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- 2018/09/05(Wed) -
たぶん、親からもらう人生最後のレッスンは、親の世話をすることでわかる、やがて自分も踏み込む「老い」の実相を目の当たりにすることであろう.
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未来は世界を知ることのうちに
- 2018/08/05(Sun) -
スウェーデン人の民族学者イリス=ヘルリッツ(Gillis Herlitz)によれば、「スウェーデン人は人前で自分の子どもを声高に叱りどやしつけるようなことはしない」という(Svenskar s.94)。この発言は、もともと、いまや移民第三世代の時代を迎えるスウェーデンにおいて、スウェーデン人側から、異文化の担い手である移民に対して自らの文化・国民性を弁明しようと意図された書中なればこそあえてなされたものだとはいえ、私たち日本人には、とりたてて驚くような事柄ではないと言えよう。確かに、それらは、家長、あるいは、親が子に絶対的な権限を有する、主として中近東の国々からの移民に対して言われなければならなかった断り書きだったろう。だが、その実例が、マーケットで自分が食べたいお菓子の前でぐずっている子どもの顔の高さにしゃがみこんで静かに目を合わせて語りかける母親、ということになると、日本人にとってもいささか痛いところをつかれた気がする人も多いことだろう。しかして、スウェーデン人の母親がそうする理由が、「それを見る他者に苦痛となるような行為を慎むのがスウェーデン人であるから」と言われると、もはや、おおかたの日本人の親は、そうやすやすと「私もそうだ」とは言えまい。この「他者に苦痛となるような行為は慎む」というのはどのようなことなのか。単なる、むしろ日本人には得意な、「世間体をはばかる」ということなのか。  ヘルリッツはさらに、「スウェーデン人の親は子どもを教育していない」という外国人による非難に対して、「スウェーデン人の親も家では子どもに口うるさく言っているのである」と弁明している。このように言われると、まさしく「世間体をはばかる」ために、スウェーデン人の親は人前で自分の子どもを叱りつけないのだ、と言ってよさそうにも思える。 * * * * *   「国民感情」という抽象的な言葉にも確かな実態が存在する。それは、その国民が代々受けてきた学校教育のおかげで、また、各時代においては、マスメディア等によって形成される情報のおかげで、その国民が自然とある特定の事柄には特定の方向の感情を集団的に共有せざるをえない性質をもつに至った状況を意味している。たとえば、私たちが「核兵器」と言われれば、「もうやめてほしい」という嫌悪にも哀願にも似た感情を抱かざるを得ないのも、私たちが受けてきた歴史教育のおかげだ。たとえ、広島や長崎で肉親を失っていない者でも、私たち日本人は過去に生きた人から現代の者まで、ずっとそういう感情を抱かざるを得ない点で他の国民とは異なる国民感情を有する。近頃できた「勝ち組」とかいう言葉で表されているとされる人々が有する生活水準が何か人生の成功指標のように思われているのは、この時代限定の国民感情であろう。  そして、スウェーデン人の国民感情としてあるもののうち、最も大きなものの一つが、「他者が苦痛を受けているのは見るにしのびない」という心情である。スウェーデンでは、早くから夫による虐待を受けた女性のための避難施設が設けられた。いまでは、子どもが親にぶたれそうになると、子どもが「ぼくをぶったら警察に通報するよ」と親に言うと前掲書にも書いてある。激昂した外国人がスウェーデン人と口論をして、相手の襟首をつかんでスウェーデン人に「殺すぞ」と言ったとしたら、それは立派に警察に通報する理由になる、とやはり同書に書かれているし、私は、酒の席でそういう場面にでくわし、同席していたスウェーデン人女性がすぐに警察に電話する様子も見ている。幼稚園では、日本風のアクションヒーローの変身ポーズを日本人の幼児がしただけで「あぶないからやめるように」と先生が制止する光景も見た。帰国した日本人主婦は、スウェーデンになじんだせいで、日本の母親が子どもに金切り声をあげたりおどしたりするのを見ていて苦痛になる、ましてや、子どもをたたく親は見るにたえない、と私に手紙をよこした。  スウェーデン人の親は、こうした心情から、人前でぐずる子どもを叱りつけるようなことをしないのである。それは、もちろん、自分の子どもをどやしつけることで子どもに精神的ストレスを与えたくない、という気持ちもさることながら、もっと大きなことは、そのような光景を見せられた他人が苦痛を感じることをすまなくおもう気持ちなのだ。  さらにこうしたことは、スウェーデンでは、なにも人間同士・子どもや女性相手の場合ばかりでなく、対動物、はては、自然環境に対しても言えることなのである。動物虐待とは無縁なのがスウェーデン人の動物に対する考え方だ。犬や猫でも、それが苦痛を感じるようなことはしたくない、という感情がだれにもある。自然の景物・貴重な遺跡もスウェーデンではたいていが柵もないままに原野・広場に放置されている。そのようなものを盗んだり傷つけたりする者はスウェーデン人の中にはいない、という確たる認識があるからなのだ。(スウェーデンがEUに加盟する際の国民投票の結果が賛成五十一%・反対四十九%と票を割った理由が、ヨーロッパの諸国人に自由にスウェーデンに入ってきてもらいたくない、という感情だった事実にもこの点は反映されている。)学生寮の前にふんだんにいる野生の大型のリスやハリネズミなども、それをつかまえてどうこうしようという考えを抱く者はスウェーデン人には絶無だ。自然に存在するもの・野生にいるものは「そのままにしておく」ことが、他者に苦痛を与えないスウェーデン人流の態度なのである。  こうしたスウェーデン人の国民感情から生まれたのが fridlysa というスウェーデン語の動詞である。スウェーデン語はゲルマン語族に属し、英語やドイツ語と対応する単語がたいていは存在し、さらに、同じ北欧圏のアイスランド語・ノルウェー語・デンマーク語とは姉妹言語で方言同士の差異以上には違わない言語なのだが、この fridlysa だけは、スウェーデン語にしか存在しない単語である。単語の構造は、「平和」を表すfrid-(ドイツ語の Frieden に対応)と「相手が求めるままにしておいてやる」という意味を表す -lysaの部分(英語のlet 、ドイツ語の lassen などが対応)との合成語である。この、「平穏なうちにあるがままにしておく」という動詞が過去分詞になると「保護された、保護されている」という意味にまで発展する。 * * * * *  スウェーデン人の親が人前で自分の子どもに金切り声を上げないのは、決して「世間体をはばかる」ためではなかった。日本人の「世間体」は、生活のさまざまな局面に「恥」と「禁忌」を重んじる態度の反映であろう。しかし、スウェーデン人が子どもを人前で叱り怒鳴りつけないのは、彼らが有する「それを見ている人の苦痛となるような行為は慎む」という、「他者に苦痛を与えないことを何よりもよしとする」心情こそがその根底にあるものだったのである。果たして、それを共有する国民はどこかにいるのだろうか。  政治制度や天皇制(王制)は意図的に、文化の流行などは自然発生的に、スウェーデンのそれらを模倣している局面が実は日本社会にはさまざまな場面で見られる。しかし、スウェーデン人の国民性は、そのさまざまな特質のうちのこうした一つをとってみても、一見すると日本人と類似しているような性質でありながら、その真実のあり方は日本の文化風習しか知らない日本人にはとうてい想像だにできないような性質のものなのだった。  私たちがよりよく人間(じんかん)にあって生きるには、また、私たちが未来に地球環境の中でよりよく生きるには、私たちがもたない知恵や心情を有する他の文化の担い手から学んで自己を変革してゆくしかないだろう。そうすることで、地球規模で他者理解の環(わ)が構築されてゆくはずである。たとえそれが、ニンゲン的愚かさから、我が身にまとうにはとうてい困難であろうとおもえる知恵・心情であろうとも、未来の世代は、その多様な袖に手をとおし続けてみる努力からのがれてはならないだろう。
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「三太郎」
- 2018/07/18(Wed) -
私の青春時代は、「三太郎」と言ったら、


『三太郎の日記』


だった.


しかし、いまのマスコミは、その価値ある名前を別のコマーシャリズムに使っているのを社会に疎くなった私はこのごろ知った.


日本の民度の低さが嘆かれて久しいが、よき伝統をなんとも思わないものらが、世界の文化遺産に落書きしたりする若年層を作り出しているのだ.


日本よ、どこまで堕ちる.


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所詮同じ
- 2018/07/01(Sun) -
「動物、ペット(がなついている、信頼し合っている)と言ったって、どうせ『食べ物』(欲しさ)でしょ」

と言った人がいた.

そうだろう、だから、彼女ら彼らはわかりやすい.食べ物以外にも、

ドアを明けろとか、暑いとか、遊ぼう、などいずれも自分の欲求を満たすめに知るヒトになつくのだろう.



それが、どうしたのか、人間も同じではないか.

自分の職場を紹介してもらいたくて大学教員にこびへつらう大学院生を私はへどが出る思いでたくさん見てきた.

職場でも、恋人同士でも、みな同じだろう.


いや、見返りは求めない「好感」のゆえの人間関係もある、と件の人は言うだろうか.


しかし、その人を見ているだけで幸せ、という見返りをやはり人間も期待しているのだろう.



所詮、毛者たちの行動もヒトの行動も、その原理は同じなのである.

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とりあえず
- 2018/05/27(Sun) -
日本、という国にご不満のある親御さんたち

自分の生き方に怒りを感じている若者たち

自分のあり方に悲しみを抱いている女性たち


みな、日本、という国の 「民度」 が低いからで、あなたがたの感情は、これから日本がよりよい国家、たとえば、スウェーデンのような国家になれば、もうなくなる種類のものです.


日本は、世界の先進国のように言われていますが、


無知


の点では真逆のマイナス国家です.




あなたがいま苦しくても、



あなたのお孫さんの世代には、日本も変わっていると信じて、


あなたはやすらかに生き死んでゆきましょうね.





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理の当然
- 2018/04/08(Sun) -
日本の英語教育の伸びが目標を達成できていないそうだ.


理の当然である.


いまは、アメリカで暮らしているから英語で生きているものの、新聞も読めないメールも打てないようなレベルの人々と同じ頭脳に日本の若者を育てようとしているからだ.



日本の開国はまだまだ先の話なのである.


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序列 311
- 2018/03/11(Sun) -
人はどんなことにも序列をつけないではいられない.
それは必然なのだ.

なぜなら、
行為も、
それが起こる空間も時間も
ひとつの行為にひとつの空間時間しか占有しえないゆえ、
人が存在すれば、
そこに、先行、次位、の別があらゆるものにできざるを得ないからである.

かくして、人が集まれば組織となり、階級・地位の別となり、
序列が至るところにできることになる.

そして、序列ができれば、それが、人工的な 「優劣」 という形をとる.

人間以外の世界にも序列はあるが、それは自然力による序列である一方、
人間世界の序列は、それが人工的なものであるため、
人による序列、すなわち、
人知の範囲内での正誤善悪得失についての判断によるか、あるいは、
個人がもつ好悪の感情による序列決めという結果になる。だが、
それもまた人間の必然なのであるから、それについて、
あれこれ言ったり、嘆いたり憤慨したりするのは、
人間の在り方としては誤った思考作用だと言わざるを得ない.



しかし、人は感情ない機械とはちがうので、
生きるためには自分を生かしたいとか、やりがいのある目的がほしいとか、
単に、たのしく生きたいとおもうのもまた必然なのである.


かくして、人は、序列の価値観とは異なることを目指す人と、
序列の価値観で幸福を感じたい人に分かれることになる.


前者に比べて後者の数のほうが圧倒的に少ないのは階級ピラミッドの形状通りだが、
後者の幸福はその所有者数が希少であるために前者の大多数もまた願望とする絶対的価値であるかような錯覚幻想が醸成される.その大多数の錯覚幻想の上に少数の後者の幸福感は存在する。




幸福とは、富の多寡、豊饒か否かによるのか




幸福は多重であろうが、

しかし、悲しみは、たぶん、銀行口座の預金額のゼロの数の多さとは無関係に、万人共通のはずである.
愛するものを失った悲しみはだれもが同じはずであり、
内面の苦悩もまた同様であろう.


悲しみは、だれもが同じ苦しみであるのに、
「幸福」 は、もてる者ともたざる者に分かれるというのか.



昨日、日本の多くの人々が悲しみの苦痛を味わった.

その人々に、万人共通の幸福が回復されることを願う.
(2011.3.12.記)



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好悪の感情
- 2018/03/09(Fri) -
人類より優れた感性をもつ毛者たちにも、好悪の感情は確かにあるようだ。


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このふたりはきょうだいのオスで、まだ生後1年2か月である。


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一方、




これは


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我が家で、最軽量、最小でありながら、もっとも年長の、我が家のクイーンである。


当然、他のすべての毛者たちを気迫で圧倒してまかり通っているが、


この、最年少の男子ふたり組のうち、

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これは

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元気で、だれにも遊んでくれとつっこんでゆき、私が台所に立つと真っ先に私の横に来て刺身をねだるワンパク小僧。


ニンゲンの世界にも、どこの家庭にもいるであろう、元気のよすぎる男子で、親戚が集まった時などには、多少、叔父さんたちからうるさがられる子どもと似ている。



一方、

これは

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上記きょうだいと取っ組み合いをしても、常に受身で、くれば相手をする、という立場。

集団でいても、よく食べよく遊ぶが、度を超すいたずらはそうそうしない。







かくして、


いま、

我が家のクイーンの格好の遊び相手が、この、下の子

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なのである。

空気よめない元気一辺倒の子は、どうやら、気難しいおばさんには好かれないようである。

(2015.9.24)


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記憶
- 2018/03/07(Wed) -
久しぶりに、映画、Brave Heart を観てみた。






映画の舞台のスコットランドやイングランドばかりでなく、

古ゲルマンの文化が、スウェーデンにも残っていて、






そこで、私は、心地よく、勉強して、運動して、恋愛をしていたのだったことを思い出した。







スウェーデンの気風など、日本人は、これから、英語圏、ドイツ語圏、フランス語圏、などいろいろ親しまなければならない未開人だから、スウェーデンのことはまだまだ1世紀くらいは先にならねば知られないだろうが、





そのころに、




ドイツだけがゲルマンではないことと、





その精神の雄渾さを学びたまえ。

いま、未来の日本人たちに、確言しておく。




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(2015.7.3)
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時空を超え
- 2017/11/19(Sun) -
過去に愛しともに暮らした犬や猫や亀やヒトその他の生き物たち、

いまはそれを愛する行為も動きを見ることもできないが、

それでも、それは私の一部だ.

私がいま目の前にいる生き物やヒトを具体的に愛すのは、

生ある者ゆえの苦痛や埃を払うためで、

いまは亡き者たちへの思いは、もはや苦痛も埃も生じないゆえ現実の煩いはない.

一方、過去の愛のゆえに私は生きてきたので、いまは亡き者や対象を失った感情もまた私を構成するものだ.



かくして、今夜も更けゆく.

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