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佐野さん
- 2016/04/26(Tue) -
歯医者に行った


待合室で書棚を見ていて、佐野洋子さんの 『さかな 一ぴき なまのまま』(だったとおもう)の絵本があった


『100万回生きたねこ』 は私のスウェーデン語訳出版先を探しているところだが、


またしても猫の絵本か・・・こうなったら、これも訳してやろうか・・・


などと考えて読んでいたら、途中で名前を呼ばれた.




せっかく1回で治療が終わったのに、


また歯医者に行かねばならない.



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利点
- 2013/11/21(Thu) -
最近、齢をとってうまい言い訳をみつけた




数十年前はもちろん、数年前、いや、数か月前のことでも、

私の行動をだれかうっとうしい者に責められたとき




「あの時は若かったからなぁ」




あとは、笑い飛ばしておしまい、で済む.





いやぁ、いい、トシになったものである.





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年寄りまであと2つ
- 2013/07/16(Tue) -
原題もその英訳ままの邦題 『世界最速のインディアン』 という映画を一度も会ったことのない人からネットを介して勧められたので観てみた。

バイク乗りの話で、主演アンソニー=ホプキンス。

心臓がわるくニトログリセリンを常用し (これは私と同じ) 、時に胸痛にうずくまり (私はそれほどではまだない) 、直線路でオートバイの世界最速記録を出す (無論こんなことは私はできない) ジジイの話である。私はあと2つ為せてもよいものがあるというのか。まいったな。カンタンには死なせてもらえない。
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このまま
- 2013/03/17(Sun) -
死は日常にある。離島では、月に1度くらいは車道で轢死している猫を見る。海岸では、ウミガメの死骸を見る。むろん、魚の死骸もある。知り合いの食肉牛を育てている知人は定期的に業者に牛を渡す。

猫の叫びを聞くと、市役所が設置しているという野良猫捕獲器にまたどこかの猫がかかったのかとおもうが、自分が飼っているものが全員帰宅するともう心配はなくなるのが人情だ。バスや飛行機の事故を聞いても、家族の安否を知れば安心するのが人の心なのだ。

だから、人は 「死」 を悼むのではなく、死によって愛するものと別れることを悲しむのである。

かたや、自分が死んでも愛するものとの別れは起こるが、一度、心筋梗塞で倒れて、一人暮らしの腐乱死体にならないように一応は消防署に電話して倒れていた時と、その後、救急隊に拾われて病院回りをしていた時に死を覚悟したことのある私は、苦しみ自体については、「もう安楽死させてほしいのだが」 と救急隊員に言ったものの、死に伴う悲しみはなかった。突然のそのような時もそうだったから、二度目にそうなってもかわらないだろうとおもう。常に、きょうの午後に人生が終わってもよいように生活の全てを整理してある。

子どものころは、自分が死んで、自分が考えたことが宇宙から完全になくなってしまうことに涙を流したものだったが、やがて、どんな人も、自分を知る他者の存在をもっていることで自分の死を自分の終結とおもう必要がないことを知った。子どもがいる人は子どもがそうだろうし、私のように子どももつれあいもいない者でも、後の時代に残るものを創作していれば自分の精神が残る。私の場合は、翻訳書の 『スウェーデン人』 がそれに当たろう。また、10年前にスウェーデンでスウェーデン語に翻訳したままコンピュータに放置しておいたある日本の童話の翻訳原稿も、先月たまたま版元に原作者の消息を聞こうと電話をしてみたら、新しい担当がスウェーデンでの出版活動を引き受けてくれたから、そうなれば、自分の作業がヨーロッパの家庭にも伝わることになる。別にそうでなくとも、私がつきあった子どもたち、それは、恋人の子どもであったり、勉強をみた子どもたちであったりするが、彼ら彼女らが私の言葉や私との日々を記憶に残してくれたら、全て有限な世界とはいっても、私の痕跡は死後もしばらくは残ることになるだろう。

自分が死ぬことにさほどもはや悲しみを感じないのは、1つには、私は、若いころからいままで、国の内外で、愉しいことをじゅうぶんにやったし、美しい人を大勢知ってきたし、おいしいものもよく食べた、と単純におもっているからもあるが、もっと大きなことは、自分が死んでも、自分が愛するものたちは元気にさらになんとかだれかに愛されて生きてゆくだろう、とおもっているからだ。「自分が愛するものが幸福でいるのを知る幸せ」 は、自分自身の死によってまだ崩壊するものではないのだから。

ただ、いまの私の心情も、私が結婚していず、伴侶も子どももいないから言えることなのだろう。恋人の子どもと暮らしていたころ、私は彼女・彼の平安に心をくだいた。これが 「親」 の苦しみと幸せの本質であろうと、人生の秘密の一端を垣間見た。もしもそのような存在が身近にいたら、私も、きょうの午後死んでもよい、などとは言えまい。一緒に外出していた 「娘」 には、心臓の手術のすぐあとでもあったことから、私が路上で斃れても悲しんだりあわてたりしてはいけない、すぐに近くの人に知らせて、自分でも119番に電話するんだよ、と教えた時の彼女の厳粛に悲しみを予覚した顔はただちに私の深い悲しみでもあった。

――――――

愛するものが存在すること、それが、人生の幸せであるとともに苦しみの源でもある。しかし、人は、愛するものをもつこと、愛することをやめることはできない。人間であることには、苦しみをもちながら他者を愛して生きる以外にありようがないのだ。

k



(09.11.07.記)


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自己を迎えに
- 2010/07/05(Mon) -
みる夢さえくだらない

低俗だ

自分の頭の中に呆れる

私の理想はどこにある

あるいは、

繰り返しみる夢は、知らない砂漠の町の景色ばかり

これが前世の記憶というものなのか

私ももうおわりか

これを書こうとコンピュータをつけると

時刻4:44

他人の子どもの頭脳の世話をやくことが私の求めるところだったか

大学研究室も、企業の机も、そうではないとおもえたが、いまもまだ、未だ、それを私は知らぬのか

いや、ほんとうは知っているのだ

ただ、そこに懸けられないだけだ

だが、もう時間がない

すべてを捨てて、それしかなかろう

そこにゆくしか、もはや、自分の生を全うするすべはない.



w



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病院にて
- 2010/05/11(Tue) -
仕事前に病院に行った。

病んでいる人々がいた。 
若い医師は闊歩していた。
見舞いの子どもは走っていた。 
それらを見ている私は、

老いてはいないが 若くはなく

社会に通用する体力はあるが 病をもち

安楽を知っているが 1年後の自分の生を想像できない存在だ。



老人が、受付で、電話受付の応対の不適切を怒鳴り叱っている。
老人の言葉は無駄がなく、理屈は要を得ている。 達者だ。






若き王子の釈尊は、庶民の生老病死の苦を見て出家したと伝えられている。

立ち止まって若さと安楽な生活を享受していなければ、老いや病の恐ろしさを感じまい。

それゆえ、子どもや若者、老人や病人は、生の崩壊の恐ろしさを感じまい。

この点で、仏伝の記述は、子どももでき、家族のもたらす幸福を知った「王子」 釈尊の感情に正確だった。

出家時の釈尊の年齢は歴史的に定められているが、古代の寿命も考えると、相対的に、いまの私に近い年齢だったことだろう。

私は・・・・・・、

あの老人ほど老いていなくとも、病あり元気なく、

それでいて、崩壊する肉体がもたらす苦悩の恐ろしさを感じたのである。
心筋梗塞で倒れて1か月以上入院していたときには感じなかったものを。

しかし、その対象は、いまやかなり親密になったものなのだが。



f


(本記事は筆者旧サイトにおいて2005年に書かれたものである.)


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死の自覚 (K29同窓生へ)
- 2010/04/21(Wed) -
昔の友たちよ、私たちの友の中には、既にこの世にいないものもある.

諸君たちは、死を間近に感じたことがあるか.半世紀生きたから、そいういう経験もあるかもしれぬ.


無論、生きていれば、ひやっとする瞬間というものは幾度もあるだろう.


海に遊びに行って溺れそうになった時とか、クルマを運転していて衝突を感じた時とか、・・・である.


私も、たとえば、大学で器械体操をしていて、鉄棒の演技中で手が離れてマットに飛んでいった時とか、

その後、二十代で急進的な社会人山岳会に入って、ノーザイルで岩壁に張り付いていた時とかには、

死ぬかもな、とは、光よりも早く脳裡に意識が走った.



しかし、そういったのは、死の意識が伴わない.

死ぬ、ということがはっきりと眼前に確かに意識されていなければ、「死を思った」 とは言えないだろう.



私は、そうしたことが人生で、2回あった.


一度は、二十代に、上記の山岳会で谷川岳に行った折、私だけが雪の中に滑落して、捜索もされずにいた間である.


悲しかった.  ただ、それだけだった.


もう一度は、5年前に心筋梗塞の発作で倒れたときである.


携帯電話で救急車に居場所を告げて倒れていたあと、搬送される間はまだどこかに余裕があった.


しかし、病院をたらい回しにされているうちに、いよいよ苦しみが強まり、

「もう、安楽死させてくれないか」 と救急隊員に言った時には、

人生に乾杯して逝こう、という気になった.


だが、人によると、死ぬ間際というのは、そんなものではないそうだ.


死ぬ間際の心身の苦しみは 「断末魔」 という単語があるように、相当なものだそうだ.



―――――― どう思う、昔の友よ



数ヶ月前、私がエサをやっていた野良猫の子どもが家の前で血を吐いていた.

クルマに轢かれたか、なにか害虫除けの毒エサを食べたか

私は、それから、その、もはや歩けぬ子猫を1か月屋内で育てた.


最後に息を引きとる時、子猫は、いっそう、いかにも苦しそうにあがいて、そうして、脱力した.





死はいまもそこにある.


私たちは、避け得ないし、また、それについて語ることもできない.


厳粛、という言葉では足りぬ


死は、ただ、いまも、そこにある



k



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老いに向けて 〔K29同窓生への新年の挨拶〕
- 2010/01/02(Sat) -
身の回りに十分な調度をそろえていても
脚腰痛で動き苦痛ならば、ちっともうれしくない

愛すべき小さい者たちが身の回りにいても
その健全な成育を自分が達成できる能力に翳りあるならば、哀しさ生ず

後のブッダであるシッダールタは、自分の息子に 「障碍」 という意味の名前をつけた



「老い」 は苦である、とは、かつてブッダが闡明したことであるが、
そんなことは年寄りはだれでも知っていることだとも言える.

しかし、そう、はっきりと言えたことにブッダの功績がある.それは、現代に至るも同じだ.




「自覚する」 ということ、もしくは、ブッダという言葉の原語の意味のままに 「覚醒し了る」 こと

生きていれば、人はなかなかそれができない.


目覚めていれば、今日の仕事、家族の食事、諸々の責務、自分の身体の用事・・・
それで、だれもがわかることが、だれもにも考えられることが二の次にされる



老いてもなお生きるには、
それが、苦の集まりばかりだとしたら、芥川の選択を私たちは肯首するしかないが

覚醒して生きる、そして、

これも老いの現実だと納得して生きる、そして、

年経たればこそでき、言えることを周囲に及ぼす



同窓生たちよ、私たちも、もう、そんな年齢に近づいたのだ.


s





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忌野清志郎 死去の報で思い出したこと
- 2009/05/03(Sun) -
私の世代は彼の活動始めから知っているが、ここは彼について書くのではない.



私が三十代に、会社の親しい者たちと花見に行った夜、
カラオケで彼の 「雨あがりの夜空に」 を歌った男のことだ.



会社説明では、彼は酔って線路を歩いていて列車に轢かれた、ということだった.



彼は若くしてある新規プロジェクトのトップのひとりに抜擢されたが、
それは所詮、先のない、主流からはずれた事業だった.
そして、それは予想をこえた失敗におわった.
彼の轢死はその直後だった.



彼の妻はただ嘆き、
彼の同期は、あそこは歩いて帰る場所でも方向でもない、と言い、
父親は妻のこれからを心配していた.


カラオケでは沢田研二の 「サムライ」 しか歌わなかった私はもう1曲歌うものがふえた.



ただ、あれは、みんなが笑って手拍子するのがなじめない.
レクイエムは静かに聴くものだ.



s
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喪家の猫
- 2007/02/22(Thu) -
葬式で人々が出払った家で猫がないている.いつまでもないている.

katt

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