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国民性による考え方の違い
- 2006/07/12(Wed) -
昨夜、インド人二人とインド料理屋に行って、支払いのときに彼らの一人が払いそうにしたので、私がこの国の人間として払おうとしたら

ここは彼が払う。そして、払うのは 「一人」 でいい。一緒に食べたのだから、払うのは 「一人」 いいのだ。割り勘にしたら、「一緒に食べたことにならない」。

ともう一人のインド人が言った。

彼らは、故国に、自分の子ども以外にも養っている子どもが十数人いると聞いた。


スウェーデン人―我々は、いかに、また、なぜ』(イリス ヘルリッツ原著) によれば、スウェーデン人が7人でバーに行き、だれかがみんなに1杯ずつビールをおごったら、おごられたスウェーデン人は、7人分払った者と自分の負担を同じにしたいと全員が考えるから、結局、彼らは、「これはおれから・・・」 と各自が言うため、各自7杯ずつ飲まねばならなくなり、支払いも公平に各自7杯分で落ち着く、と書かれている。
スウェーデンでは、この 「自分の分担は自分でまかなう」 という意識が確立しているから、福祉も、教育の機会均等も実現しているのだ。


日本では、どうだろうか?
私がスウェーデンで知り合った女性はかつて日本に留学していたが、彼女はよく日本人男性に食事に誘われ、そのたびに男性が自分に 「おごろう」 としたことに、

-なんであんな無駄なことを日本人はするの?

と私に多少皮肉っぽい笑いとともに言ったことがある。
スウェーデン人(スウェーデンにいる人間がみなここでいう 「スウェーデン人」 ではないことは上掲書にある.我々からみたら同じ西洋人でも、「移民」 はネイティヴなスウェーデン人とはまるで違う国民性をもっている)は、恋人にさえ、おごるのは普通の行為ではない。


考え方が異なることで、どちらがどうおかしい、ということはない。
問題は、違いを知った上で、より深く彼ら彼女ら異文化の担い手とつきあえるかどうかだ。
それでどうなるか、って?

だって、愉しいじゃないか。
 
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