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Christian Kampitsch
- 2017/05/02(Tue) -
私は、スウェーデンのひと冬、毎朝新聞配達をした年がある。
留学した最初の冬だ。
こごえそうな北欧の冬も、スウェーデンの二大紙と地元紙をかかえて雪をけちらしてポストからポストへ、建物の中はまず最上階にエレベーターで上ってから(ひとときの暖と休息!)一気に階段を走り降りながらドアからドアへと新聞をつっこんでいくと、終わったときには汗みずくになっている。

そして、汗が冷たくなる前に帰宅してシャワーを浴びないと・・・・・・たいへんなことになるわけである。

私は、別に金に困っていたわけではなかった。文部省からの奨学金を節約すれば生活はできた。

言語学科が希少な日本でドイツ文学科の大学院にいた私は、北欧では本来の比較言語学を専門にしていたものの、日本に帰ったらドイツ語の教師になるしか道はないとおもい、スウェーデン人がどんなふうにドイツ語を勉強しているのか見ておこうと教室をのぞいたときに、後に親友となる男と出会ったのである。

彼の姓は、Kampitschという。後半の綴りからわかるように、ドイツ系の名前で、片親はオーストリア人であった。

彼、カンピチ については、今後、たびたび私のブログに出ることになろう。

そう、きょうは、新聞配達のことだ・・・

彼は、いつも教室の後ろで鉛筆を噛んで授業とは無関係の本を読んでいながら、急に教師と論争を始めるような学生だった。少なくとも、北欧最古の大学である。しかし、彼の高踏的な態度と、それを許し、彼との教室を縦断しての論争を愉しんでいる教師ともども、日本の大学にはない、真に自由な学問の場の所産だった。

そんな彼は、優秀なのに午前の授業に来ないのである。それは、就学補助金をもらいそこねたために新聞配達をしなければならなくなり、それで、習慣上徹夜で勉強したあと働いて、毎朝疲労しきって、午前中起きられない、という悪しき循環を起こしていたからなのだ。

私は、授業をおもしろくするため、彼を教室に呼ぶべく、彼の仕事を手伝うことにしたのである。

無償で? 無論だ。しかし、私にも、密かな代償はあった。
私は、スウェーデンに行って3か月で日常のスウェーデン語は使えるようになり、学術的なスウェーデン語の論文を直してくれる先生も大学がつけてくれたが、若者間の語彙や隠語はなかなか学びようがなかった。

しかし、そんなカンピチとひととき夢中で何かをやれば、きっと、教室では教えてもらえない口語表現に習熟できるだろう、と私は考えた。

・・・そして、事実、その通りになったといえるだろう。

そうして、単に、スウェーデン語学習以上の成果として、彼カンピチは、私にはかけがえのない友となり、私のピンチをその後幾度となく救ってくれることになる。彼は、いまや、かつて熱烈に片思いをしていた女学生と結婚し、子どもの写真をインターネットで送ってくれるようになった。


追記:当時、我々が愛した、ウプサラ大学ドイツ語学科の文法・作文の老教師Kennethが、私が帰国してから亡くなった。ここに、あらためて、すばらしい時間をくださったことに感謝を捧げる。

(本記事は筆者旧サイトにおいて2005年に書かれたものである.)





そして、また最近、二人目の娘の写真も来た.


Agnes と Sonja が、私がスウェーデン語訳した日本の
『100万回生きたねこ Katten som levt miljoner gånger』 を読む日が
いつか来ることを願う.

(2010.7.11.記)






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あるスウェーデン人女性友達の記憶
- 2017/02/24(Fri) -
(本記事は、2007年1月26日、沖縄に来る以前、東京で最後に書かれた)


先々週末から今週初めまで入院していた。脳と右目の機能を失うところだったが、まだ頭痛と眼の傷があるだけで、一応は生活している。

右目が見えなくなります、と医師から言われたとき、学生時代に、最も信頼しあった、簡単に言うと、たぶん恋人だった彼女とした会話を思い出した。

-身体の機能を失わなければならないとしたら、どこなら許容できる?

目、かな…

-ぼくは、脚かな。目がなくなっちゃ、勉強できない。

愚かな会話だが、当時の、若さを謳歌していた私たちは、それを一部でも失うことがたまらなく恐ろしくもあった。

しかし、彼女なら、盲目でも美しいだろう、と当時の私はおもった。



それから、スウェーデンに行って、盲目の娘と出会った。長い金髪に端麗な物腰のKajsa(カイサ)は、私のかつての恋人と気性も外見もよく似ていた。ただ目が見えないということを除いては。

いつだったか、学生寮の建物全体のパーティで、私が親友の部屋でKajsaと話していたら、酔った男がその女友達をつれて入ってきて、私の親友のベッドでことを始めようとした。酔ってきゃぁきゃぁ笑う女の子をベッドに押し倒して、彼もその上にまたがったときに、部屋の持ち主の私の親友が入ってきた。

彼は、極めて気のいい奴なので、「いいよ、ベッドは好きに使いな」 と言ってすぐに出ていってしまった。

しかし、初めから部屋にいた私とKajsaは、ベッドから男が 「出て行け」 と言っても、出ていかなかった。Kajsa は無言で座っていたし、私は腕を組んでベッドの2人を凝視してやった。


私と男が、互いに腕ずくでも、という構えでやりとりしたのち、やっと男は諦めて、これもしらけてしまった女を連れて出ていった。



その翌日、みんなでお茶を飲んでいるときに、Kajsaが唐突に口を開いて、私とその男がいかに滑稽な理屈で言い合いをしたかを、声音も2人ぶんつくって再現してみせた。当の私さえ覚えていないセリフまで。私も含め、みんなが爆笑の連続だったことは言うまでもない。




とびぬけた記憶力の持ち主だった彼女は、ウプサラ大学でも優等生だった。生まれつき全盲の彼女は、人間の姿を 「見た」 ことはないのに、私たちが性行為の話題をすると、くすり、と笑ったりもした。彼女の頭脳世界は神秘だ。またいつか逢っても、だいじょうぶ、きっと彼女は何十年たっても私を覚えているだろう。

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ウプサラ大學の空気
- 2017/01/18(Wed) -
スウェーデンの、最高学府にして北欧最古の大学、ウプサラ大學の学部・大学院の教室には

よい先生が導く小学校の教室のような

自由で明るく、ただ、学ぶことを愉しむだけの空気が横溢していた.

特に著述はなくとも、その学識は日本のどんな研究者も及ばぬであろう老教授、

彼は、私が目指した、「どんな言語の単語も、語源から音韻法則に正確にのっとってその成り立ちを説明する頭脳」 をもっていた.
そんな叡智の数々を、彼は、まるで、茶飲み話をするように、さらりとこともなげに語ってすましていたものだった.

私の親友だった Cristian Kampitsch はいつも教室の後ろの席で椅子を後二本脚でゆらして鉛筆を噛みながらニーチェを読んでいた.授業は、ドイツ語文法学・ドイツ語翻訳の時間である.
そして、教師になにかつっかかかりたいことがあると、いきなり立ち上がって、教室を縦断して教師と文法論を戦わせていた.
教師 Kenneth も、そんな彼の挑みを喜んで受け止めていた.

――――――

日本の大学院には、授業に出るのにも、この先生の授業に出ていればどこかの大学に就職を紹介してもらえるから、
という理由だけで出ている者が、私がいた頃の早稲田大学旧ドイツ文学科にはうようよ、いや、私の周りはそんな人間ばかりだった.
留学するにしても、ハクつけのため.帰国してからの就職のためで、その国で本当に鍛えようなどとは思っていない者たち.留学中1年間部屋から極力出ないで、趣味の楽器の練習とコンピュータ遊びをしていた云々.


「世界の~」 という呼称は日本ではいまは、映画監督やお笑い芸人の専売ではない.ちょっと外国に論文があると、自分を学生に 「世界の○○」 と呼ばせる大学教授までいる.


私がスウェーデンで出あった先の老教授は、世界の、というか、歴史的な先生だったが、定年になり、私の申し出を微笑んで断って独りで自分の書籍を台車に乗せて学部長室を去って行った後姿は、真に、偉大な人のそれだった.

――――――

日本人もノーベル賞をとったりすることもあるから、
日本の政治家も学者も、自分たちは世界に伍しているとおもっているかもしれないが、

日本人の大多数の大学人および企業の管理職クラスの真の向上心のなさ、世界視野での善への希求心の欠如は、いまは陋習となっているといってよい.



この国が、いつか本当に世界の国々と、その精神性のゆえに肩を並べることができる日が来るのか.


それは、もしかしたら、一見この国のエリート層・上級生活者たちのように自認している者たちの力ではなく、

民間の、名も無いような人たちが、一人ひとり海外で真によき活動をして、
その国の人々に評価され、
日本人のイメージが変容し、かつ、
そうした無名人の生き方を国内でも評価できるような、
そんな土壌ができてからのことになるのかもしれない.


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(09.02.10記)
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他の生き物とともに生きる
- 2016/11/01(Tue) -
スウェーデンでは、動物と暮らしていた友人が多かった.

私の隣のニーナは、ハツカネズミを飼っていて、私の猫とよく遊ばせていた.

大型犬を散歩させている人々は、まずたいていリードなしだった.

私の猫は、そんな〈自由〉な犬とすれがっても、ほえられたことさえなかったし、犬を恐れてもいなかった.

犬の調教が、広い国であるにもかかわらず、しっかりしているのだ.

私の猫は、マーケットの前で、そんな犬に混じって私を待っていたものだった.

廊下のつきあたりのロッタは、1メートル以上のコモドオオトカゲを飼っていた.

(以上、ペット禁止の学生寮でのことである.そういいながら、外国人学生を管轄する部署の長のところには、私の名前のファイルに、私の飼い猫の写真<私が所員のだれかにメールで送った>がしっかり保管されていた.あたたかい.)


猫の競走相手のリスは無理としても、ビルの周りに徘徊しているハリネズミを、猫の友人に飼おうとしたら、獣医から 「スウェーデン人なら、そんなことしないぞ」 とつまらなそうに言われた.

いわば、保護動物で、そんなことはいけないことなのだが、その獣医の言い方も、スウェーデン人らしいといま思い出す.

生き物を大切にするのは、弱者と環境にやさしい彼らの国民性には当然のことなのだ.

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(2006.8.22.記)


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Love is in the air ─ 地球で最も恋愛に純粋なスウェーデン人の恋愛風景を示す映画
- 2016/10/07(Fri) -
と言っても、スウェーデン映画ではありませぬ。



題名は、



Strictly Ballroom



ここには、



肉体鍛錬、


蔑視、


愛情、


ニンゲン関係の勝負を超えたもの


などが描かれている。





これを、コリドー住まいの12人のスウェーデン人たちと観たあと、我々はみんな、手近にいた者男女問わず抱き合って





Love is in the air



にあわせて踊ったものだった。




わかってくれたまえ、若い日本人たち、恋愛の無辺さと豊穣を
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あるスウェーデン人女子学生の記憶
- 2016/08/24(Wed) -
知り合いから紅茶をもらい、たまには飲んでみる気になった。
ティーバッグをあけた瞬間、スウェーデンで出会ったある女子学生を思い出した。


私と彼女は、北欧の観光名所でもある、ウプサラ大学中央図書館で終日勉強していた。
指導教授の計らいで図書館に自分の席があり、
それを規定日数使用することが義務付けられていたからだ。


私たちは、休憩のときに、図書館内のカフェでよく落ち合った。



ともに決まった奨学金で生活していた私たちは、日々倹約に努めていたから、
カフェでも、菓子類は頼まず、お茶だけを飲んだ。
無論、お茶もたまに、である。
普段は、自分でもっていった保温ポットとバナナでカフェの外のカウンターにもたれた。



カフェの中の 「紅茶」 は、ティーバッグを1つ買うことになる。
それにポットのお湯を注ぐだけだ。砂糖とお湯はいくらでも使える。


彼女は、飲み終わったそのティーバッグを、大事そうにティッシュにつつんでカバンに入れた。



当時の私は、つつましいがおしゃれな彼女が、
自室でその紅茶の葉を乾燥させて何かに使うんだろう、くらいに考えていた。



しかし、いまおもうと、そうでなかったかもしれない。



彼女は、1杯のお茶も倹約しようとしたのかもしれなかった。





その後、彼女は、ロンドンの商社に就職が決まって故国をあとにした。



その彼女の名前は、  もう覚えていない。



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(本記事は、2008年11月18日に書かれた。)
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時間厳守
- 2016/08/10(Wed) -
私は、つきあう人々には、ヨーロッパ流の、つまり、スウェーデン人流の

「時間厳守」

をもとめる.



「9時に」

と約束したら、約束の場所に行くのは、8時59分か9時ジャストである.相手もそうあるべきだと考えている.

スウェーデンの吹雪の朝に、いっしょに登校する友と街角で待ち合わせするときに、数分でも待てないし待たせるべきではない.



時間厳守は、相手へのおもいやりなのだ.



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動物と
- 2016/06/05(Sun) -
欧米人は、


家で飼う動物もニンゲンと同様に扱う.





スウェーデンでは、



マーケットの外に、鎖なしの大型犬が飼い主の買い物を待っているのがふつうだった.





私が、猫の散歩に歩いても、



同じく、リードなしの大型犬の散歩をする人と道路で行き交っても、



その、リードなしの大型犬も私の猫に吠えず、



私の猫も大型犬におびえず、



ふつうに行き交うことができた.





日本で、これができますか?




これが、



日本とスウェーデンが代表する欧米との違いです.



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ハグ
- 2016/06/05(Sun) -
欧米人は、ハグ をよくする


親愛の情や、


がんばってほしい、という気持ちや、


しばらく会えないね、という感情を示すために.







日本人は、その習慣がない、ばかりか、いらぬ方向に勘違いする.






世界を知るべし、日本人.



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切腹
- 2016/05/22(Sun) -
むかし、スウェーデン人の友人に、「切腹ってどうやるの?」
ときかれたことがある.




ヨーロッパでは、ノーベル文学賞をとった川端や大江よりも三島のほうが知られている.




切腹もそのことから関心をもたれているのだと当時の私はおもったが、




「知らないよ。第一、したこともないし、私のまわりでした者もいない。というより、いまの日本では切腹はしない」
と答えるしかなかった.

質問者も、なんだつまらない、とでもいうような顔でそれきり切腹のことは話題にならなかった.






ところが、最近、


赤穂浪士の四十七士の仇討ちに妖怪をからめて西洋人を主役にした映画をたまたま観た.




そこで、四十七士は、罪人であるところを、処刑ではなく、サムライとして名誉ある死である切腹を許される場面があった.

切腹は、武士の美徳を完結する行為だった.





件の私の友人も、単なる好奇からではなく、




日本文化の象徴とも言える切腹について知りたかったのかもしれなかった.




ちゃんと答えられず、すまないことをした. しかし、知らないことはいまもかわりない.


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