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弟葬儀帰途羽田にて(i)分骨?!
- 2015/06/22(Mon) -
沖縄県庁の仕事で、死者の土地財産の所有権の整理をしていた頃、

いかに一族きょうだいといえども激烈な争いをするか見てきた自分だったが、

まさか弟嫁が葬儀の時にあのような欺瞞と裏切りを行うとは。

こちらの親族と嫁側の親族との完全な対立で葬儀終了。

亡き弟は自分の娘たちや嫁の態度考えをどうおもっていることか。

これも当たり前の世界なのか。

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ナカムラへ
- 2014/05/02(Fri) -
私信です。ですから、ナカムラ以外は読まずにください。






ナカムラ、元気か。





元気で、  飲んで、   くだらないことを言い散らし、   多数に愛され、    少数に嫌われ、





相変わらず、私としたように、





昼からニンニク臭いラーメンを食って周囲に顰蹙かっているか。













きみは、私の数少ない友人の一人だった。  








だから、いまも、私の友人だ。










変わらずいてくれたまえ。  








私より若いんだから。










もしも、





飲みすぎで肝臓をこわしたとかなら、かわいい奥さんでももらったろうから彼女に下の世話まで頼れ。






もしも、もらった奥さんがはずれだったら、まぁ、  遊べ。









もしも、論文がどうのこうのだったら、







私を参考にして、







・・・・・・






あとは、自分で、決めよ。









じゃぁな、  いろいろありがとう。    元気で。







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ターミネーター
- 2014/04/08(Tue) -
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『ターミネーター2 』
これは、「家族愛」の映画だ。いや、私とアキラとその母親との暮らしでは、少なくとも、まぎれもなく、我々のあり方の手本だった。
快活だが、いわゆる元「良家の子女」だった彼女は、このアクション映画が「好き」というのではなかったが、それでも、何度私が観ていても、一緒にしっかりと観ていた。未来の人類の救世主となる息子を守るヒロインと、離婚してアキラを守る自分をどうしても重ねていたのかもしれない。

私は、そんな二人を守るターミネーターになりたかった。
が、こわれてしまった。


そしていまは、廃物利用され、スターウォーズのR2-D2のようになって、もーと過ごしている。それでも、それなりに努めながら。



(本記事は2006年2月18日に書かれた)



きょうまた、この映画を観た。

私の感はこの記事の最初のときのままだ。


しかし、もーはこの春から大学生になった。アキラも学生をしていることだろう。彼の消息は知らない。



私が自分の命よりも愛したこの二人の、私とは血の繋がらない子どもたち ────



私とその子らがいま一緒にいようとそうでなかろうと、それは重要ではない。




私とその子どもの間にあった感情は、私とその子どもにしか記憶されないし遺らない。たとえ、母親や祖父母でも、それはわかりようがない。





私は彼と彼女に何を遺したか ────



確かなことは、私は、彼と彼女を、ほんとうに愛した、ということだけだ。




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gods
- 2014/02/26(Wed) -
ヒトは、いろいろな仕方で生きている.

汗ひとつかかないで、だれかにささやくだけで、裕福に生きているヒトもいるし

毎日、骨と筋肉をすりへらして汗みずくになってやっと糊口をしのげるヒトもいる.

好きなことしてじゅうぶんに周囲から尊ばれて不自由なく生きているヒトもいるし、

好きなことをするには、ほかで生活の大半の時間を費やさなければならないヒトもいる.


◆◇◆◇


猫でさえ、あたたかい部屋で一生食餌に不自由しないで生きるものもいるだろうし、

こごえ、空腹で、不意の出産の苦痛を毎季節味わって早々土になるものもいる.

雨風にさらされながらも、自由に走って飛んですごす野生もいるだろうし、

コンクリートと檻に囲まれていのちをうしなって生きるものもいる.


◆◇◆◇


どれがよい、とか、どれがうらやましいとか、を、

少なくとも、

猫は言わない.


彼女彼らは、常に雄々しく、常に敢然とし、常に神々しい.

たとえ、クルマに轢かれても.

たとえ、病に動けなくなっても.




(2012.3.26)

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異種と子どもたちとの日々
- 2013/07/26(Fri) -
夏休み



実社会とは別の



子どもたちと教育者の特別な日々



私には



他人の地域の子どもたちと



猫たちとの日々。



予期しない



いや、



日本での学生時代も



スウェーデンでの学生時代も



仕事をしていた東京でも



いつでも、それが私の日々だった。



予想通りの人生の終盤、ということか。






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成長
- 2013/05/29(Wed) -
(本記事は2012年3月3日に書かれた.)

ここ沖縄では、雛人形は出さないらしい、少なくとも、この離島では.
そう、さっき会った島育ちの女の子が言っていた.

◆◇◆◇

私も、そして、私の昔のK29の同窓も、ほぼみんなもう54歳になっただろう.

しかし、私は阿呆なので、

自分が高校生時代には生まれてもいなかったような女の子
つまり、いま30代の女性をつかまえて
「おばさん」 と呼んであっけにとられているほど
自分がまだ昔のままのような気分でいるのだ.
たぶん、二十代で独り暮らしを始めたときと同じの.


無論、体力も暗記力も落ちた.

きっと、もう、80%は死んでいる状態に違いないし、

あのころの自分がいまの自分を見たら、

自分にも世界にも何の役にも立たない腑抜けと唾棄するかもしれない.

私は結婚しなかったせいで、とうとういまに至り不良中年になったため
まだ胸囲のほうがウエストより大きいし、地元の高校にボランティアでラテン語を教えたりしているが、

それでも、確実に自分は 「無」 に接近していることを自覚している.


◆◇◆◇


しかしながら、また昔の同窓に会ったなら、きっと、みんな 「同じ」 ままなのに違いない、とも思うのだ.

そうだろう? 諸君.

岩下はあいかわらず周囲に目配りがきき、

萩原さんはあいからわずくすとかわいく笑うはずなのだ.

その一方で、私たちは、35年以上もの間の成長、
頭脳の蓄積と、交わった人々の影響によって、
だれもが予想もできなかったほどに 「すばらしく」 なっているはずなのだ.


私は、同窓会というものに出たことがないが、

きっと、出れば、

みんな、昔と変わらぬところに安堵し、成長したところに感心し、

うれしい時間を共有できる機会なのだろう.


◆◇◆◇


若いころは、芥川龍之介はどうして自殺したのだろうかと考えた、

その年齢をとっくに過ぎた我らだが、

いまは、人生が完結した、と思ったら、人は死ぬのかもしれない、とも思う.


私は、体操選手になりそこね、

数学の世界には受験で門を閉ざされ、

国と大学のおかげでヨーロッパまで行かされ勉強した比較言語学も職業にはしなかった.


ささやかな翻訳を1冊世におくり、


それでも、自分の仕事はした、と思っているが、


そんな私に、島の、私の心臓の主治医は

「内地に戻って教育機関で働くべき」 と言う.


私の答えは、


自分の得意なものを飯のタネにする必要はない、
むしろ、そうでないことのほうが気分よい.
私がいま知ることは、自分だけの知識なのだから.
30年後、日本人学生がいま私が知ることを学校で習うようになることは私とは関係ない事柄だ.


というのが常だ.


週末親をした娘からのメール、


のどをならす猫たち、


そして、いまもある、勉強ネタ



人生は、こんなものでじゅうぶんで、

あとは、世界を観て


それだけだ.




そうだろう? みんな、そして、先輩諸氏.



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コンピュータの利点
- 2013/05/16(Thu) -
私が音声だけ聞きたい録音映画音声と




音声を聞きたいが画像はいいか、というものと




私がいま観たい映画とを、




三国語を同時に言ってくれることだ.




もちろん、ラジオも入れたら四か国語以上をコンピュータは同時にしゃべってくれる.




これはありがたい.




スウェーデンのウプサラ大学寮のコリドーは、




三つ四つどころではなく、多数の言語が飛び交う場所だったから、




かろうじて、少しそれに近い状況を機械がいまも日本の私につくってくれている.





コンピュータはニンゲンの頭脳の速度より遅い、





と常々不満だった私だが、






こういう点では、まだまだ、西暦二千年過ぎの私は、コンピュータに依存することもあるのだ.






(55歳の誕生日にたいした仕事もしていない今の自分の日常を記す.)







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(かつて勉強したスウェーデン・ウプサラ大学中央図書館の冬景)


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逸路
- 2013/03/06(Wed) -
社会がついてきていない



だからといい、だらだら走る気はさらさらない



合わせて走るくらいなら



独り未踏の荒野を往く.




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遺るもの
- 2012/08/12(Sun) -
(skrivit 2012.3.20)


私には、同棲する猫たち以外には、家族はいない.

肉親も死んだし、このままでは老後が不安だろう、という人が多いが、

まあ、一度死んだ身としては、もう、何も待つことはない.

─── というようなことを心臓の薬をもらう離島の医師、つまり、私の主治医に言うと、

人はね、死の瞬間は断末魔の叫びを上げるものだよ、というが、

確かに、私も、仙台で救急車で深夜に病院をたらい回しにされた時、

救急隊員に 「もう、苦しいから、安楽死させてくれませんか」 とやっと言った.

4つめの病院で術台に乗せられた時も、若い看護師に同じことを言って、叱られた.


あれが、私の断末魔だったのだろうか.

身体は死にたいほど苦しかったが、心は、なすべきことをして生きた、というおもいで完全なる終止符を打つことに充足していた.



◆◇◆◇



それから数年して、東京に転居してきたころ、スウェーデンで訳した図書を出版したいという会社が現れた.

東京に戻り、母校・早稲田に顔を出し、
在学中は習ったことのない西洋史の教授のところにスウェーデンの話をしに行き (彼はデンマークに留学していた)、

私が1900年代の終わりごろのウプサラでの夏休みに、日本語を書く愉しみにひたるために翻訳した、

あるスウェーデン語の図書の話をしたら、それを別の大学の先生に話し、

そこからある出版社が興味をもってくれたのだ.


日の目をみるはずがない、とおもっていた原稿が出版社にもちこまれることになった.8年以上たっていた.

その著者は、もともとウプサラ大学の先生でもあったし、

日本語には私が翻訳したいと言う意志はスウェーデン時代にも聞いてもらっていたし、

それが出版という運びになって快く承諾してもらった.

─── いつも、スウェーデン人には、ほんとうに世話になる.



ある映画で、精神科の医師が、同僚に、「あなたはあの患者に入れ込み過ぎている」 と言われ、
「彼が僕を選んだ (He chose me.) ような気がする」 と言うところがあるが、

人生で交錯する人と人は、みんなそうなのだとおもう.友人も、恋人も.


そして、私とその図書との出会いもまた.

私のスウェーデンに行った目的は、古代ゲルマン語研究の本場に行ってそこで研究者として生きることだったし、

日本に帰って来たのは、日本の大学の学位を得ておくためだったが、

日本で身体が壊れ、

学問もあきらめざるをえなくなったものの、

戯れに訳した図書が、私が後代に遺すものとなった.

そこには、スウェーデン語原文の翻訳のほかに、私の註があり、そこには私の個人的な体験も書いてある.


きみでなければ訳せなかったし、書けなかった、

とある先生に言われ、本が、私を選んでくれたのかもしれない、と思う.



◆◇◆◇



会社を辞めて大学院に戻ったことで、当時、親にも会っていた恋人は私の元を去ったが、

おりしも早稲田がスウェーデンの大学と派遣交換留学の契約を結んだ.

運よく私がスウェーデンの大学から選抜され、それを早稲田大学側も追認し、私はスウェーデンに行けた.

たまたま英語論文がよくて、他の外国人のように英語の授業に出ないでよいので私のための予算が余っている、

なにかしてほしいことがあるか、と大学がいうので、即座の私の希望で、

大学の正規のスウェーデン語教師を個人教授につけてもらえた.

図書に出会い、著者とも話せた.

そして、あとは、

途中、

救急車の中で 「死なせてくれないか」 と言ったりもしたあと、

スウェーデンのさわやかな夏にできた文章を活字にしてくれる人々が現れた.



人は、人によって、生かされる.


私たちは愚かなこと実に多い存在だが、


有り難き出来事有り難き人々の存在が、

私たちの人生を照らすこともある.




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(初夏のウプサラ大学中央図書館、通称 Carolina Redeviva )






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青春 ── K29限定
- 2012/03/20(Tue) -
老人たちがダンスする映画を観た.



K29 のみんなは覚えているだろうか.

受験の年の高3のとき、体育の授業が、

ふだんの2クラス編成でなく、数クラス単位での、体育館でのダンスになったことを.



無論、その時間も、フケて勉強している者もいたが、

私は、なにか、あっけにとられる思いで流れのままに教師の指示に従事していた.



私がはじめて女性のからだにさわったのは、その時が最初だったのではないか.


いつも私服で来ていた吉川は、私に、あなたは抱き方がうまい、と言い (もう時効だろう)、


ダンスそのものがよくわからない私は、余計に右往左往していた.


そんななか、


たしか、3クラスくらい違うクラスの、たぶん、出席番号で最後のほうの子が時間ぎりぎりで私にあたった.


彼女は、私が気になっていた、しゃべったこともない同学年の子で、


ふつうに義務的に踊り終わって、その時間は終了した.







同級生の中には、同学年の子と結婚した者も多いだろう.


私には、高校時代の女子といって、そんな思い出があるだけだ.



☆☆



若いころは、それはそれですばらしい.


そのすばらしさを、いま若い者たちも知って日々生きてもらいたい.



そして、老いた我々は、


まあ、これから、


まだ、我々も知らない愉しみがあるのかもしれないね.



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(修学旅行で、私は、この像のパネルを買いあさってしまい、
 一緒に帰ろうと言ってくれた同級生とともに動けなかった.
 ごめんよ.MW.
 あの時の阿呆さを、いまも私は引きずっているんだ.)


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