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授業参観
- 2019/07/31(Wed) -
(本記事は、私がスウェーデンから博士論文を出す目的で帰国して滞在していた仙台の東北大学時代の生活である.それは、2001年の冬のことだ.私が当たり前視していた 「血の繋がらない者どうしの家庭」 風景の一齣である.)



当時、私は長髪を後ろで結わえ、きたないジーンズ・Tシャツ・革ジャンだったが、アキラの母は小綺麗な女だった。
父親が来ていたのは2~3人だったが、そんなこと、私は気にしない。
第一、私は、アキラの父ではない。
アキラは私を、私の下の名前に「さん」をつけて、母親がするのと同じ呼び方を私にしていた。
家に遊びに来る友人が私を「アキラくんのパパ」と呼ぶたびに、アキラは「パパじゃないの、○○さんなの!」と訂正していた。
私も、「きみのパパは世界で一人だけ」と教えていた。

授業参観のテーマは「得意なもの発表会」だった。
アキラに得意なものなんかあるのか、何かを練習していた形跡さえないぞ、と私は、アキラの母親とかなり心配になって教室の後ろの母親たちの群れにうもれていた。
みな、ウタ歌ったり楽器を奏でたり、掛け算九九の暗誦、とか、フラフープ、とかをしていた。
果たして、アキラは…
アキラの番になり、彼は、「さかだち」だった。
なんて地味な……、と見合す私とアキラの母親の顔に縦線が入った。

先生が彼の足をもつようで進み出た。
するとアキラは大声で母親たちの中にいる私を指差してきっぱり言った。
「先生じゃだめ。○○さんにもってもらいたい」

先生は当惑。
いや、それよりも当惑したのは母親たちだった。
普通、自分の父親なら「お父さん」とでも呼ぶだろう。では、この、参観日に来ている長髪の男は、いったいだれなのか、お母さんの愛人なのか…(ま、それはそれではずれではないのだが)、といったどよめきが教室の後ろを占めた。

私は、「よしきた」と進み出た。アキラの母親が私の腕をつかむ。

先生も、特定の父兄を前に出したくないのだろう、私にとまるように目配せした。
再度アキラに「先生じゃだめなの?」と尋ねる先生に、アキラは、「○○さん」と繰り返した。
3度目の先生の申し出に「じゃあ、先生でもいいよ」とOKを出すアキラ。
彼は、先生に足を持たれて、倒立腕屈伸を10回やった。
家で私がしている真似をしたのだ。
母親たちは、逆立ち腕立てを10回したアキラに賞賛を送ったが、私は、私を指名してくれたアキラに心から感謝した。

授業あと、アキラの同級生の女の子のかわいい子の名前をチェックすることを私が忘れなかったのは言うまでもない。

それからしばらくして、テレビ月9の「人にやさしく」で、香取と松岡と加藤が主人公・明の授業参観に行く回があった。
やつらも、明の同級生のかわい子ちゃんを見つけて大騒ぎしていた(松岡などは、美しい母親を口説いていた)。
それでアキラと彼の母親に私がまた笑われたのも言うまでもない。


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若い恋人たちにはわからないこと
- 2018/12/24(Mon) -
昔、20代のころ、年上の恋人のマンションで『ロッキー』『ロッキー2』のビデオを観た.

年上の恋人は、

私の給料が彼女のより少ないことで,さらに、チャンピオンになったロッキーがマスコミやいろいろな仕事を試みて失敗するのを観て、私のようだと嘲笑した.

その後、私は、早稲田大学から最初の、スウェーデンへの派遣研究者にスウェーデン側から選抜されて留学することになった.

スウェーデンから、彼女に、帰ったら、大学教員になれるから一緒に住もうと連絡した.
しかし、彼女は、私が外国に行くと決まったあとから、私の荷物を送り返し年長の男性の女になっていた.
スウェーデンからの私の手紙には、辛辣な彼女からの返事が来た.
私は安どした.私には、日本に戻ったら、このブログのどこかに書いてある、「アキラ」母子と住むことが決まっていたからだ.しかし、スジを通すために昔の彼女に返事を聞いたのだった.


いま年末に、ロッキーシリーズを観倒している.

ロッキーの、見栄に無頓着なところや、エイドリアンの献身などは、若いころには気付かなかった.


私は、あの頃のままで、ロッキーのままでよかったのだ、と60才になってわかった.

よかった.


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死者の傳
- 2018/11/08(Thu) -
私たちの生は、数多くの死者の上に積み重ねられている.


自分が幼い時に亡くなった祖母、急に異国で自死した伯父、愛犬、愛猫、その他の動物、場合によっては、兄弟姉妹の死、そして、むろん、親の死、等々.



それらの死を想起して、厳粛な気持ちになるなら、そのように、厳粛に生きればよい.


それらの死を想起してもなんの感興もなければ、そのように生きればよいだけである.


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未来
- 2018/10/06(Sat) -
十月の連休の最初の日、




西暦2001年までヨーロッパでしたい勉強をしてきた私は




沖縄より南の離島でエアコンを2台駆動しながら



猫たち8頭に囲まれて



高校2年の時に観た『前略おふくろ様』をネットで観聴きつつ



自分でつくったヨーグルトを皿に盛りつけている.



そんな未来を、そのテレビ番組を観ていた高校時代には夢想だにしなかった.
大学に行けるかもわからないころ、
その後も、就職とか恋愛とかに夢中で、いまの自分を予想することもできなかった.
『椿説弓張月』を愛読していた私が、セントヘレナを子ども時代に地図で見たナポレオンのように、自分も沖縄に行くかもな、まさか、と想像したことはあったが、そうなったとは.

未来の想像は、所詮、人知の範囲なので、限りがあるが、
吾人の人生は人知を超えていた.これからもそうなるのだろう.

まぁ、その前に、身体が壊れるかもしれないが.

◎しみじみ歩む051106_1443~01



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重陽の節句に祝う
- 2017/09/09(Sat) -
(本記事は08年のこの日に最初に書かれた.)


今日は、9月9日、重陽の節句であるとともに、

私が、研究者として最も尊敬するある先生の誕生日でもある。



私は、これまで、国の内外で数多くの 「先生」 に出会ってきた。

どの 「先生」 の感化も私は受けてきたが

またどの先生にも、いわゆる、欠落している部分があったものだった。



世界的に認められているある教授は、私はそのために日本に戻ってきたのだが

指導している私の学位論文の一節を自分の学会発表に使って 「ごめんね、使っちゃった」 と笑った。

女性の助手と出かけて、学生の面談時間をすっぽかしても平気だった。



温厚で人当たりのよいある教授は、
自分が大学院教授になるために、先輩の業績のあら捜しにやっきになっていた。



太っ腹、鷹揚を売りにしていた教授は、
私がその専門言語を 「サンスクリットに比べたら簡単だ」 とそのお弟子に漏らしたら、

私のサンスクリットの先生であるこの先生に私の頭脳人格を全否定する電話をかけてよこしたという。



このように、大学教授といってもくだらない人間を挙げればきりがない。



しかし、私が影響を受けた 「先生たち」 の中では、

きょうのよき日に誕生日を迎えられる先生は、

その先生をも批判する人はもちろんいるが、私には

だれよりも学問に厳しく、だれよりも公平無私の人だった。



この先生と、ウプサラ大学で私が出会い

スウェーデンに私がいた間に定年になり、その後亡くなられた古ノルド語の教授は

それぞれ、私が理想とする人格と頭脳をもっていらした、ということで

私にとっては、最も尊い 「先生」 だといえる。



人生の一齣一齣は一回きりしかないものだが


私は、このお二人に出会えたことで、

自分の学問生活は満ち足りていた、といえる気がする。


彼らとの出会いもまた、私の財産、私が生きたことに感謝して死ねる理由のひとつである。



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機械のバカさ、ニンゲンの成長伸びしろ
- 2016/12/17(Sat) -
コンピュータもタブレットも、所詮は機械である.



ニンゲンの頭脳の速さにはかなわない.





それは、




大昔の、リグヴェーダの時代の民も知っていたことなのに.






コンピュータよりスマホ・タブレットより、自分の頭脳のほうが優れている、とわかるニンゲンがでることが、





次の世界の再発展の時だろう.


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ショーケンからの便り
- 2016/08/22(Mon) -
『前略 父上様』 というドラマがあったのを知っている。



二宮、という若者が主演していた。




それに出ていた八千草薫が出ていた、本家(とも言うべき)



『前略 おふくろ様』 という、



私が、高校二年生のころに教室で三枝や宇都宮たちと熱狂していたドラマを観ることができるかとようつべをみたら、
簡単に観ることができた。






ショーケンは、



やっぱり、



よい俳優だったとおもう。










私がスウェーデンにいたころ、日本の、クロサワ作品の次にやたらテレビで放映していたのが、




『ブラックレイン』 という、日米のヤクザ映画だった。 4年間で3回テレビにかかった。





松田優作の鬼気迫る演技が、日本人の新たな側面を世界に知らしめたと言える作品だ。




彼は、その演技のために、奥歯を全部抜いて頬を一層こけさせて凄みを出したことは有名だ。







そして、あまり言及されていないことだが、






松田優作が主演に抜擢される前に、





国際的なオーデションがあり、





松田優作のほかに、ショーケンと、小林薫が応募していたことも知られている。





小林薫は、『深夜食堂』 で、このオーデションにおちた借りを返せた。

あんな食堂は、私の母校のあった新宿区にあったようにおもう。



そして、ショーケンも、松田優作に敗れ、『ブラックレイン』 の主役を逃したが、



『前略 おふくろ様』 を40年ぶりに観て、





ショーケンの 『ブラックレイン』 も観たかったとおもう、切に。








ヒトの世界では、





地位も、 受賞も、 評判も、


みな、



他のヒトが、ヒトに与えるものである。






むろん、




その称賛価値にふさわしいヒトがそれを受けることもあろうが、





そうでないことも少なくないことは、すでに、みなだれでも知っていよう。







『ブラックレイン』 の主役を逃したショーケン、


そして、その後、スキャンダルにまみれたショーケン。







しかし、彼の、人生は、



逃した主役の座や、汚れたスキャンダルで、台無しになるようのものではない。






どんなヒトの人生も、





一度の敗戦や、時折の不評判で、すべて抹殺されるべきものではない。







一つでも輝きを残したならば、



その故で、そのヒトは、 


称賛され、 後世に語られるべきものなのだ。




美しいもの、素晴らしいもの、高潔なもの、神聖なもの、



それらを、



ヒトは、



憎しみとか、嫌悪感で、簡単に忘れてはならないのである。




ショーケン

(2015.9.3.記)

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難あればそれ集中
- 2015/09/07(Mon) -
ヒトが、自分自身を理解しないこと とか



ヒトが、私には明らかなことも見えないでいること とか



ヒトが、自分や他者に害意あるいは排除攻撃意思をもっていること とか



ヒトが、周囲とのかかわりで我利のために何事かをニグレクトしていること とか






そのようなことどもは、


ヒトの習性として当たり前なのであり、私が他人をそう観ずるように他人も私をそう判じているはずであり、







大事なこと




私がなすべきこと は






それらを超えて ヒトとのかかわりを だれももう愚かにならないようにまとめることを目指して頭脳を使い努力すること なのだ








というようなこともようやく 60近くなってわかる夏のおわりごろ.






無垢な野良子猫さえ憎んで排除し叩き殺そうとするニンゲンがいるのがこの世.





しかし、街猫たちの 美しさは 不変.





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弟葬儀帰途羽田にて(iii)後裔
- 2015/06/22(Mon) -
私は、

自分の子どもみたいなもの? はいるが、

人生で一度も結婚しなかったし、実子もつくらなかったので、

このままでは実家の墓の守り手がなくなる、ということが明白に。


私に、嫁をとれ、という叔父叔母たち。

いったい、どうしろ、と・・・・・・


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弟葬儀帰途羽田にて(ii)中村なら
- 2015/06/22(Mon) -
こんなとき、

そういえば、あの中村が葬儀の導師だったら、どんな仲裁案をだしたのだろう。

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