言語の学び順
- 2017/11/18(Sat) -
日本人が外国語を学ぶには、英語からがよい。

英語が世界の多くで話されているから、という理由ではない。

その国の老人や子どもと話すには、その国の言葉でなくてはだめだから。

アメリカで話されているのが英語だから、というのも違う。

アメリカ文化は人類の文化歴史の新参者で、価値あるものはアメリカ以外の大陸に多い。

英語から学ぶのがよい理由は、世界の言語の中で最も単純化した言語であるからなのだ。

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未来は世界を知ることのうちに
- 2017/11/17(Fri) -
スウェーデン人の民族学者イリス=ヘルリッツ(Gillis Herlitz)によれば、「スウェーデン人は人前で自分の子どもを声高に叱りどやしつけるようなことはしない」という(Svenskar s.94)。この発言は、もともと、いまや移民第三世代の時代を迎えるスウェーデンにおいて、スウェーデン人側から、異文化の担い手である移民に対して自らの文化・国民性を弁明しようと意図された書中なればこそあえてなされたものだとはいえ、私たち日本人には、とりたてて驚くような事柄ではないと言えよう。確かに、それらは、家長、あるいは、親が子に絶対的な権限を有する、主として中近東の国々からの移民に対して言われなければならなかった断り書きだったろう。だが、その実例が、マーケットで自分が食べたいお菓子の前でぐずっている子どもの顔の高さにしゃがみこんで静かに目を合わせて語りかける母親、ということになると、日本人にとってもいささか痛いところをつかれた気がする人も多いことだろう。しかして、スウェーデン人の母親がそうする理由が、「それを見る他者に苦痛となるような行為を慎むのがスウェーデン人であるから」と言われると、もはや、おおかたの日本人の親は、そうやすやすと「私もそうだ」とは言えまい。この「他者に苦痛となるような行為は慎む」というのはどのようなことなのか。単なる、むしろ日本人には得意な、「世間体をはばかる」ということなのか。  ヘルリッツはさらに、「スウェーデン人の親は子どもを教育していない」という外国人による非難に対して、「スウェーデン人の親も家では子どもに口うるさく言っているのである」と弁明している。このように言われると、まさしく「世間体をはばかる」ために、スウェーデン人の親は人前で自分の子どもを叱りつけないのだ、と言ってよさそうにも思える。 * * * * *   「国民感情」という抽象的な言葉にも確かな実態が存在する。それは、その国民が代々受けてきた学校教育のおかげで、また、各時代においては、マスメディア等によって形成される情報のおかげで、その国民が自然とある特定の事柄には特定の方向の感情を集団的に共有せざるをえない性質をもつに至った状況を意味している。たとえば、私たちが「核兵器」と言われれば、「もうやめてほしい」という嫌悪にも哀願にも似た感情を抱かざるを得ないのも、私たちが受けてきた歴史教育のおかげだ。たとえ、広島や長崎で肉親を失っていない者でも、私たち日本人は過去に生きた人から現代の者まで、ずっとそういう感情を抱かざるを得ない点で他の国民とは異なる国民感情を有する。近頃できた「勝ち組」とかいう言葉で表されているとされる人々が有する生活水準が何か人生の成功指標のように思われているのは、この時代限定の国民感情であろう。  そして、スウェーデン人の国民感情としてあるもののうち、最も大きなものの一つが、「他者が苦痛を受けているのは見るにしのびない」という心情である。スウェーデンでは、早くから夫による虐待を受けた女性のための避難施設が設けられた。いまでは、子どもが親にぶたれそうになると、子どもが「ぼくをぶったら警察に通報するよ」と親に言うと前掲書にも書いてある。激昂した外国人がスウェーデン人と口論をして、相手の襟首をつかんでスウェーデン人に「殺すぞ」と言ったとしたら、それは立派に警察に通報する理由になる、とやはり同書に書かれているし、私は、酒の席でそういう場面にでくわし、同席していたスウェーデン人女性がすぐに警察に電話する様子も見ている。幼稚園では、日本風のアクションヒーローの変身ポーズを日本人の幼児がしただけで「あぶないからやめるように」と先生が制止する光景も見た。帰国した日本人主婦は、スウェーデンになじんだせいで、日本の母親が子どもに金切り声をあげたりおどしたりするのを見ていて苦痛になる、ましてや、子どもをたたく親は見るにたえない、と私に手紙をよこした。  スウェーデン人の親は、こうした心情から、人前でぐずる子どもを叱りつけるようなことをしないのである。それは、もちろん、自分の子どもをどやしつけることで子どもに精神的ストレスを与えたくない、という気持ちもさることながら、もっと大きなことは、そのような光景を見せられた他人が苦痛を感じることをすまなくおもう気持ちなのだ。  さらにこうしたことは、スウェーデンでは、なにも人間同士・子どもや女性相手の場合ばかりでなく、対動物、はては、自然環境に対しても言えることなのである。動物虐待とは無縁なのがスウェーデン人の動物に対する考え方だ。犬や猫でも、それが苦痛を感じるようなことはしたくない、という感情がだれにもある。自然の景物・貴重な遺跡もスウェーデンではたいていが柵もないままに原野・広場に放置されている。そのようなものを盗んだり傷つけたりする者はスウェーデン人の中にはいない、という確たる認識があるからなのだ。(スウェーデンがEUに加盟する際の国民投票の結果が賛成五十一%・反対四十九%と票を割った理由が、ヨーロッパの諸国人に自由にスウェーデンに入ってきてもらいたくない、という感情だった事実にもこの点は反映されている。)学生寮の前にふんだんにいる野生の大型のリスやハリネズミなども、それをつかまえてどうこうしようという考えを抱く者はスウェーデン人には絶無だ。自然に存在するもの・野生にいるものは「そのままにしておく」ことが、他者に苦痛を与えないスウェーデン人流の態度なのである。  こうしたスウェーデン人の国民感情から生まれたのが fridlysa というスウェーデン語の動詞である。スウェーデン語はゲルマン語族に属し、英語やドイツ語と対応する単語がたいていは存在し、さらに、同じ北欧圏のアイスランド語・ノルウェー語・デンマーク語とは姉妹言語で方言同士の差異以上には違わない言語なのだが、この fridlysa だけは、スウェーデン語にしか存在しない単語である。単語の構造は、「平和」を表すfrid-(ドイツ語の Frieden に対応)と「相手が求めるままにしておいてやる」という意味を表す -lysaの部分(英語のlet 、ドイツ語の lassen などが対応)との合成語である。この、「平穏なうちにあるがままにしておく」という動詞が過去分詞になると「保護された、保護されている」という意味にまで発展する。 * * * * *  スウェーデン人の親が人前で自分の子どもに金切り声を上げないのは、決して「世間体をはばかる」ためではなかった。日本人の「世間体」は、生活のさまざまな局面に「恥」と「禁忌」を重んじる態度の反映であろう。しかし、スウェーデン人が子どもを人前で叱り怒鳴りつけないのは、彼らが有する「それを見ている人の苦痛となるような行為は慎む」という、「他者に苦痛を与えないことを何よりもよしとする」心情こそがその根底にあるものだったのである。果たして、それを共有する国民はどこかにいるのだろうか。  政治制度や天皇制(王制)は意図的に、文化の流行などは自然発生的に、スウェーデンのそれらを模倣している局面が実は日本社会にはさまざまな場面で見られる。しかし、スウェーデン人の国民性は、そのさまざまな特質のうちのこうした一つをとってみても、一見すると日本人と類似しているような性質でありながら、その真実のあり方は日本の文化風習しか知らない日本人にはとうてい想像だにできないような性質のものなのだった。  私たちがよりよく人間(じんかん)にあって生きるには、また、私たちが未来に地球環境の中でよりよく生きるには、私たちがもたない知恵や心情を有する他の文化の担い手から学んで自己を変革してゆくしかないだろう。そうすることで、地球規模で他者理解の環(わ)が構築されてゆくはずである。たとえそれが、ニンゲン的愚かさから、我が身にまとうにはとうてい困難であろうとおもえる知恵・心情であろうとも、未来の世代は、その多様な袖に手をとおし続けてみる努力からのがれてはならないだろう。
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スウェーデン人の恋人
- 2017/11/17(Fri) -
彼女は、つきあいの当初、
「あなたには、もっとスウェーデン語ができるようになってほしい」
と言った.

スウェーデンに来てスウェーデン語を習い始めた私は、生活に支障はない程度には1か月後には話せたし、
私がいたノルド語学科とインド・ヨーロッパ語比較言語学科はともに授業はスウェーデン語だったが、
それでも彼女の要求は高かった.
それは、私がまだスウェーデンの大学に入る外国人学生のためのスウェーデン語の国家試験に受かる前のことだった.



私は、そう言われたときは、なんて厳しいことを、と感じたが、

後になって、たとえば、スウェーデン語がしゃべれなくてもあなたとなら、などと言われるよりはずっと心地よかった

そのときの彼女は私に何を求めたのか

ずっとスウェーデンにいる人間に私になってほしかったのか

自分の親族の年寄りや子どもともスウェーデン語で話せる人間になってほしかったのか

単に、英語だけで済ますお手軽な人間でいてほしくないとおもったのか

「大切で意義深いことを話すにはスウェーデン語でなければならない」
というのが彼女の弁だった.

彼女は、もちろん、マーケットのレジ打ちでもきちんとした英語を話すスウェーデンのウプサラ大学の学生である

英語などなんの問題もないはずだった.

彼女の母国を尊べ、ということか、それとも、・・・

やっぱり、スウェーデン語くらいスウェーデン人と同じくらいに使えるようになろうという気概をもて、

ということだったのだと、その後ずっと私はおもっていた.



彼女と出会ったのは、北欧神話である散文 『エッダ』 の授業だった.

それは私が日本で読みかじった古代アイスランド語の文献だ.


昔のアイスランド語が読めるのだから、現代のスウェーデン語はもっとできるようになるはずだ、
という彼女の言葉を、そういえばさっき思い出して、おもわず笑みがこぼれてしまった.

私は、スウェーデンでは、ほんとうに、たくさんたくさん励まされて勉強していたのだ.スウェーデンでは……



いまは、彼女が使ったその言語の私の辞書だけが書棚に残る.


ああ、それと、彼女がいつもしていた、スウェーデン流の、頸にバンダナを巻く習慣も.


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(10.5.9.記)

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人の品質
- 2017/11/16(Thu) -
(本記事は、2007年10月12日に書かれたものである。)

高校時代の同学年のクラス会のサイトがあるのをきょう知った。
なつかしい名前をいくつも見た。私の記憶では、みな、高校時代のままの顔だ。


それでよいはずだ。


2年前に、高校1年のときの担任の先生を訪ねたことがあった。
その時のことを書いた旧ブログを思い出した。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


小学生や中学生のころの私は、おとなである教師や年上の従兄たちなどに無条件の畏怖を抱いていた。

自分の知らない世界を知っている者への畏敬の念である。だれもが年少時はそうとは限らないだろうが、私はそうだった。

自分が20代30代になるにつれて、過去に畏怖したおとなたちと同じか彼らを越える年齢になって、その畏怖の念が消えて、何か滑稽な思いとともに、年配者にみていた神秘も消えていった。

そんな時、仕事で、高校1年時の担任の先生に会うことになった。
その先生は、当時は20代後半だったが、父親ほど年の離れた教師に対してよりもずっと深刻な距離感を私は抱いていた。
クラスみなが、あの先生にはかなわない、あの先生なら 「人類の標本」 になれる、と本気で思っていた。
私は、その先生とも距離感が埋まっていることを期待して、心愉しく会いに行った。

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先生は、白髪と顔のしわこそ目に付くようになったが、立ち居振る舞いも、口調も、30年前と変わりなかった。
先生と同じように身体を鍛え、先生よりも長い期間にわたって大学で研究生活を積み、高校教師ではないものの、予備校で教え、学習図書の編集もいくつかしてきた私は、先生の人生経験に迫っているはずだと思っていた。

しかし、先生の前では、私は、やはり、毎日雑巾のようなラグビージャージを着て走り回っていた高校生時代とかわらぬ 「高みへの距離」 を感じたのだった。

人間と人間の差は、無論、年齢によっても生じうるが、それだけではない、「人間としての品質」 とでもいうようなものによってももたらされるものなのだ、と私は悟った。


社会の中で、研究室の中で、その言動是認すべからざる人間を数多く見てきたが、自分にはまだ仰ぐべき人格がこのようにある、ということを知って、往路よりははるかにずっとすがすがしく朗らかな気持ちで帰途についた私だった。


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居酒屋の客
- 2017/11/16(Thu) -
        昔、大学のあった高田馬場や、実家のあった横浜や、その後に住んだ仙台や、恋人のいた博多
        とかで出入りしていた居酒屋の主人は、私のことをどう思い出すのか、と、我が家に通う猫た
        ちを見ていておもった。
         
        我が家は、猫の居酒屋のようだ。5代目を迎える猫たちが、ベランダ、台所、玄関、室内にい
        るので、それらに食事を出すのがひと仕事だ。刺身が好物のもの、キャットフードに鶏を焼い
        た油をたらしたものが大好物なもの、焼き肉命なもの、ドライキャットフードに缶詰キャット
        フードをトッピングしたものが好きなもの等々・・・

        しかし、オスは早々にいなくなる。時には、前日私の手に頭をつけていたものが朝に私の眼前
        でクルマに轢かれて死んだり、なにか事故で血を吐いて玄関前に倒れていたりする。

        そんななか、二代目であるメスがこの二週間から来なくなった。
        娘や孫やひ孫たちに遠慮するようになったのか。



        その猫をおもうように、私が毎日通った居酒屋のオヤジや女将たちも私がふっつりいかなくな
        ったときにおもっただろうか。そうなら、すがすがしい。



        いつだったか、昔、八代亜紀だったとおもうが、♪もいちど逢いたい~♪ という歌詞の歌を聴
        いたことがある。
        

「もういちどあいたい」
        そう、思うことが自分にあるのだろうか。
        いきなり喧嘩した恋人と電話がつながらなくなったときなどは、そう私もおもったが、

        いま、もういちど会いたいとおもう昔の恋人はいない


どうせ再会しても
いつかはどちらかが死んで訣れることになる
別離は所詮避けられない
あなたの死に顔見たくないから私が先に死ぬね、
と言った恋人ももういないのだ



そして、いなくなったその二代目も、彼女が生まれて、やんちゃだったころ、
        子を産んで苦労していたころ、その偉大さは私に教えるものがあった。

        恋人にしても、あのとき、あの場所の、あのときの我らだったから交錯することができたのだ。



        スウェーデンでの私の親友は、どこにそんなエネルギーが、とおもうほど、活動的で生き生きしていた。
        毎日、私なら2時間はかかるところを1時間自転車で行き、ダンスの練習をしていた。
        あるとき、私が、外国人でいわれのないことで警察に呼ばれたとき、期末試験の朝だったにもかかわらず、
        彼が試験の前に警察に自転車で行って、私がそんな人間ではないことを言明してくれた。
        そして、その他知り合いみんなに呼びかけて、大勢を同じように動かしてくれた。
        署長は、私に、「きみはいい友人たちをもった」 と言った。


その彼が、私の帰国すぐあとにガンで倒れたとその弟からメールが来た。


Jonney Nilsson


きみも偉大な私の知友だ。


もういちど会いたい、なんていわない。




ありがとう。きみのおかげで、いま、私は、いる。



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目覚めた人たちの道
- 2017/11/14(Tue) -
釈尊が思惟し、ソクラテスが思考したころよりは、
現代に生きる人々は、学校教育のおかげで、
ニンゲンの細胞が生まれた時から生成と死滅を繰り返し、
ついには死滅が支配するということを常識で知っているし
ニンゲンは世界規模の殺し合いを何度も懲りずに行ってき、
いまも飢えて死ぬ子どもたちが世界のあちこちにいることを
歴史を勉強することで、ニュース報道に接することで知っている。


それなのに、釈尊が覚醒した知恵や、ソクラテスがこだわった知恵を
いまだに人々が身につけられないのは・・・・・・それが、ニンゲンなのか


かつてニーチェは、「喜びよりも悲しみのほうが深い」 と言った。
確かに、たとえば、子猫を見ても、かわいい、と喜ぶよりも
それがクルマや他の動物によって早々に殺されることが 「真実」 と諦(あきら)めているほうが
自身の心を守ることはできるだろう。
しかし、たとえ、「常なるものは無い」 のが真実だとはいえ、
世界の喜びの後ろに全て悲しみを見る目もまた、偏った見方の1つだろう。





ニンゲンが、本当に、仏陀の知恵、つまり、目覚めてしまった人の認識知や
ソクラテスが追究した知識を、あたりまえのようにわきまえるようにならない限りは
政治指導者同士の、あるいは、研究機関での、あるいは、
学校や近隣同胞との、争いもめごとは終わらないだろう


釈尊が目指したのは、全ての人々が自分と同じような知恵を得て
世界全土がまっとうに動く地上の姿なのだったろう


争いこそが、競争を生み、仕事も研究も進歩させる、という考えは、
そういう状況しか知らないニンゲンならではの理屈だ。
相手を虚偽によって落し入れ、密室会議で出し抜くやり方での 「勝利」 など、
所詮は、蝸牛の争いの勝利にすぎず(あるいは単なる当事者の安逸のためで)、
そのようなものは、人類全体の進歩にも、社会善への前進にも何ら寄与しない





世界はこのようにあるのに

ニンゲンたちの間では、なぜ、「見えない」 者たちが圧倒的なのか


(本記事は2008年10月7日に書かれた)


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秋の俳句
- 2017/09/17(Sun) -
私がいまいる沖縄の離島にも、昨日、秋の風が吹き初めた.

あきらかに朝日の力がゆるやかになり、風に涼しさが宿った.それは今朝も続いている.

暑さがあったからこそ、この変化を感じとる.


☆ ★ ☆ ★ ☆



私には、昔、つまり、スウェーデンに行くまえ、俳句を詠んだ恋人がいた.

私がスウェーデンに行くと決まった夏の終わり、彼女は、秋と、二人で歩いた早稲田近辺の風景を読み込んだ句をつくった.私は、スウェーデンにいる間からもう彼女には連絡しなくなったが、彼女の句は、スウェーデンの冬迫る前の秋の日差しの下でも、いま、沖縄の炎熱のあとの秋の気配の下でも、口ずさむものになっている.




人間の精神もまた、美しいものなのだった.



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20110907
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重陽の節句に祝う
- 2017/09/09(Sat) -
(本記事は08年のこの日に最初に書かれた.)


今日は、9月9日、重陽の節句であるとともに、

私が、研究者として最も尊敬するある先生の誕生日でもある。



私は、これまで、国の内外で数多くの 「先生」 に出会ってきた。

どの 「先生」 の感化も私は受けてきたが

またどの先生にも、いわゆる、欠落している部分があったものだった。



世界的に認められているある教授は、私はそのために日本に戻ってきたのだが

指導している私の学位論文の一節を自分の学会発表に使って 「ごめんね、使っちゃった」 と笑った。

女性の助手と出かけて、学生の面談時間をすっぽかしても平気だった。



温厚で人当たりのよいある教授は、
自分が大学院教授になるために、先輩の業績のあら捜しにやっきになっていた。



太っ腹、鷹揚を売りにしていた教授は、
私がその専門言語を 「サンスクリットに比べたら簡単だ」 とそのお弟子に漏らしたら、

私のサンスクリットの先生であるこの先生に私の頭脳人格を全否定する電話をかけてよこしたという。



このように、大学教授といってもくだらない人間を挙げればきりがない。



しかし、私が影響を受けた 「先生たち」 の中では、

きょうのよき日に誕生日を迎えられる先生は、

その先生をも批判する人はもちろんいるが、私には

だれよりも学問に厳しく、だれよりも公平無私の人だった。



この先生と、ウプサラ大学で私が出会い

スウェーデンに私がいた間に定年になり、その後亡くなられた古ノルド語の教授は

それぞれ、私が理想とする人格と頭脳をもっていらした、ということで

私にとっては、最も尊い 「先生」 だといえる。



人生の一齣一齣は一回きりしかないものだが


私は、このお二人に出会えたことで、

自分の学問生活は満ち足りていた、といえる気がする。


彼らとの出会いもまた、私の財産、私が生きたことに感謝して死ねる理由のひとつである。



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ウプサラ大學の空気
- 2017/09/08(Fri) -
スウェーデンの、最高学府にして北欧最古の大学、ウプサラ大學の学部・大学院の教室には

よい先生が導く小学校の教室のような

自由で明るく、ただ、学ぶことを愉しむだけの空気が横溢していた.

特に著述はなくとも、その学識は日本のどんな研究者も及ばぬであろう老教授、

彼は、私が目指した、「どんな言語の単語も、語源から音韻法則に正確にのっとってその成り立ちを説明する頭脳」 をもっていた.
そんな叡智の数々を、彼は、まるで、茶飲み話をするように、さらりとこともなげに語ってすましていたものだった.

私の親友だった Cristian Kampitsch はいつも教室の後ろの席で椅子を後二本脚でゆらして鉛筆を噛みながらニーチェを読んでいた.授業は、ドイツ語文法学・ドイツ語翻訳の時間である.
そして、教師になにかつっかかかりたいことがあると、いきなり立ち上がって、教室を縦断して教師と文法論を戦わせていた.
教師 Kenneth も、そんな彼の挑みを喜んで受け止めていた.

――――――

日本の大学院には、授業に出るのにも、この先生の授業に出ていればどこかの大学に就職を紹介してもらえるから、
という理由だけで出ている者が、私がいた頃の早稲田大学旧ドイツ文学科にはうようよ、いや、私の周りはそんな人間ばかりだった.
留学するにしても、ハクつけのため.帰国してからの就職のためで、その国で本当に鍛えようなどとは思っていない者たち.留学中1年間部屋から極力出ないで、趣味の楽器の練習とコンピュータ遊びをしていた云々.


「世界の~」 という呼称は日本ではいまは、映画監督やお笑い芸人の専売ではない.ちょっと外国に論文があると、自分を学生に 「世界の○○」 と呼ばせる大学教授までいる.


私がスウェーデンで出あった先の老教授は、世界の、というか、歴史的な先生だったが、定年になり、私の申し出を微笑んで断って独りで自分の書籍を台車に乗せて学部長室を去って行った後姿は、真に、偉大な人のそれだった.

――――――

日本人もノーベル賞をとったりすることもあるから、
日本の政治家も学者も、自分たちは世界に伍しているとおもっているかもしれないが、

日本人の大多数の大学人および企業の管理職クラスの真の向上心のなさ、世界視野での善への希求心の欠如は、いまは陋習となっているといってよい.



この国が、いつか本当に世界の国々と、その精神性のゆえに肩を並べることができる日が来るのか.


それは、もしかしたら、一見この国のエリート層・上級生活者たちのように自認している者たちの力ではなく、

民間の、名も無いような人たちが、一人ひとり海外で真によき活動をして、
その国の人々に評価され、
日本人のイメージが変容し、かつ、
そうした無名人の生き方を国内でも評価できるような、
そんな土壌ができてからのことになるのかもしれない.


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(09.02.10記)
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あるスウェーデン人男性の恋愛 事例2
- 2017/09/01(Fri) -
私が住んだウプサラ大学の学生寮、コリドーには、12名中半数がスウェーデン人の男女だったが、




その最初から、一番奥の左側が、Björn の部屋だった. 彼とは、最初からのつきあいだ.



彼は、金髪長身小頭逆三角顔細身、で、日本人女性ならばほうっておかないタイプの男性だった.

しかも、やさしい.




しかし、彼に恋人がいなかったのは、彼がだれよりも控えめだったことによるのかもしれなかった.

でも、それもスウェーデン人男性らしい、といえば言えるかもしれない.










そんなコリドーに、二年後くらいに、korridorsmammma だったメアリーがいよいよ研修医になって出ていったあと、

独りの女の子が入ってきた. マギー という名だった.









マギーは、如才ない子で、だれとも親しく話し、よく、コリドーの共同リビングでゆったりと食事してテレビを遅くまで観ていた.








男たちも、深夜までテレビを観ているから、マギーとビヨルンはなんとなくよく話しをするようになっていた.








そうして、十か月ほどたったかもしれない.









やっと、私たちにも、マギーとビヨルンがふつうとは違う程度に 「親しい」 とわかるようになっていた.


しかし、そのころでも、二人に肉体関係はまだなかったとおもう.


それでも、二人の間には、ふつう以上の信頼関係ができあがっていたのは確かに感じられた.








私は、その後、別の住宅に移ったが、いつもやさしく控えめだった美男のビヨルンを慕う娘で出て、ほんとうに私もうれしかった. マギーの人柄も私は好感がもてていたから.









ちょっと親しくなったらすぐにセックスに及ぼうとする日本人と比べて、

スウェーデン人の若い男女はかくも ゆったり 広々と 公明正大に セックスまでの道のりの恋愛を享受している.







同じ地上のニンゲンでありながら、



かくも、未開と進化の別れた種も珍しいだろう.  しかも、その種が、このガイアで一番のさばっている.






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