重陽の節句に祝う
- 2017/09/09(Sat) -
(本記事は08年のこの日に最初に書かれた.)


今日は、9月9日、重陽の節句であるとともに、

私が、研究者として最も尊敬するある先生の誕生日でもある。



私は、これまで、国の内外で数多くの 「先生」 に出会ってきた。

どの 「先生」 の感化も私は受けてきたが

またどの先生にも、いわゆる、欠落している部分があったものだった。



世界的に認められているある教授は、私はそのために日本に戻ってきたのだが

指導している私の学位論文の一節を自分の学会発表に使って 「ごめんね、使っちゃった」 と笑った。

女性の助手と出かけて、学生の面談時間をすっぽかしても平気だった。



温厚で人当たりのよいある教授は、
自分が大学院教授になるために、先輩の業績のあら捜しにやっきになっていた。



太っ腹、鷹揚を売りにしていた教授は、
私がその専門言語を 「サンスクリットに比べたら簡単だ」 とそのお弟子に漏らしたら、

私のサンスクリットの先生であるこの先生に私の頭脳人格を全否定する電話をかけてよこしたという。



このように、大学教授といってもくだらない人間を挙げればきりがない。



しかし、私が影響を受けた 「先生たち」 の中では、

きょうのよき日に誕生日を迎えられる先生は、

その先生をも批判する人はもちろんいるが、私には

だれよりも学問に厳しく、だれよりも公平無私の人だった。



この先生と、ウプサラ大学で私が出会い

スウェーデンに私がいた間に定年になり、その後亡くなられた古ノルド語の教授は

それぞれ、私が理想とする人格と頭脳をもっていらした、ということで

私にとっては、最も尊い 「先生」 だといえる。



人生の一齣一齣は一回きりしかないものだが


私は、このお二人に出会えたことで、

自分の学問生活は満ち足りていた、といえる気がする。


彼らとの出会いもまた、私の財産、私が生きたことに感謝して死ねる理由のひとつである。



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授業参観
- 2017/08/11(Fri) -
(本記事は、私がスウェーデンから博士論文を出す目的で帰国して滞在していた仙台の東北大学時代の生活である.それは、2001年の冬のことだ.私が当たり前視していた 「血の繋がらない者どうしの家庭」 風景の一齣である.)



当時、私は長髪を後ろで結わえ、きたないジーンズ・Tシャツ・革ジャンだったが、アキラの母は小綺麗な女だった。
父親が来ていたのは2~3人だったが、そんなこと、私は気にしない。
第一、私は、アキラの父ではない。
アキラは私を、私の下の名前に「さん」をつけて、母親がするのと同じ呼び方を私にしていた。
家に遊びに来る友人が私を「アキラくんのパパ」と呼ぶたびに、アキラは「パパじゃないの、○○さんなの!」と訂正していた。
私も、「きみのパパは世界で一人だけ」と教えていた。

授業参観のテーマは「得意なもの発表会」だった。
アキラに得意なものなんかあるのか、何かを練習していた形跡さえないぞ、と私は、アキラの母親とかなり心配になって教室の後ろの母親たちの群れにうもれていた。
みな、ウタ歌ったり楽器を奏でたり、掛け算九九の暗誦、とか、フラフープ、とかをしていた。
果たして、アキラは…
アキラの番になり、彼は、「さかだち」だった。
なんて地味な……、と見合す私とアキラの母親の顔に縦線が入った。

先生が彼の足をもつようで進み出た。
するとアキラは大声で母親たちの中にいる私を指差してきっぱり言った。
「先生じゃだめ。○○さんにもってもらいたい」

先生は当惑。
いや、それよりも当惑したのは母親たちだった。
普通、自分の父親なら「お父さん」とでも呼ぶだろう。では、この、参観日に来ている長髪の男は、いったいだれなのか、お母さんの愛人なのか…(ま、それはそれではずれではないのだが)、といったどよめきが教室の後ろを占めた。

私は、「よしきた」と進み出た。アキラの母親が私の腕をつかむ。

先生も、特定の父兄を前に出したくないのだろう、私にとまるように目配せした。
再度アキラに「先生じゃだめなの?」と尋ねる先生に、アキラは、「○○さん」と繰り返した。
3度目の先生の申し出に「じゃあ、先生でもいいよ」とOKを出すアキラ。
彼は、先生に足を持たれて、倒立腕屈伸を10回やった。
家で私がしている真似をしたのだ。
母親たちは、逆立ち腕立てを10回したアキラに賞賛を送ったが、私は、私を指名してくれたアキラに心から感謝した。

授業あと、アキラの同級生の女の子のかわいい子の名前をチェックすることを私が忘れなかったのは言うまでもない。

それからしばらくして、テレビ月9の「人にやさしく」で、香取と松岡と加藤が主人公・明の授業参観に行く回があった。
やつらも、明の同級生のかわい子ちゃんを見つけて大騒ぎしていた(松岡などは、美しい母親を口説いていた)。
それでアキラと彼の母親に私がまた笑われたのも言うまでもない。


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機械のバカさ、ニンゲンの成長伸びしろ
- 2016/12/17(Sat) -
コンピュータもタブレットも、所詮は機械である.



ニンゲンの頭脳の速さにはかなわない.





それは、




大昔の、リグヴェーダの時代の民も知っていたことなのに.






コンピュータよりスマホ・タブレットより、自分の頭脳のほうが優れている、とわかるニンゲンがでることが、





次の世界の再発展の時だろう.


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ショーケンからの便り
- 2016/08/22(Mon) -
『前略 父上様』 というドラマがあったのを知っている。



二宮、という若者が主演していた。




それに出ていた八千草薫が出ていた、本家(とも言うべき)



『前略 おふくろ様』 という、



私が、高校二年生のころに教室で三枝や宇都宮たちと熱狂していたドラマを観ることができるかとようつべをみたら、
簡単に観ることができた。






ショーケンは、



やっぱり、



よい俳優だったとおもう。










私がスウェーデンにいたころ、日本の、クロサワ作品の次にやたらテレビで放映していたのが、




『ブラックレイン』 という、日米のヤクザ映画だった。 4年間で3回テレビにかかった。





松田優作の鬼気迫る演技が、日本人の新たな側面を世界に知らしめたと言える作品だ。




彼は、その演技のために、奥歯を全部抜いて頬を一層こけさせて凄みを出したことは有名だ。







そして、あまり言及されていないことだが、






松田優作が主演に抜擢される前に、





国際的なオーデションがあり、





松田優作のほかに、ショーケンと、小林薫が応募していたことも知られている。





小林薫は、『深夜食堂』 で、このオーデションにおちた借りを返せた。

あんな食堂は、私の母校のあった新宿区にあったようにおもう。



そして、ショーケンも、松田優作に敗れ、『ブラックレイン』 の主役を逃したが、



『前略 おふくろ様』 を40年ぶりに観て、





ショーケンの 『ブラックレイン』 も観たかったとおもう、切に。








ヒトの世界では、





地位も、 受賞も、 評判も、


みな、



他のヒトが、ヒトに与えるものである。






むろん、




その称賛価値にふさわしいヒトがそれを受けることもあろうが、





そうでないことも少なくないことは、すでに、みなだれでも知っていよう。







『ブラックレイン』 の主役を逃したショーケン、


そして、その後、スキャンダルにまみれたショーケン。







しかし、彼の、人生は、



逃した主役の座や、汚れたスキャンダルで、台無しになるようのものではない。






どんなヒトの人生も、





一度の敗戦や、時折の不評判で、すべて抹殺されるべきものではない。







一つでも輝きを残したならば、



その故で、そのヒトは、 


称賛され、 後世に語られるべきものなのだ。




美しいもの、素晴らしいもの、高潔なもの、神聖なもの、



それらを、



ヒトは、



憎しみとか、嫌悪感で、簡単に忘れてはならないのである。




ショーケン

(2015.9.3.記)

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難あればそれ集中
- 2015/09/07(Mon) -
ヒトが、自分自身を理解しないこと とか



ヒトが、私には明らかなことも見えないでいること とか



ヒトが、自分や他者に害意あるいは排除攻撃意思をもっていること とか



ヒトが、周囲とのかかわりで我利のために何事かをニグレクトしていること とか






そのようなことどもは、


ヒトの習性として当たり前なのであり、私が他人をそう観ずるように他人も私をそう判じているはずであり、







大事なこと




私がなすべきこと は






それらを超えて ヒトとのかかわりを だれももう愚かにならないようにまとめることを目指して頭脳を使い努力すること なのだ








というようなこともようやく 60近くなってわかる夏のおわりごろ.






無垢な野良子猫さえ憎んで排除し叩き殺そうとするニンゲンがいるのがこの世.





しかし、街猫たちの 美しさは 不変.





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弟葬儀帰途羽田にて(iii)後裔
- 2015/06/22(Mon) -
私は、

自分の子どもみたいなもの? はいるが、

人生で一度も結婚しなかったし、実子もつくらなかったので、

このままでは実家の墓の守り手がなくなる、ということが明白に。


私に、嫁をとれ、という叔父叔母たち。

いったい、どうしろ、と・・・・・・


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弟葬儀帰途羽田にて(ii)中村なら
- 2015/06/22(Mon) -
こんなとき、

そういえば、あの中村が葬儀の導師だったら、どんな仲裁案をだしたのだろう。

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弟葬儀帰途羽田にて(i)分骨?!
- 2015/06/22(Mon) -
沖縄県庁の仕事で、死者の土地財産の所有権の整理をしていた頃、

いかに一族きょうだいといえども激烈な争いをするか見てきた自分だったが、

まさか弟嫁が葬儀の時にあのような欺瞞と裏切りを行うとは。

こちらの親族と嫁側の親族との完全な対立で葬儀終了。

亡き弟は自分の娘たちや嫁の態度考えをどうおもっていることか。

これも当たり前の世界なのか。

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ナカムラへ
- 2014/05/02(Fri) -
私信です。ですから、ナカムラ以外は読まずにください。






ナカムラ、元気か。





元気で、  飲んで、   くだらないことを言い散らし、   多数に愛され、    少数に嫌われ、





相変わらず、私としたように、





昼からニンニク臭いラーメンを食って周囲に顰蹙かっているか。













きみは、私の数少ない友人の一人だった。  








だから、いまも、私の友人だ。










変わらずいてくれたまえ。  








私より若いんだから。










もしも、





飲みすぎで肝臓をこわしたとかなら、かわいい奥さんでももらったろうから彼女に下の世話まで頼れ。






もしも、もらった奥さんがはずれだったら、まぁ、  遊べ。









もしも、論文がどうのこうのだったら、







私を参考にして、







・・・・・・






あとは、自分で、決めよ。









じゃぁな、  いろいろありがとう。    元気で。







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ターミネーター
- 2014/04/08(Tue) -
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『ターミネーター2 』
これは、「家族愛」の映画だ。いや、私とアキラとその母親との暮らしでは、少なくとも、まぎれもなく、我々のあり方の手本だった。
快活だが、いわゆる元「良家の子女」だった彼女は、このアクション映画が「好き」というのではなかったが、それでも、何度私が観ていても、一緒にしっかりと観ていた。未来の人類の救世主となる息子を守るヒロインと、離婚してアキラを守る自分をどうしても重ねていたのかもしれない。

私は、そんな二人を守るターミネーターになりたかった。
が、こわれてしまった。


そしていまは、廃物利用され、スターウォーズのR2-D2のようになって、もーと過ごしている。それでも、それなりに努めながら。



(本記事は2006年2月18日に書かれた)



きょうまた、この映画を観た。

私の感はこの記事の最初のときのままだ。


しかし、もーはこの春から大学生になった。アキラも学生をしていることだろう。彼の消息は知らない。



私が自分の命よりも愛したこの二人の、私とは血の繋がらない子どもたち ────



私とその子らがいま一緒にいようとそうでなかろうと、それは重要ではない。




私とその子どもの間にあった感情は、私とその子どもにしか記憶されないし遺らない。たとえ、母親や祖父母でも、それはわかりようがない。





私は彼と彼女に何を遺したか ────



確かなことは、私は、彼と彼女を、ほんとうに愛した、ということだけだ。




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