

       感謝することの気持ちよさを知る.

       その後は、恒例の「上野4点セット」.

       チョコバナナは店じまい後 スズメいず だったが

       たこ焼き+ネコにエサやり は 満足いく首尾.


       「『顔なじみ』が たくさん あちこちにいる ということは

       生きる上での財産だ」 と教える.


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愛情の伝承
- 2006/06/02(Fri) -
私がかつて支えられなかった者たちに与えられなかったことを、いまの私が他人にできるからといって、それは単なる物質的なことにすぎない。私自身が変化したわけではない。

たとえその時にいまの物質があったからといって、その時は、また別の事柄で、私は彼らの後ろにいる人々に非難されただろう。
私は、私ゆえに、二人を支えられなかったのだ。

物質が足りなくとも、「幸福」に生ききる人々はいるにちがいない。

私たち三人は、幾度か「幸福な瞬間」を知り、その〈コツ〉をつかんだかに思えたが、予期せぬ大波は、私たちの〈がんばり心〉をついに圧倒した。

終盤になっても、まだ、人生をわからない。
それでも、私にも、続く若者、ついてくる子どもがいてしまう。止まれない。
自ら未完成だからといって、私より未来ある者たちを放擲できはしない以上、日々努めて迷妄から離れて生きてゆくようするしかない。

あの二人への愛情が私にそうするようにいまも指示している。

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Ap(アプ)と名づけられたカメ(語源はサンスクリットの「水」)
- 2006/06/02(Fri) -
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この3日間、子どもは何度「ねえ、カメ買ってきた?」と私に尋ねたことだろう。


だから土曜日にくるよ

やたラッキーラッキーラッキー! たのしみ! にゃははうへへキューぷもーん…… (以下、意味不明な音声が続く)

落ち着いて学校行ってこい

やにゃ

というありさまである。


ヒトが犬と住む、猫と暮らす、鳥とすごす… 
 
ペットを飼うというと、アクセサリをもつのと似た、生活に付加価値をもたらす行為のように思うこともできるが、あるいは、異なる種(しゅ)の生物が共棲する、という、基本的生活形態の一変型にすぎないのかもしれない。

子どもが親の判断で、住む場所や通う学校というロケーションが決められるように、ペットも飼い主にその判断権があるだけで、ともに暮らしてよりより空間時間を共有しようという点ではヒトとヒトの場合と同じかもしれない。

血のつながらない親子が一緒に住むと、日本では、児童虐待の引き金になる事態だと眉をひそめる人々がいるが、スウェーデンでは、兄弟で母親か父親が別々で、さらに、親のどちらとも子もまた血がつながらない、という家庭は特にさして悲惨な事件を連想させる状況ではない。日本で、そのような事件があるのだとしたら、それは、共に暮らす人間の心の問題なのだ。特に、大人の側の。



私は、これまで、飼っていた犬1匹と猫2匹の死にあってきた。

カメは、私よりは生きてほしい。

子どもは、カメに、私の名前に「作」をつけた純和風の名前を発案したが、無論私は却下した。しかし、「さく」だけの名前になると思う。スウェーデン語で、SAKと書くと「もの」という意味、漢字で「朔」と書こう、と言ったら

いいねいいね~~~~ OKOKOKですぜ にゃはははうへへ~~~(以下、上と同様)

と昨夜はこわれていたから。

(この記事は、管理者の別ブログにおいて今年2月に書かれたものである。)
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若い人たち
- 2006/06/02(Fri) -
       私が予備校教師をしていたころ

       この時期は、通常にはない問題が生徒間で起きたものだった

       合格が決まらない生徒間のねたみがあり、

       公然と自己主張できない生徒は自己否定に陥る

       私は、そんな生徒には、

       「人生には、敗者復活戦は何度でも訪れる」

       と言うしかなかった   転部や編入、という方法もある 

       しかし、そんなセリフは、親や友人の間で悩む彼らには通じない

       今夜、親とどう過ごすか、ということで彼らは悩んでいるのだ

       いま志望していない大学に入るのと

       2~3年社会を見てから覚醒し、

       いまでは考えられない学部・大学に半分自費で入ることと

       長い人生でみたらどちらも優劣はない

       元気に、よく生きてほしいと 年長者として願うだけなのだが

       数多い者の一人ひとりにどうともしれやれなかった

       二三の、特に私にくっついていた者だけがかろうじて独自の道を行った

       そうでない生徒たちには、私のことばは、

       うつろな大人のたわごとだったことだろう


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三輪車と毛糸帽子
- 2006/06/02(Fri) -
【とき】 日曜午後4時過ぎ、太陽が夕日になる直前

【ところ】 東京・自宅そば地蔵さん小路

細い小路に、お母さんと、補助輪がとれたばかりのピンクの自転車のお姉さんと、三輪車の妹

お姉さんは、後ろの妹かお母さんに何か声をかけながら、彼女らに近づき歩む私のほうによろよろと自転車をこいできた

私が視界に入ると、お姉さんは、後方に叫ぶのをやめて私の手前まで黙ってこいできた

私は、それを、他者に対する配慮ととり、「お姉さん」らしい彼女にほんの一瞬目をとめ、微笑み、その脇を通り過ぎる

三輪車の妹のそばまで私が歩むと、彼女は、私のほうに向いて片手をハンドルから離して「ばいばい」と言った

私は、それが、彼女と私を結んだ線上、私の背後にいるはずのお母さんに言ったものと思い、彼女に視線を止めたまま脇を歩み過ぎる

三輪車の妹は、さらに身体をねじって私を見送りながら「ばいばい、ばいばい、ばいばい」と繰り返した

私は、自分に言われたのだと気づき、思いがけない気恥ずかしさを感じながら、にっこり微笑み返した

彼女はさらに手を振りながら、もう片手もハンドルから離して、目の上にずり落ちてきた毛糸の帽子を上げようとした

その瞬間、手を離したことで、地面についていた足も離れ、彼女は三輪車の上に腰掛けた状態になった

路側へと道が傾斜しており、彼女が座った三輪車は後方へと移動した

その動きに合わせて、彼女は、私に片手で手を振り、片手で毛糸帽子を押さえたまま、後ろに倒れそうになった

私が、一瞬で危険を感じて走り寄ったよりも早く、お母さんがハンドルをつかんだ

妹は、近寄った私に何事もなかったように手を振って「ばいばい」と言い続けた

沈みかけた太陽は私が来た方角にあり、その時のお母さんの顔は太陽を背にして暗くわからなかった

私は、ただ、その妹に合わせて、笑って「バイバイ」と言って手を振り、歩み去った

私が道を曲がるまで、背後で「ばいばい」という声が聞こえた

角で振り返ると、まだ、彼女は太陽を背にして私を向いて手を振っていた

私も、笑顔をつくって手を振り「バイバイ」と叫んだ

お母さんの顔は影になり、他人の子どもに笑って手を振る私をいぶかしんだかどうかはわからない

しかし、それは、もうどうでもよいと思えた

(この記事は、管理者の別ブログにおいて今年2月に書かれたものである。)
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躓いた名も知らぬ娘へ
- 2006/06/02(Fri) -
私がいた国は、学生はみな同じ額の就学補助金をもらうので

女の子がボーイフレンドにおごってもらう風潮はない

しかし、20や30も齢が違えば、社会的に収入は違うもの.

金はもともと社会のもの. 持てる者が出してこそフェア.

私も若い娘に飯をおごることはする.

若者の血肉になる行為に金を惜しむ者はいない.

それに元気で明朗な感謝の表情が返ってくればよい.

きみも、これから そうすればよい.


        ちりははたいて捨てて往け

       それでもダニが落ちなければ

       きみを愛する者に たたき落としてもらえばよい


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人は変われる
- 2006/06/02(Fri) -
血のつながらぬ娘は、自分が太っていると思い込んでいる.

胴体がずんどうなのが、私には、ふつうの児童体型に思えるのだが、彼女は、「くびれ」がない自分の身体に生来的あるいは宿命的な自己欠陥を見出しているかのようなのだ. 
そういう考え方を彼女に刷り込んでいるのは他ならぬ彼女の母親だ. だから、もー は、母親と離れて私と二人きりになると、貪るようにアイスクリームやソーセージを食べたがる. 
無論、私は、食べたい物を食べろ、と言う.

犀(サイ)さん(私の呼称) にはきょうだいがいる? (彼女は一人っ子だ)

いるよ. 弟が.

犀さんと似ている?

似てないよ.

犀さんみたいに、ひげはやしている?

いいや、はやしてないよ.

犀さんみたいに筋肉ある?

いいや.

犀さんみたいに外国語知ってる?

いいや.

犀さんみたいに髪の毛が、…んーと、黒い?

…いいや.(苦笑である)

犀さんみたいに野菜好き?

いいや. あはは. もー、いいかい、人は、自分で自分を変えられるんだよ.

……

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ある節分
- 2006/06/02(Fri) -
     ある節分の夕方、アキラの友人たちが遊びにきていたとき

     私は、こっそり外に出て、鬼の手製お面をかぶり、

     ドアベルを鳴らした上で「鬼だぞー!」と玄関に飛び込んだ。

     子どもたちは一様にきゃあきゃあ騒いで、

     アキラの母が用意した落花生を私にぶつけまくった。

     ただ一人いなかったのはアキラで、彼は、

     それが未知の土地・仙台の本物の鬼と思ったのか、

     奥の部屋で布団をかぶってふるえていた。

     みんなで大笑いした思い出だ。
     (この記事は、管理者の別ブログにおいて今年2月に書かれた。)

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節制と享受
- 2006/06/02(Fri) -
   「節制」という徳を、

   『ゴルギアス』でプラトンソクラテスに語らせている.

   それを、ニーチェは「豚の徳」と呼び

   持てるものは持つがよい、それが徳だ、と言ったようだ.

   私は、二十歳過ぎ、そう知っていたが、

   人間らしくあることとは

   おいしいものを食べて喜び、

   愛するものを所有することだと考えるようになった.

   そう私が正面から思うようになったのは、ラブレーの影響だろう.


   フランソワ・ラブレー, 渡辺 一夫
   ガルガンチュワとパンタグリュエル (第1之書~第5之書)
   (訳者は、東大仏文科卒の大江健三郎が『個人的体験』の中で〈義父〉として描いている人物のモデル)


   この、産声が「食べたーい食べたーい」だった主人公の物語は

   若い私に、釈尊よりも朗らかな人間肯定観を与えた.

    《グロテスクなほどに人間的でいる

   しかし、それは、子どもの普通の姿でもあるように思う.



   そして後年、社会の中で生きていくことにこそ

   太古の昔に釈尊が考えた困難があるのを私は知ることになる.

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血はいらぬ
- 2006/06/02(Fri) -
      恋人や夫婦がそうであるように

      血のつながらない者同士が

      なによりも堅い絆をつくることもあるだろう


      たとえ血のつながらない子どもであっても

      実の親子に劣らぬ絆ができぬはずがない


かつてアキラがそれを私に教えてくれた。
一人を除いてすべての恋人は去ったわけだが、血や年齢や立場を超えて、信じる心をアキラが教えてくれた。
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格差社会
- 2006/06/02(Fri) -
    日本は豊かになった、という人たちがいる

    経済的に悪化してきているという人たちもいる

    どちらも正しい.

    富める者と貧しい者との格差が広がっているだけなのだ.

    この10~20年くらい前は、家に数万円のお金がないために

    高卒生が人生の次の段階に進めない、

    というようなことは今より多くなかった.

    一方で、本来は気象予報士である男が、

    東京都知事の息子という立場を立派に芸に生かして、

    軽薄児を装い、強固な頭脳をもつ父親とのギャップを

    ブラウン管で見せて喜ばれ、収入を得ることもできる.


    私がかつて住んだスウェーデンという国では

    大学生はみな国から就学補助金をもらい

    就職してから自分の給料から返済するので

    親の収入によって教育を受けられない、ということはない.

    逆に言えば、大学生も高卒の石工も

    自分の責任で人生を選んだ点では同等で

    互いに驕りもコンプレックスもない.

    日本は確実に心の貧しい国になっている.

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銭湯
- 2006/06/02(Fri) -
もー が銭湯に行ってみたい、というので、ネットで探して出かけた。
道に迷った。

そこのお店できいてみなよ

飲み屋ののれんをかけわけて、銭湯の場所を尋ねる私。

じゃ、女湯はあっちね

(消えたかと思いきや、戻ってきて)

男湯にはいる

なぜ? 女の人の大きなおっぱい見たい、って言ってたじゃない

いいの

なぜ? おねえさんがいないの?

うん、おばあさんばっかり

………

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映画 『恋する惑星』
- 2006/06/02(Fri) -
この映画が日本中を席巻していたころが、私の最後の青春時代だった。
私、また、いつも行動をともにする私の友人たちも、みなそれぞれに恋人がいたり、告白する機会をねらっていたりして、大学で会えば、いつもそんなことで互いをつっつきあって笑い興じていた。

私たちの未来には、垣根はなかった。

私は、この映画を、そんな友人が愛していた女性と観に行った。
その後、我々友人たちの望みどおりに、私の友人と彼女は結婚した。

私がスウェーデンにいたころ、その友人は火災事故で亡くなった。
彼女は、そのあとドイツに来たらしかったが、私は消息をもはや知らない。

数年前、教えていた予備校の生徒が家に来たとき、これを見せたが、彼女にはなんの感興ももたらさなかった。その子は、一人暮らしの私と同じベッドで寝ていったが、私は、人にはそれぞれの人生のベースとなる時代があるのだな、と、隣で眠る不良受験生の横顔を視界のすみに感じながら、しみじみ思わざるをえなかった。

いつか、もーにも見せようか。……いや、やめておこう。
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ある読書
- 2006/06/02(Fri) -
私は本を読んだほうだと思う。
人生で、幾多の本を読んだが、現在、それらの多くはいまの私の住まいになく、もはや、高校を終えて30年たつ間に10回も帰っていない実家の親たちによって捨てられたもの、スウェーデンに行く前に売り払ったものが大半だ。

下の書名も、いま、この文章を書くにあたって考えに考えて思い出した。
しかし、私の意識には、その中で読んだ、無名の、美術学校のヌードモデルだったころのマドンナの記述が、精神のいくつかの太い支柱のうちの1つとして残り続けてきた。

それは、その頃のマドンナに会ったことのある日本人の
「あのころの彼女のからだには、金髪なんかどこにもなかったよ」
という証言と、やはり、マドンナ自身が、著者が取材した男に語ったという
私はいつまでもこんなことをしてはいない
というセリフだった。

著者もいま検索して思い出したが、上の2つの文は私の意識の基層の重要な1つであり続けてきた。書物の役割としては、これでよかったのだと思う。
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『人にやさしく』
- 2006/06/02(Fri) -
風邪で会社を早退してきてテレビで国会証人喚問を観ていたら、突然『人にやさしく』の再放送が始まった。
これが月曜9時に放映されていたころが、私がアキラと彼の母親と暮らした時期と重なるのだ。
そして、肉親でない男3人と暮らす主人公・明少年の境遇が私と暮らすアキラと似ているということで、私もアキラの母親も月曜だけはアキラに10時までこの番組を観るのを許していたのだった。
アキラはブルーハーツの主題歌をいつも絶叫していた。
初めての土地で、身寄りない私たち3人は、この番組を観て、アキラを中心にがんばるはずだった。
(この記事は、管理者の別ブログにおいて今年1月に書かれたものである。)
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成長
- 2006/06/02(Fri) -
アキラは、食卓で母親と私が話しているとなぜか牛乳の入ったコップを倒したりした。
しかし、それは、人が通常考えるような「母親と私のじゃま」をしているのではなかった。
彼は、考えるべきこと感じなければならないことが多すぎたのだったと思う。

私は、教授によって招かれたとはいえ、初めての大学の研究室で勝手がわからない上に、博士論文を書く者同士の、よそでは経験したことのない陰湿な足の引っ張り合いにさらされ、果ては、自分のスウェーデン製の靴底の裏のゴムが特殊コーティングされた賃貸マンションの廊下につける跡を管理人に注意されたりで、すっかり東北の古都を嫌になってしまった。

先夫が医師だったアキラの母は、ここでは、ただの大学院生の家内にしかすぎない。
友達もつくらず、家からほとんで出ないようになった。

一方で、子どもとなじむのになれている私は、やがて、アキラとじゃれあうようになった。
彼は、私とでなくては風呂に入らなくなった。
以前の父親とは決して入りたがらず、むjしろ逃げていた、ということだったが。
元「医師の息子」として「タクシー好き」だったアキラは、やがて、一日の行楽の帰りの地下街からの階段も真っ先に駆けて上るほど、すっかり快活になった。
なまりの違う土地の友達も毎日家に呼び、母親も「いつからそんなおりこうさんになったの」とうれしい驚きを示していた。
〈初めての土地で、初めての者と暮らす〉生活の中で、まさしくアキラがだれよりも幸福に近づいていた。


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刻印
- 2006/06/02(Fri) -
私の母は横浜の肉屋の娘で、高卒の学歴しかないが、思い返すと、運輸省航空管制官から後に高校英語教師になった父親からよりも、私は母親から貴重な生活習慣や生き方の規範を教わったように思う。

小学生のころからさまざまな本を買ってもらったが、その中に、いま思い返すと不思議だが、手塚治虫の漫画もあった。
私の子ども時代は手塚治虫が少年誌に連載をしていたリアルタイムで、『鉄腕アトム』も毎月続きを楽しみに読んでいた。
プルートゥが出たときにはアトムの敗北をほぼ覚悟し、ロボイド2号の強さには人類の終末を心配し、青騎士の運命にはいつまでも涙を流したものだった。

そんな母親が私に買ってくれた手塚作品に『アリと巨人』というものがある。
なぜ母親がそれを選んだのかわからないが、その後、私の将来の志望は、「新聞記者」となったのは、まちがいなく主人公のイメージのせいだと思う。
(本当は、主人公は学校教師だが、それは、父親への反発から私の理想にはならなかった。
ただ、〈社会悪と戦う〉という点だけが、私の理想として残ったらしい。)
その後、私は、自分がどのような大人になるのか、理想像を持たないで生きてきた。
二十歳前後で人生の行く末を決めた人間はそれなりに成功できるのだろうが、私は、理想なく、ただ、自己能力を高めることだけに夢中で生きてきた。
自分は、こんな40代になるとは予想してなかった。
果たして、さらに私は生きて50歳になるのか、それは、どんな年齢なのか、いまだにわからない。

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幸福な心たち
- 2006/06/02(Fri) -
大学生時代に、私はフランシスコ会のカトリック教会の教会学校のリーダーをしていた。

夏休みになり、小学1年から6年までの児童を総勢40人くらいだろうか、奥多摩へ1泊の遠足旅行をした。
神父さんたちやシスターたちも同道したが、すべてを進行するのは、各学年のリーダーたちと、その総リーダーの私だった。

最初の日、奥多摩の丘陵地を歩いているとき、小学4年生の女の子が川のせせらぎで足の裏を切った。

出血がおびただしく、もはや自分での歩行は困難だった。

各学年は1年生から順に最後尾が6年生の順だったが、私は、自分の権限で、小学4年の隊を先頭、以下、1年生、2年生、3年生、5年生、6年生の順にした。
リーダーたちの中には、4年生のリーダーの女子大生と私が親しいことをあげつらって皮肉を言うものもいたが、私が怪我をした少女を背負って先頭を歩く以上、痛む足をもつ彼女にさみしい思いをさせないため、友人たちのいる学年も一緒に先頭にした選択の結果だった。

神父たちは私の指示に何も言わなかった。

その夜、反省会でそのことが出て、神父は言った。
「まさに○○くんの霊名クリストフォロそのままでしたね。英語などのクリストファーの語源のラテン語のクリストフォロは〈キリストを運ぶ者〉なのです。feroが〈運ぶ〉という動詞ですから」 
教会では、子どもを「幼子のキリスト」とみなすのだった。

別のリーダーが言った。「なんか『野性の証明』みたいだったね」 

そういえば、私が背負った彼女は、ショートカットで大きな目をしていた。

すべてが肯定されて明るく見ることのできた世界がそこにはあった。

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