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我らは我らの流儀で
- 2017/08/09(Wed) -
「ヨーロッパ人の 『複数言語』 習得」 が意義高いものとして、我が国の一部でも語られている.
そりゃあ、結果から見れば、それがすばらしいものであることは当たり前だ.
しかし、そこへ至るプロセスも、とりまく環境も、ヨーロッパ人と日本人はまるで違うのだから、
徒に彼らを羨望しても意味はない.


私もスウェーデン留学前は、日本の大学で、そのまま 「多言語習得者(polyglot)」 という単語を冠した勉強会を開催していた.
私たちには、世界を知らない日本人大学院生の意志と気概と、そして、相当な優越意識が溢れていた.

◆◇◆◇◆

その後、スウェーデンに行って、polyglot などと日本で気取っていた自分たちの偏狭な愚を思い知った.
私のいた大学は北欧第一の伝統のあるところだったので、学生もそれなりに優れていたのだろうが、
当たり前の学部生でも、複数の現代ヨーロッパ語とラテン語くらいはわかっていた.
しかし、それは、私が日本でしていたような地味な勉強の結果ではなく、
環境が彼らをそのような能力ある者に変えたのであることをも知ったのである.


スウェーデンでスウェーデン語を習い修得した私は、
労せずして、ノルウェー人ともデンマーク人ともアイスランド人とも会話できる自分を見た.
それは、スウェーデン語の音と微妙に異なることさえわかっていれば理解できる程度の 「外国語」 だからだ.
さながら、東北弁の日本人も関西弁を話す日本人と意思の疎通ができるのと同じである.

同様に、イタリア語は知らなくても、ラテン語をアレンジすることでイタリア人とも話せた.
あとは、会話の過程で、イタリア語の呼吸を肌で感じていけばよいだけだった.

c


ヨーロッパ人はそのようにして複数言語習得者になるのである.
一方、日本語は孤立言語であるため、
日本語ができたからといってすぐにそれで理解できる外国語がありはしない.

しかし、私たちが学校英語で 「不定詞の否定は to の前に not を置きますよ」 と習った知識は、
同様に不定詞をもつ他のヨーロッパ諸語でも流用できるし、

現在では実現できないことの願望」 を表しているのに 「仮定法過去」 という、
日本の高校生には混乱を与える名称で呼ばれる現象の理解も、
古い時代の言語を学べば、その構造の由来が理詰めで理解できる.

私たち日本人は、理詰めで理解する段階をとばして外国語を学習することはできない.
その後に、ヨーロッパ人流の 「肌で習得する」 段階に移行するのがよかろう.
理屈を知らないで 「肌理解」 だけに頼ると、所詮は高等な内容の運用に支障が出よう.
外国語を使ってマーケットで会話ができても、その言語で論文が書ける頭脳は、また別の次元のものだし、
私たちは、彼らのギリシアやローマに匹敵するような、
母国を越えた 「外国のふるさと」 を持たないのだから、
所詮、「肌」 で学んでも、彼らの民族の伝統には迫れないことをわきまえねばならない.


k


(本記事は2007年10月27日に書かれた.)


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資質になってしまう
- 2015/10/07(Wed) -
外国語に堪能になるかどうかは、
(有名大学の受験に受かる程度の英語力はここでは低レベルゆえ扱っていない)


人間力



によるのだ。



東大の読解問題をみろ。



東大が求めているのは、



成熟したニンゲン



なのだ。





なぜなら、



難解な文法問題を解ける頭脳よりも、








ヒトの 




おもい





をわかる、或いは、類推できる、ニンゲンの方が、




世界のためになる、つまり、東大が輩出したい者であり、

その者への第一関門が入試で、それで、まずおおざっぱにふるいにかけようとしているからだ。
(無論、授業で、或いは卒論で、果ては教授とのニンゲンとしてのつきあいで、さらに人材はふるいにかけられるのである)






受験生、つまり、18才ごろのきみら若造どもよ、








自分を、

より優れたニンゲンにするための生活をせよ。



それ以外、きみらがする生き方はいまはないのだ。







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スウェーデン語を話せる日本人
- 2015/07/26(Sun) -
生活会話能力は、知能とは関係ないので、


スウェーデンに住んでスウェーデン人と結婚した日本人の人たちは、

日本のどんなスウェーデン語の先生よりもスウェーデン語が話せる.


私にも、そんなスウェーデン人と結婚した、医師、弁護士、商店主夫人、などの

日本語もわかる日本人の知り合いがウプサラにいた.



私がスウェーデン語から翻訳書を出したとき、出版社の社長は、

そんな、スウェーデン人と結婚してスウェーデンに住んでいるスウェーデン語が堪能な人は翻訳には不向きなのだ、

と言っていたのをそういえば思い出した.




私も、スウェーデンにいたときは、日本語を使うことは一切なかった.日本人の友人がいなかったし、

あるいは、他大学の日本人研究者や留学生は日本語を話せる私に接近しようとしたが、

私は、そこに距離をおいていたからだ.



日本人研究者だけでかたまっていた某国立大学出身者たちもいたが、

私は、もともとスウェーデンでやってゆくつもりだったから、

かたまる日本人の群れと接触しないようにしていたのだ.



だから、スウェーデン語が堪能な 「スウェーデン人と結婚した日本人」 にも近づかなかった.


スウェーデンについて知るなら、そんな日本人よりも、直に、スウェーデン人から習えばいい.




先日、ある出版社に、英語とスウェーデン語の比較教本みたいなものを書いてもよい、と電話したら、


日本では、スウェーデン語を教える教育機関は限られているから、そのような図書は出せない、とのことだった.



私も、


日本がそうなるにはまだ20年ほどかかるだろうが、先見の明を出版社に与えようとしたのだが、


担当者がいらない、というなら、日本人にまだ当分、無知、でいてもらおう.







そう、スウェーデン人の教師が、これを日本語に訳してほしい、といったスウェーデン語の有名な童話も、


日本の出版社に見せたら、「絵が気持ち悪い」 という担当女性編集者3名の意見で見送りになった.


私も怠け者なので、それ以外、活動もしていない.




このブログを読む人はスウェーデンに関心がある人々であろうが、



日本の営利企業たちは、



民族の啓蒙、
などということは考えていないのだから、




今後、次の2世代くらいあとになって、



日本人はスウェーデン人の国民性も知って、



少しは、文化も、その結果、政治も、上向くかもしれない、というのが未来図であろう.



ヒトは、



人類総叡智の向上を目指しては生きていないのだから、仕方ないのである.




k
121029

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ある翻訳者
- 2015/07/05(Sun) -
釜ヶ崎の牧師だという人物が、かの聖書の翻訳を自らも行っているという。


有名な、「悔い改めよ」 ということは、「苦しみを与えている人の側から見よ」 という訳語になるという。

「柔和な人は幸いである」 は、「抑圧にめげない人は神からの力がある(=神の力がある)」 が正しいという。



私は、聖書は、ゴート語を含む古代ゲルマン諸語の訳でしか読んだことがないが、

きっと、指摘のようなことが随所にあるのであろう。




翻訳者、


私の職業、というものも、そういうことになるだろう。


翻訳 とは、不思議な作業である。


自分で創作した作品ではないながら、ことばひとつひとつ、その結果、書物全体がもつ空気まで左右することになるのが翻訳である。



尊い作業をする人物を知った休日の朝である。


* * *
「人は、どんなにみじめな死に方をしようが、それで、
その人の人生が、みじめだった、ということはない。
イエス自身も、十字架上で、
我が神よなぜ私を見捨てたのか、と言って亡くなった。
私も、修道者らしい死に方ができる自信ないです。
それでもいいんだ、ということを教えてくれるのが・・・」

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弟葬儀帰途羽田にて(iv)あらためて、外国語教育
- 2015/06/22(Mon) -
親戚に私のスウェーデン語やドイツ語の翻訳本や、英語の参考書とかを調べた人がいて、日本の外国語教育について、火葬場の精進おとしの席で尋ねられる。

私の持論 :

①会話、読解、作文のなかで、会話が最もカンタンで、すぐに身に付く。
ゆえに、会話能力は必要になったときにその環境で2週間くらいすれば身につくので日本で会話学校などの類いに出資するのは愚。
また、ヨーロッパの先進国のそれに比べ、日本にいる外国語教師の中には、自国で食えない学歴もない落ちこぼれニンゲンがガイジンというだけで教壇にいることが多いので、学問的な文化的な会話は期待できないこともあると注意。


②読解の能力は、一方で、外国に行ったからとすぐには上達しない。読んで考える数ヵ月の勉強がなければ無理。だから、高校生までのうちに、うんと読む、つまり、地味な受験英語を毎日ちゃんと勉強するのがアジア人にとっては一番最初になすべき外国語勉強。


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その国ならではの思想を表す言葉がある
- 2015/04/11(Sat) -
「もったいない」 とものを大切にする心とその単語が、日本独特なものだ、と欧米で高評価されているらしい.

たしかに、私が知っている外国語では、どれも 「もったいない」 にぴったり対応する語はない.私が外国語で言うとすれば、「まだ使えると考える」 とか 「使用可能かどうかというより、そのもの自体を大切に思うために捨てるにしのびない」とでも表現するか.

しかし本来、厳密には、外国語同士の間には、受験の単語集のような一対一の対応語がない場合が普通なのだ.

スウェーデン語の fridlysa という動詞も、同族言語の英語やドイツ語にも対応する単語はない.
それが、世界中で、ヨーロッパの中でも、また、北欧の中でも、特に、スウェーデンにのみ特徴的な考え方だからだ.

それは、 「生物・ものごとを、できるだけ、それがあるがままの状態にしておくことで大切に保存する」 ということである.

天然記念物が乱獲され、重要文化財が破損される国が学んで当然の思想だ.




自分たちの文化伝統にないもので価値あるものには、これからの時代の人間は積極的に学ぶべきなのだ.それが、過去以上に成長できる最大の方途だからだ.

軽薄な娯楽面はすぐに外国にかぶれるくせに、少し困難で耳がいたい事柄だと、自分たちの文化ではないからとそれを排斥・冷笑する者が特に日本には多いが、そのような人間は、はっきりいって江戸時代の攘夷運動家と同じで、過去の遺物、所詮は歴史上で敗れ去る者たちなのだ.

未来の日本人よ、世界から、自分たちにないものをもっている者たちから学べよ.


(09.7.25記)


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ネイティブの日常の発音を知ったほうがよい
- 2015/01/25(Sun) -
私が島の高校生に言うことは、




きみの生きたい国で最長1か月生きれば、その国の言語で日常生活できるようになる、ということである.






私は、日本からスウェーデンに行って、その期間で、スウェーデン人とも姉妹言語のノルウェー人ともデンマーク人ともアイスランド人とも話していたから、そう言うのである.






英語もそうだが、




ネイティブが発する音声は、



発音記号や、先生や、当該国の先生の授業で聞く音声とも違うのである.







ことばのシャワー








そんなものを浴びれば、







日本の外国語会話教材がいかに日本国民の無知蒙昧を利用して法外極まる金を取っていたか、呆れるほどわかるであろう.










幸い私は、英語は、早稲田の留学生のアメリカの女子とつきあったことで、

スウェーデン語会話は、スウェーデンに行って、徹底的に鍛えられた(その内容は教えないよ.スウェーデンの大学で勉強して体験したまえ.)







ネイティブの音声を聴いて






その真似をすることだよ.







それが、最短最良の会話練習だ.





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「バイリンガル」 の虚像
- 2015/01/07(Wed) -
日常会話がなんでもその外国語で言える、ということでは

「バイリンガル」

とは到底呼べません。




まず、こうした限界線が日本人の外国語学習の常識にならねば、日本人はいまだに黒船時代だとおもうしかありません。







「お腹すいた?」


と相手に英語で聞きたいとき


なんと言うか考えてごらんなさい。


Do you や、Are you で始めてその意味が言えたとしたら、まだ 「バイリンガル」 ではありません。




「バイリンガル」 とかいう能力のニンゲンになる夢を追求するなら、あなたが日本人なら、日本語の 「阿呆」 になる覚悟をしなければならないのですよ。








所詮、ヒトが、なんらかの複数の言語でしっかりした能力を獲得できる、ということはありません。





その外国語で小説でも書けるようになるほどなら、そのヒトが日本人なら、その日本語は、日常会話程度、たとえば、

大学の入試の小論文試験で試験官をうならせるような名文などは書けはしない、というレベルです。





どちらの言語も、どの複数言語も、日常会話ができて、「何ヶ国語もしゃべれます」 というヒトは、


どの言語でも、人の心を打つような名文は書けはしない、というレベルなのです。







バイリンガル、という言葉の幻想に惑わされてはいけません。


この読者が日本人なら、日本語は小学生程度にしか使えなくても好きな外国語のネイティブとなることを目指すか、




ちゃんと日本語で周囲を納得させるだけの文章力を残しつつ、日常会話や新聞読解程度はいくつかの外国語を使えるようになるか、の選択をしなければなりませんよ。




まぁ、要するに、ヒト並みになんとかなるようになれる、ということですけどね。



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スウェーデン語学習者へ
- 2014/09/29(Mon) -
スウェーデン語がゲルマン語族に属することを知っている人は多いだろう。


とくにそのなかでも、スウェーデンの大学の 「北欧語学科」 で教えられている言語、すなわち


スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語、アイスランド語は姉妹言語なので方言以上には違っていない。


このことの意味することは、どれか1つの言語で他の国民と話せる、ということである。



あたかも、東北弁の人と関西弁の人が意思疎通できるようなものである。


私は、学生寮の同じコリドーにいたノルウェー人ともデンマーク人ともスウェーデン語で話していた。


デンマーク人の年配者と電話で話したときもスウェーデン語で通じた。


東京でアイスランド大使夫妻と食事したときも、アイスランド語を話す大使ともスウェーデン語で話した。


大使の奥様はデンマーク人で 「私はデンマーク語しか話せないわよ」 と念を押されたが


わからない単語が1つあっただけで,会話はスウェーデン語ですんだ。


だから、スウェーデン語しかできないからといって肩身の狭いおもいをするのは不要だ。東北弁をしゃべることを東北の人が恥じる必要のないのと同じである。

その後私は、調子に乗ってドイツ人(日本の大学では私はドイツ文学科の大学院生だったが)ともとぼけてスウェーデン語で酒を飲み交わしたが、私は無論相手のドイツ語はわかるが、相手も私のスウェーデン語がわかって会話が成立していたのだから、 「音」 は文字表記よりもはるかに近いのだ。



イタリア人とは、イタリア語は知らないし、英語ではつまらないからラテン語を使って話したりメモを渡したりしたが、通じた。


日本の受験の英単語集に語源説明をしているものは最近多くなってきたが、
ほとんどが 「英語学の先生」 が書いているから、オックスフォードあたりの語源辞書の説明の域を出ない。
サンスクリット、ギリシャ、ラテン、古いゲルマン語などの言語との関連を知れば、
受験生もずっと納得して勉強できるはずだ。
たとえば、中学1年生が英語学習で最初に出会う this, that, the にしても
なんでみんな th- で始まるのか、
ゲルマンのルーン石碑の時代から北欧神の時代へと
th がもっていたポジションから示してやれば
砂をかむような暗記から少しは解放されるだろう。





外国語学習は、きわめて融通のきくもので、
ファンタジーの世界に遊びながら愉しんでできるものなのである。



日本の若者がこのことに気づく日が、いつか、来ることを願う。



uni



(本記事は2009年3月24日に書かれた.)


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外国語、特に、古い外国語を学習している日本人学生及び教員に告ぐ
- 2014/09/28(Sun) -
スウェーデンに行って親しくなった最初の同級生のスウェーデン人ガールフレンドに言われたのは、

「あなたは古い北欧語がこんなに読めるのだから、(現代の)スウェーデン語ももっとうまくなれる」

というものだった。




私は、日本で、古代アイスランド語、つまり、古い北欧語のなかで、もっとも美しい、エッダ、と呼ばれる韻文を読破していた。
無論、そのための辞書やテクストも多数もって本場スウェーデンに留学したのである。


スウェーデン人学生は、優秀とはいえ、現代スウェーデン語から類推して古い北欧語を考えていたから、

たとえば、召す、と読んで、これは、食べる、の意味だな、などとおもう程度である。


日本で、古代北欧語研究書を読んでいた私とは、正確な知識の層が違うのは至極当然のことであった。私は、クラスを楽勝で見渡していた。ある1人の学生を除いて。そのスウェーデン人の彼女と私の違いは別記事にあるし、今後も書くのでここでは休題。




しかも、私は、本来の専門が古代北欧語よりも格の数も文法も複雑で数千年古い古インド語つまりサンスクリットや古代ペルシャ語、古代イラン語、そして、当然にラテン語と古代ギリシャ語を駆使する印欧語比較言語学だったので、むしろ格が4つの古代北欧語は単純で簡単だった。留学前の日本の大学の学部英文科で古英語、大学院のドイツ文学科で高地低地両方の古いドイツ語も読んでいたので、古いゲルマン語ではいかに北欧最古のウプサラの学生といえども、言語面だけでは私に太刀打ちできないのであった。しかし、──────────────









言語には、ネイティブとそうでないとの違いがある。

私は、あるとき、





スウェーデン語で生活し、スウェーデン語で論文も書き、それでも、もっとスウェーデン語に堪能になるなら、

たとえば、スウェーデン語で小説を書いて売り出すとか、

をするなら、




日本語を忘れなければできはしない、と悟ったのである。








私は、スウェーデン語がいっそう堪能になって、「一スウェーデン人」、となるよりも、


スウェーデン語を翻訳できる 「一日本人」 になろうと帰国した。








私たち、後天的に外国語をいかに秀才的に習得しようが、結局は、ネイティブにはなれはせず、




当たり前の表現しかできはしないレベルなのだ。 それを超えるなら、母国語を捨てて、その国の 「凡人」 としてネイティブになるしかない。






しかし、その一方で、



その外国語の古語ともなると、その現代語から入ろうとするネイティブに対して、私たちは、古語の文法書や辞書を駆使できる余地があるので、ネイティブにじゅうぶんに太刀打ちし、彼らを凌駕することも可能なのである。

私たちよりも、源氏物語をよく知って読める外国人がいても当たり前のようにである。






日本人なら、自分の限界を知って、その中でいかに自分の才能を示すかに努力したまえ。




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